不安を抱えながら世界一の強国へ向かう中国

――八ヶ岳山麓から(537)――

9月3日、中国は北京天安門広場を中心に「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利80周年」を記念する軍事パレードを実施した。これについては、すでに多くの分析や評論があるからここでは私がこのパレードから感じたことを2,3書いておきたい。

習近平主席はオープンカーから、「同志們、辛苦了!(諸君、ご苦労!)」と呼びかけた。36年前の天安門事件直後、最高指導者鄧小平もパレードで同じように呼びかけたが、当時に比べると今日の規模と兵器はまるで違ったものになった。
表向きの軍事費ひとつとっても2024年3140億ドル、アメリカの3分の1程度とはいえ世界第2位(ちなみに日本の軍事費は前年比21%増の553億ドル、中国の5.7分の1)。最新兵器の誇示は中国が強大になったこと、言い換えれば習近平主席によって「中国の夢」が実現しつつあることを中国国民にアピールするものだった。

習近平氏は中国人民に「強国建設と民族復興に向けた団結」を呼びかけたが、これは習氏が自己の求心力に不安があること、いいかえると中国共産党の支配者としての正統性が揺らいでいることを感じているからであろう。
国民参加の民主的な国政選挙があれば、政権の正統性はその都度確かめられる。だが中国の場合は、支配の正統性は中共自らの主張によるしかない。いままでは、それは中共指導下の八路軍や新四軍が抗日戦争の主力であったこと、中共が1949年の革命を成し遂げたこと、中共によって革命以前の苦しい生活からの解放が実現したことといったものであった。
ところが抗日戦の事実は違った。主力は蒋介石の国民政府軍であって、八路軍や新四軍は敵後方のゲリラ戦を戦う抗日戦の傍流であった。日本ではこれは左右を問わず常識だが中国ではそうはいかない。胡錦涛政権時代にはこの歴史事実を研究公表した研究者もいたがいまはいない。だから「抗日戦勝利80周年」の軍事パレードは、中華民国の抗日戦勝利を中国人民の勝利に読み替え、人民を指導したのは中共だったという虚構で成り立っているといってもおかしくはない。

今日中共支配の正統性を主張できるのは人びとの生活を日々向上させる経済成長しかない。そこで中共中央は「共産党がなかったら今日の中国はなかった」と宣伝するのだが現状では説得力はない。胡錦涛政権時代に日本のGDPを追い抜いた中国経済は、習氏の国家主席就任以後、日本の失われた30年に似て13年間不景気を続けている。特に2022年新型コロナ禍による都市閉鎖が終わったとき中小零細企業の倒産は400万余件に達し、さらに不動産不況が続いて中国各地に建設を中途放棄したビル群=幽霊都市(鬼城)が生まれている。
国家統計局が先月発表した7月の16~24歳(出稼ぎ農民・学生を除く)の失業率は、前月より3・3ポイント悪化して17.8%となった。これは公式統計だから実態はこの倍以上になることは研究者によって明らかだ。中小零細企業は雇用人口が大きいのだからこれを再建すれば失業は減るが、習近平政権はその手を打てないでいる。失業者が多くなれば社会の閉塞感は深まり自殺は増え凶悪な事件が各地で起きる。蘇州の日本人児童殺害事件は氷山の一角だ。だから中国の治安維持費が公式の軍事予算を上回る事態となったのも不思議ではない。

この不況を根拠のひとつにして、日本のYoutubeや週刊誌では自称ジャーナリストとか北京ウォッチャーなどによって習近平政権弱体化のうわさがくりかえされ、時間がたつうちに習氏の実権喪失は確実といわれ出し、後継者は誰かというところにまで来た。さらに「中国通」のなかには習近平が9月3日のパレードを指揮できるか否かを言い出す者すらあったが、結果はご覧のとおりである。
だが、こうして中共支配の正統性は揺らいではいるが、それがすぐさま習近平政権の危機に結びつくかと言えば全くそんなことはない。わたしは習氏がその気になれば毛沢東並みの終身国家主席になる可能性もあると思う。中国の「老百姓(一般大衆)」は権力に従順だからである。ときがくれば不満を口に出すかもしれないが、そうなったとしても習近平政権は維持される。

第一は習近平氏に代わる人物がいないことである。
習氏は己の権力を不動のものとするため巧みに振る舞った。2012年当時国家副主席だった習氏は、胡錦涛・温家宝政権とともにライバルと見られていた重慶市党書記薄熙来を汚職・身内の殺人スキャンダルで終身刑に処した。ついで石油・公安の「王」といわれた中央政治局委員の周永康を同じ疑いで投獄したのをはじめ、「蠅も虎も叩く」と呼号した汚職追放運動を展開した。
「老百姓」の喝采を浴びながら百万単位の人数の汚職幹部とともにライバルとなるかもしれない人物を次々失脚させ、同時にかれの地位を脅かす派閥を破壊したのである。2022年10月22日党の第20回代表大会の閉会式では、胡錦濤前中共総書記が何らかの理由で引きずりだされた事件があった。これはもはや習氏の周辺には習氏にたてつくものがいなくなったことを物語っている。

第二は抑圧体制である。
党官僚は党中央から郷村に至るまで上は上なり下は下なりに特権を与えられているから、かりに「老百姓」の支持がなくなってもこの体制を維持しようとする。さらにイデオロギー攻勢だ。習氏はことさらのように「安定・団結」を叫び、イデオロギー宣伝を強化してきた。中共メディアは「強国」「中華民族の偉大な復興」という国家主義的な宣伝を強め、論評は現政権を肯定し賞賛する者に限られている。もし、今日魯迅や巴金、丁玲などがいて、国民政府時代と同じように反体制的な筆をふるったら、ただちに投獄されるだろう。
いま高度の監視システムによって人々の動きは捕らえられ、SNS上の言論、さらにはスマホのメールまで厳重に監視され、小さな不満表明でも取り締まりの対象になっている。かつては許された内々の政治談議いわばサロンの自由ももちろんなくなった。これが今日文化大革命の再来と言われる所以である。

政府メディアは「共産党がなかったら今日の中国はない」というが、失業がなくなり生活が上向かない限り、社会の底流には「共産党がなかったら別の中国があったはずだ」という声が存在し続ける。だから、習近平政権は南京事件や七三一部隊の蛮行を描いた映画を見た群衆が「反日デモ」をやることは許さない。そんなことをしたら、「反日デモ」の一部は直ちに日本人や日本大使館、日本企業に矛先を向けるだろうし、それはまた「仕事をよこせデモ」となり、さらに「反政府デモ」に変る危険があると見るからだ。
中国は不景気と失業による社会不安を抱えながら、これからも軍事大国の道を突き進んでいくだろう。これと日本はどう付き合うべきか。考えると憂鬱になる。わたしは軍事パレードの映像を見ながら以上のようなことを考えた。(2025・09・05)

初出:「リベラル21」2025.09.11より許可を得て転載
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〔opinion14426:250913〕