2010.07.10 山雨欲来風満楼――北朝鮮で何かが起こる

 山雨、来タラント欲シテ、風、楼ニ満ツ・・・一昔も二昔も前、中国でまたなにか起りそうだぞという時に、よくこの一句が使われたものだった。5月に初めて北朝鮮の土を踏んで以来、その後なにかとあの国のことが気になるのだが、その後断片的に伝えられるニュースを見ていると、いよいよ来るべきものが来そうだな、という思いにとらわれる。素人の浅智恵と一蹴されるかもしれないが、まあ聞いてほしい、北朝鮮にも山雨欲来風満楼の弁を。

 北朝鮮をめぐって最近、メディアに登場するのは、3月26日に黄海で起きた韓国哨戒艦の沈没事件だが、一時はひょっとしたら軍事衝突もと周りを緊張させたこの問題は、当面大事にはいたりそうもなくなったことは、ご同慶の至りである。
 このこととは別に北朝鮮では外国のメディアが「異例」と形容する出来事が起きている。

 一つは通常は年に一回開かれるだけの最高人民会議(あえて言えば国会にあたる)が4月に開かれた後、わずか2ヵ月後の6月7日にも開かれたこと。二つにはそれを追いかけるように6月26日、政権党である朝鮮労働党の政治局の決定として、9月上旬に党代表者会を開くと発表があったことだ。この名前は耳慣れないと思ったら、これまで1958年と1966年に開かれただけで、今度開かれればなんと44年ぶりの開催だという。

 まず6月の最高人民会議ではなにが決まったか。この会議ではかなり大幅な人事異動が行われた。金永日首相に代わって、金日成時代に副首相をつとめた崔永林ピョンヤン市党責任書記が首相に任命されたほか、6人の副首相が地方組織や経済官庁から登用された。

 しかし、もっとも重要な決定は衆目の見るところ金正日総書記(68)の妹婿の張成沢・労働党組織指導部第一副部長(64)が国家の国防委員会副委員長に抜擢されたことである。先軍政治を標榜するあの国では国防委員会が国権の最高機関とされ、2002年の例のピョンヤン宣言でも小泉首相とならんで署名した金正日の肩書は国防委員長であった。もっとも国防委員会の副部長は一人ではないので、これをもって張成沢がナンバー2に昇格したとも言えないようだが、あえて臨時会議を開いてまで人事を決めるのは異例には違いない。

 この人事については、外部では金正日の後継者と目される三男のキムジョンウン(27)の後見人である張成沢がその立場を固めたものと見ているが、なるほどと受け取っておきたい。しかし一方では、この人事をめぐっては二人の人物の奇怪な急死との関連が取りざたされている。

 まず4月に李容哲という同じく組織指導部の第一副部長が心臓麻痺で急死し、2回目の最高人民会議開催直前の6月2日には同じく同部第一副部長で張成沢の長年のライバルとされる李済剛という人物が交通事故で死んだ。二人の死についての詳しい報道はないから、余計外部の憶測を呼ぶのだが、同一ポストの人間が二人も急死して、その後、残った人間が昇格するというのは不自然といえば不自然である。まして頑丈な車に乗っているはずの要人が交通事故で死ぬというのは、あの国の交通事情ではちょっと考えにくい。
首相、副首相人事でも首を傾げたくなることがある。新任の6人の副首相の平均年齢が73歳超という高齢であることで、崔新首相にいたっては80歳である。この会議の前、5月14日には金鎰喆国防委員が高齢を理由に解任されたが、その年齢が80歳であった。

 次に9月に開かれる党代表者会ではなにを決めるのか。発表では「最高指導機関の選挙を実施するため」とされている。選挙で選ばれる「最高指導機関」とはどのクラスを指すのか。過去の党大会では中央委員と同候補が選出されているので、この発表によって近く1980年以来30年ぶりに「選挙のための」労働党大会が開かれるのではないかとも観測されている。おりしも今年10月は労働党創設65周年にあたるそうである。代表者会はその予備会議ということになる。これもなるほどと受け取っておきたい。

 さて張成沢という人物については、最近、韓国の「中央日報」がこんな話を伝えた。国防委員会には金正日の最側近といわれる呉克烈(79)という軍出身の副委員長がいて、この人物は昨年、「朝鮮国際商会」という外国投資を受け入れる機関を作って活動しているのだが、最近、張成沢も「朝鮮大豊国際投資グループ」という同じく外国投資を受け入れる機関を立ち上げて、朝鮮系の中国人を連れてきて総裁にすえて活動を始めた。そのため、この二人の副委員長が激しく対立しているというのだ。(「産経」7月6日)

 これらのニュースから、果たして「風ガ楼ニ満チテ」来たなどと言えるのか。私はかなりの確率でそう言えると思う。
 私が連想したのは、中国の毛沢東末期である。独裁者の最後が近づくと、それまで水面下に潜んでいた対立が表に浮き上がってくる。中国では毛夫人の江青ら四人組と葉剣英ら長老たちが後継者をめぐって対立したが、それは結局、長老組に推された華国鋒による「四人組逮捕」という実力行使で決着した。1976年のことである。問題は北朝鮮ではそれがどういう形になるかである。

