石破首相の戦後80年所感――日本政治右傾化への警鐘

石破首相は10日、戦後80年の所感を発表したが、その主要テーマは日本が先の戦争を防げなかった原因の分析である。総理大臣を辞する直前になって、この所感を総理個人として発出したのはなぜか。それは極右勢力の急激な進出に終わった参議院選挙と高市早苗内閣誕生に対する危機感が背景にあるからだと私は考える。この流れでいけば、先の大戦を正当化する「歴史修正主義」が闊歩し、日本の国際的な位置が危うくなる。石破首相はそう考えたに違いない。
自民党総裁選に立候補した高市氏(前経済安全保障担当大臣)は9月25日の報道各社のインタビューに、石破茂首相が戦後80年に当たって先の大戦に関する見解をメッセージとして出す考えを示したことについて「必要ない」と述べていた。同様の考えは茂木敏充氏も小林鷹之氏も記者団に語っていた(小林氏の場合は1月30日の段階で)。この3人に共通しているのは「首相による戦後談話は安倍晋三首相の70年談話で一つの区切りがついている」という考えである。したがって、石破首相としては党内に不協和音を起こさないためにも総理個人としての「談話」に留めておくしかないと結論づけたのであろう。

ところで、総理大臣の「談話」はこれまで3度出ている。
最初は1995年8月15日の村山富市首相による「戦後50年談話」である。当時は自社さ連立政権であった。
その談話の中で村山首相は「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」「敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」と述べた。
2度目は小泉純一郎首相による「60年談話」(2005年8月15日)である。そこでは「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です」と述べられている。
3度目は安倍晋三首相による「70年談話」(2015年8月14日)である。そこで安倍首相は戦争当時の国際情勢を説明し、日本が参戦せざるを得なかった経緯が述べられている。「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮절な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでいきました」「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
そして、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました」と述べた。
高市氏、茂木氏、小林氏はこの「安倍談話」をもって「日本国総理としての談話」は打ち切りにすべきだと断じた。特にゴシック体の部分「あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません。」を打ち切りの根拠にしているのであろうが、それには日本国が今後いかなる戦争にも一切かかわらないという前提が絶対条件である。その覚悟はあるか。
だが、安倍首相はその前提には立っていない。だからこそ、「しかしそれでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す必要があります」と続けたのである。

私たちは毎日、メディアを通じてパレスチナやウクライナにおいて戦争による破壊や、住民の虐殺の現場を見せつけられ、恐ろしいことに、その映像を日常的な事として受け入れている。だが、国家の指導者たちがお互いに正義を主張し、自らの戦争行為を正当化していることまで受け入れているわけではない。少なくとも私個人としては、際限なく殺戮行為を繰り返す為政者たちは必ず裁かれなければならないと思っている。
振り返って日本国内の状況はどうか。情報化社会の中でポピュリズムへ流れ、デマや噂によって過激化する傾向がうまれている。これが一時的な現象で終わればいいが、右翼傾向の人々が新しい政党を立ち上げて政治に参入している限り、今後、日本の未来に影響を与えるのは確かである。

「石破首相80年談話」の「なぜ先の戦争を食い止めることができなかったのか」というメインテーマはこれまでの「談話」に必須とされた「謝罪」や「反省」とは別の問題であり、日本がこれから平和国家を築き上げていくための積極的な最重要課題である。同時に当時の新聞の歴史的責任を取り上げたことはじつに画期的である。「謝罪」や「反省」は気休めになりかねない。気休めであるかぎり、何度でも同じことを繰り返す。
「石破首相80年談話」には例えば「憲法『改正』」「防衛」「対隣国外交のあり方」などいくつかの欠落はあるが、日本や世界の現況を踏まえた大切な問題提起である。

メディアは目下、公明党の連立政権離脱の話題で持ちきりである。高市早苗自民党総裁の前途は多難のようだ。それは日本の政治が右傾化の道をまっしぐらに進むのに一定の抑止力となるかもしれない。野党は、かつての民主党政権の失敗に学んで、今度こそ安定した健全な政権誕生実現のために邁進してほしいものである。
1940年2月斎藤隆夫議員は「反軍演説」の中で「聖戦の美名に隠れて国家百年の計を誤ることがあってはならない」と主張したが、そのメッセージは、現在の国際情勢や日本の政治状況においてこそ有効なのではあるまいか。

私は沖縄に生まれて、あの大戦末期米軍の砲火のなかでようやく生き延び、「国家は住民の命を守らない」ということを身をもって学んだ。私はこの後何年生きられるかわからない。体力も衰えてきた。だが、この私にも何かできることがあるのではないか。これが私のささやかな、しかし痛切な課題なのである。
(2025.10.13)

初出:「リベラル21」2025.10.22より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6891.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion14482:251022〕