樋口清之の『卑弥呼と邪馬台国の謎』の中のシャーマニズムの解説を読むと、シャーマンの神憑りにはある階梯(ステップ)があることが想定されている。
① 太鼓、笛、鈴などの楽器を奏しながら単調なテンポで踊ることで、自己陶酔から自己催眠に入り、忘我になるのが第一段階。そのとき酒や薬草、特殊な煙を吸い、また身体をリズミカルに打ったり、水浴して冷やしたり、火に入って熱したり、化学的、物理的刺激を与えたり、自分を異常心理に導く努力をおこなう(これをエクスタシーという)。
② 次に自己催眠の中で、自己の脱出、自霊の虚脱が行われ人格転換がおこなわれる(これをトランスという)。
③ すると、信ずる神や霊(人、動物、植物など)がのりうつると感じる(これをポセッションという)。
④ そして、霊がこの神憑りした人の口や動作を通じて、意思を託宣する(オラクルという)。
このように神や霊がシャーマンに憑依するとき、肉体が躍動したり震えたりするのを「シャーム」と呼んだことから、シャーマニズムと言われるようになったとされている。シャーマンが神憑りによって託宣をし、それが神意そのものとして、ひとびとの社会生活に影響をおよぼすような風習は、沖縄や朝鮮では最近まで有力な信仰として残っていた。おそらく卑弥呼は、その遺伝的素質や修行によって神憑りを自在におこなうことのできる技術を身につけたものとおもわれる。
それは宗教的権威にとどまらず、政治的采配にまでおよぶようになった。『後漢書』には、倭の時代以降、邪馬台国において卑弥呼が擁立された背景として、彼女の「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」能力をもって、部族国家同士の戦乱を収束させたことを匂わせている。つまり、二世紀末の並立する有力部族国家同士の争いの過程で、初期の邪馬台国政権においては、従来の結合関係とは異なる大きな宗教的・政治的再編成がおこなわれ、より高次の結束がもたらされたことで戦乱を収束させることができたのである。それとともに、次第に国家連合を拡大して、統一部族(連合)国家の出現を促したことはまちがいない。その宗教的、政治的推力は、卑弥呼と呼ばれる司祭者と国々から集められた宮廷巫女の集団が祭祀儀礼を共有することによっておこなわれたとされているのである。
卑弥呼を指して「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」という言い方の中には、神憑りが鬼と呼ばれるような幽魂や亡霊の類を招きよせ、その異常心理から託宣することに長けていたことをうかがわせるが、彼女の能力は、もちろん、政治的、軍事的なものばかりでなく、天候による豊作、凶作を占うとか、農耕生活にまつわる神の宣託が、その宗教的威厳の中心に据えられていたのはまちがいない。
卑弥呼以前の古代の部族国家においても、それぞれこのような巫女をかかえ、その託宣は少なからず政治や軍事に影響を与えており、神権政治と呼ばれたのは邪馬台国だけの特性ではなかったのだが、卑弥呼の場合には、以前の男王のときには国が乱れたとあるから、女性の宗教的祭祀として部族国家さらには諸国家相互を統べる妖術ともいえる技術がきわだっていたものと考えられる。
このシャーマニズムはシベリアから北東アジアの広い範囲に分布するとされているのであるが、樋口はわが国の原始信仰を二重性においてとらえた。ひとつは、呪物崇拝、祖先崇拝、自然崇拝から生霊信仰(イキミタマ信仰)まで、人類の歩みの初期段階においてあらゆる事物(動物、山河、海、岩、風、太陽)に霊が存在するとして崇拝するアニミズムである。これは南アジアの照葉樹林帯特有の信仰であるが、特に、稲作が行われはじめるとともに、農耕に関わりが深い水、雲、山、蛇、太陽に信仰が集まってきた。
一方、北東アジアから持ち込まれたシャーマニズムは、そういうアニミズムの霊魂をシャーマンが憑依する神にしてしまったことから、農耕民にとって太陽(日の神)に対する霊魂信仰は、シャーマニズムに習合しやすかったと考えられるのである。このため、樋口清之は、『記紀』神話においてアマテラスの日の神が最高神としてあらわれるのは、もともとあった南方由来の太陽アニミズムの上に、「支配階級」が持ち込んだ北方シャーマニズムによって継ぎ目が分からなくなるぐらいに縫合した結果ではないかと推測している。さらに、農耕にとって不可欠な雨の信仰、山の信仰、水の信仰などを包めて、シャーマニズムの対象に吸収したのではないかと考えた。これは折口信夫が、まれびと信仰が常世神を客人として受け入れる型を保存したまま、日の神の信仰を受け入れた経緯を説明していることとも符合する。
折口は、はっきりと、日の神の信仰は常世神の思想とは全く別のルートをたどって成長してきたと考えており、それ以前の古代人の信仰は、もともと、アニミズム的な常世信仰、祖先崇拝や生霊信仰が一般的であったが、それがあらたに出現する神を仰ぐ心が深かったため、ある部族の信仰であった日の神の信仰が、それらの農耕土着信仰を包み込む形で取って代わり、普遍化する経路をたどったと述べている。
その際、折口にとって常世神とは、わが列島の住人が土地の精霊や動物を神と信じるほど古い信仰が生きていた先祖の土地の記憶に結びついており、その名残りをたぐって「其以前の祖先が居た土地」に対して折口が抱いている懐かしさは、列島の住人にとって非常に長い時間の射程をもっていることがわかる。