 北朝鮮では金王朝の世襲という最高権力継承方式には権力集団たる労働党内部に異論がないとすれば、そしてその継承者がキムジョンウンという三男だとすれば、その「幼君」を誰が抱え込むかが勝負である。そしてそれに最も有利なところにいるのが叔父である張成沢らしいということである。
 しかし、それは磐石の有利さか。そうではないようである。なぜそう言えるか。その根拠は相次ぐ会議である。もし張成沢を後見人とする次期権力体制が大方の支持を固めているとすれば、わざわざ臨時に異例の最高人民会議を開いてまで副委員長への抜擢などの人事を決める必要はなかったはずだ。人事は通常、定例の会議で決めるものだ。4月の定例の会議には姿を見せなかった金正日が6月の会議には出席したという事実は、張成沢昇格に有無を言わさぬためであったろう。首相以下の一連の人事もおそらくそれと関連したものであったろう。そしてそれは来年の春までは待てないという切迫した状況にあることをもうかがわせる。

 9月に開催予定の党代表者会も同じ理由と思われる。張成沢を中心とするグループは大会を有利に運び、かつ権力集団内部の反対派ないし中間派から、ポスト金正日の時代になって以後に権力の正統性に異論を差し挟まれないように、どこから見ても党内手続き的に文句をつけられない形で権力継承を完成することが必要なのだ。それには金正日の存在がなくてはならない。やはりことは急を要するということであろう。

 ここで思い出されるのは、中国の林彪である。文化大革命を主導し、毛沢東の「最も親密な戦友」と讃えられながらも、毛沢東の信頼に不安を感じた林彪は「後継者」の地位を明文で保証されることを望んだ。異論を封じるためである。そして1969年、11年ぶりに開かれた第9回中国共産党大会で党規約に後継者として名前を書きこませることに成功した。規約としては異例である。しかし、わずか2年後、ソ連へ逃亡しようとしてモンゴルで墜死したことはあまりにも有名である。ここでは党規約に名前を書き込むことにこだわった林彪と、何十年ぶりかで党内手続き上の会議を開いて権力継承を不動のものにしたいという張成沢の目論見に、どこか共通するものがあるのではないかと指摘しておきたい。

 林彪の場合はその権力欲が毛沢東の不信と不興を買い、悲劇への道に追い込まれるのだが、金正日に威信があるうちに自己の権力を固めようとする張成沢は成功するのか。それはこれからのことだが、それと関連して韓国「中央日報」が伝えた外資導入をめぐる呉克烈との対立説も事実とすれば興味深い。

 金正日の鎖国体制はいかに権力保持のためとはいえ限界に来ていることは明らかで、開放体制への移行を前提に、次代を見越して主導権争いが始まっているということであろう。中国では毛沢東の末期においても、対立する双方はともに「文革路線の継承」を掲げていたからポスト毛沢東の権力闘争は路線対立ではなく、路線闘争は華国鋒対鄧小平という形でその後に起った。北朝鮮の場合は脱金正日鎖国路線で一致しながら金正日の権力をいかに継承するかで争うことになるわけだが、闘争はそのまま開放路線の主導者という利権と結びつく。金王朝内部の叔父・甥血縁関係と外資導入という新たな金脈、この二つが権力集団内部にいかなる不協和音を発生させるのか、はたまたすべてを包み込んで王朝を延命させるのか、ドラマの幕開けは近い。

 それにしてもアムネスティ・インターナショナルは5月末の年次報告で、北朝鮮では人口の3分の1以上の約900万人がきびしい食糧不足に直面していると述べている。食糧を求めて中国へ越境した数千人の人々が中国当局に拘束され、強制送還されたとも言われる。(「日経」5月27日)
また韓国の北朝鮮支援団体「良い友達」の情報によれば、同じ頃、北朝鮮労働党組織指導部は「困難な食糧事情により国家はこれ以上どんな措置もとれなくなった」という文書を出して、食糧の配給をやめてしまったという。この端境期を民衆はどのように日々を過ごしているのだろうか。同団体の法輪理事長は「食糧不足は農村地域でも広がり(優先的に供給する)軍部でも食糧を確保できていない。5月以降は餓死者が急増している」と語っている。(「日経」6月15日)

 おりしも共同通信によれば、ロシアの非常事態省と国境警備当局は7月5日、同日までにロシアの極東沿海地方で近隣国からの難民受入れに備えた演習を実施したと、同通信に明らかにしたという。(「産経」7月6日)
近隣国と言っても北朝鮮を対象にしていることは明らかで、国境を接するロシアには北朝鮮の内部が見えているのだろうか。確かに今起こりそうなことは、南北軍事衝突などではなくて、ある日、大勢の北朝鮮民衆が食と職を求めて南へ、西へ、北へと国境を越えて歩き出すことかもしれない。
 いずれにしろ、山雨欲来風満楼ではないか。

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