6月30日(月)に、関西の友人から、岩田吾郎さんが死去したと聞いた、本当なのか、という連絡を受け取りました。驚いてあちこち連絡し、大体の事情が分かりました。
6月28日(土)に、趣味と思われる山登りに和歌山県に行き、そこで転落して死亡したそうです。和歌山県警が写真を持って、岩田(本名・大西)さんかどうかを関係者に問い合わせにきて、その関係者が本人と確認したそうです。その関係者の中に、『人民新聞』の方がいて、彼が7月1日(火)に、和歌山県警察に問い合わせ、親族に連絡がついて遺体が引き取られ7月2日(水)に葬儀が執り行われ納骨もされる、という情報をえたそうです。
岩田さんは、「リベラシオン社」として、革命運動と人民闘争の情報と資料を、ブンド系・新左翼系を中心に全国的に提供していました。生前の言では、メールの送受信を通じてネット上でつながっている人が50~100人くらいいる感じだったのですが、その人たちの中にはまだ死去を知っていない人が少なくはないと思われます。そこで、何とか知らせようと、最後のメールへの「全員に返信」で送ってみましたが、やはりBCCでは誰にも届かないようです。そこで、岩田さんのメールの受信者と分かっていてアドレスも分かっている方に、個々に知らせてきた次第です。
岩田さんと私は、同じ関西ブンドと第二次ブンドでも、彼は労働者活動家で活動の場は大阪、私は学生運動で最後は東京、「現役」の「現場」での面識はなかった。この10年間くらいの、基本的にメールによる交流でした(関西に行った時に数度は会ったのですが)。
インターネットで検索すれば出てくるのですが、「リベラシオン社」は、「資料の場」であり、「情報と交流の場」であり、「議論の場」でした。関西ブンドと第二次ブンドの、1960年代の創設から1970年代の崩壊までの機関紙誌と論文がほぼ収集されている。『未来』や『戦旗』など新左翼系の現在の党派の機関紙を毎号読むことができるし、『前進』や『かけはし』などの重要な論文や記事をメールで配信してきた。「1970年闘争」における、新左翼の党派的破綻を総括する論考が発表され、議論されてきた。
「1970年闘争」で、新左翼の多くは、全共闘運動を基盤に武装蜂起・革命戦争をやろうとして破綻した。社会主義革命は資本主義の内在的矛盾を根拠とし、労働者階級の階級闘争を原動力とする。マルクス・レーニン主義ではなかったという総括が必要である。
そのマルクス・レーニン主義そのものも総括が必要である。「帝国主義から社会主義への過渡」、民族解放闘争から社会主義へ前進すると展望した。しかし、そうはならなかった。ロシア革命も中国革命もベトナム革命も、20世紀の革命は全てブルジョア革命に終わり資本主義化した(スターリン主義は官僚制国家資本主義である)。後発帝国主義も出現した。
新左翼とマルクス・レーニン主義の「二重の総括」が必要である。「リベラシオン社」はそういう「場」になる可能性があった。それが失われるのは残念である。
資本主義は先発の「北」に対する後発の「南」の不均等発展。帝国主義は先発のアメリカに対する後発の中国の覇権闘争で世界戦争の危機。こういう世界が現出している。このような中、「北」では資本主義の工業的空洞化と金融化(腐朽性と寄生性)で、ブルジョア民主主義体制の危機が進行し、早くも予防反革命=現代のファシズム(トランプ主義)が登場している。
「二重の総括」のその向こうに、前途遼遠だが、体制的危機を社会主義革命へ転化できる、と思う。私は新左翼の破綻(連合赤軍事件)の当事者であり、その責務として「二重の総括」の一端に加わりたい。それをもって、岩田さんの追悼としたい。(おわり)