おそらく、樋口がここでシャーマンを擁した「支配階級」と呼ぶのは、当時、大陸の高度な文化を背景に、卑弥呼らの支配層は、アニミズムに近い意識にとどまっていた農耕土民の中に、朝鮮から高い稲作文化や技術とともにシャーマニズムの信仰を持ち込んだ勢力ではないかという憶測の上に立っている。実際に卑弥呼の出自が朝鮮半島経由であったかどうかはわからないが、北東アジアのシャーマニズムが進出してきたことで、農耕土着的な信仰の根幹を揺るがしたことだけはまちがいない。この問題は、卑弥呼の邪馬台国だけではなく、アマテラスの日の神信仰を携えた勢力にも共通する背景をもっており、『記紀』神話に綴られた大和王権の出自を考える上でも参考になる。
ミルチア・エリアーデは、シャーマニズムの発祥の地であるシベリアおよび中央アジアを中心に、世界中の膨大な数にのぼるシャーマンの技術と理論の形態をスケッチ風に描いた。それによると、シャーマンは世襲制だが、シャーマンになるためには特別な資質と神から選別された保証が必要だった。選ばれた若者は病弱な割には逆上しやすく、孤独を愛し、夢と現実の境に彷徨っているような夢見がちな者に限られたという。彼らはシャーマンとしての教育をうけ、神々の名前と形態、部族の系譜と伝承、神話などを学び、部族全体から承認されてはじめてシャーマンとして認められるのである。
シャーマンになるには、イニシエーションという儀式をくぐらなければならなかった。ヤクート人の報告によると、邪霊がシャーマン候補を死の国に連れ去り、ひとつの家の中に幽閉し、ここで肉体の解体と死と復活の儀式が執り行われる。邪霊は彼の頭部を切り取ってそばに置き、彼の体を小さなバラバラな断片に解体してしまう。そして、その断片はいろいろな病気の精霊に配分されるという。それからのち、再び、彼の骨は新しい肉で覆われ、新しい血液も与えられるのである。そういう幻想的な苦行を通過することによってのみ、シャーマンは病気治療の能力を獲得すると言われている。
このイニシエーションのパターンは、世界中のシャーマンに共通しており、だれもが夢遊病者のようなエクスタシーの中で、水の女王や冥界の王、動物の女王と出会い、宇宙の頂点である「世界の中心」に案内される。さらには、悪魔的存在から手術によって肉体を引き裂かれる責めを受け、病気の精霊、邪悪な霊の弱点を知るまでにならなければならないのである。シベリアやオーストラリアにもみられる儀式の共通のテーマは、死と復活のシンボリズムであり、いずれも神話にもとづく宗教的、儀礼的体系に一致する。つまり、イニシエーション的ドラマは身体の解剖をともなう死と蘇生の表現なのである。
これらはシャーマン候補が、過去の自分を脱ぎ捨てて、新たな生を踏み出すために避けてはとおれない通過儀式であった。彼らは何か月も森の中に隔離され、死者と同じような状態のまま置かれ、体を傷つけられ、断食し、飢えと寒さの責苦に耐え、過去の記憶をすべて喪ってしまったあと、亡霊のような姿になって村に戻ってくる。エリアーデはシャーマンに不可欠な要件としてトランスやエクスタシーという言葉を頻繁に使っている。未来のシャーマンを選ぶばあい、エクスタシーの中で死者霊や精霊を見ることは「憑依」するしないにかかわらず、重要な意味をもっているからだ。霊をみることはシャーマン自身が霊として死んだことにほかならない。そのとき彼は精霊の容器になり、精霊を統御することができるようになると信じられていたのである。
わが国においても同様に、死と再生のドラマを演じる儀式を大嘗祭(オホムベマツリ)の中に見ることができる。先帝がなくなったとき、大嘗祭では次の天子になる皇子は、宮殿の悠紀(ユキ)・主基(スキ)両殿の中の御寝所に引きこもって、御物忌み(ミモノイミ)をおこなう。御寝所には蓐(シトネ)、衾(フスマ)をおいて布団や枕もそなえられている。この期間が「喪」の期間と呼ばれ、魂が身体に入るまでの待機の状態である。
これは帝位の譲り渡しを行う儀式にはちがいないのだが、葦原ノ中国を治めるものは新たに生まれるものでなければならないという古代の観念に基づいていた。この殿内で次の天子は新穀を食べることによって、この五穀実る豊葦原ノ水穂の国の豊穣さを約束する呪力を身につける。その能力は亡くなった天子から新しい天子にそのまま手渡されるのではなく、新しい天子は今までの生を終わらせ、新たな生の誕生を条件にする。つまり、次の天子は新穀を食べると同時に殿内の神座で布団にくるまり、臥して胎児の状態に戻った後、再び誕生を迎えるという再生の模擬行為をおこなったとみられている。
この神殿の中にはアマテラスの神座もしつらえており、変身して生まれ変わった天子は、アマテラスの面前でみずからの子として認められる。『古事記』において、生まれたばかりのニニギノミコトが天孫降臨したのは、このような秘儀の象徴行為を裏づけているのである。
同じことを折口信夫は「すぢぁ」にみえる思想として語っている。つまり、すでるという言葉の原義が、「あら人神」という神があるという意味に近く、霊魂は幾代にもわたって新たに生まれ変わり連綿として続くとした。その表れ(すでる者)としての社の神主は、「みこともち」の資格をもち、更には、その祀る神にもなった。そして、その世代交代は外来魂が来るときにおこなわれ、常世の水の信仰によって裏づけられる。その若返る水(若水)によって繰り返し霊力が改まると考えられたのである。
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