来年はオイクシで“500年祭”か
DNA鑑定が話題にのぼってきた東チモール
人物照合や病気予防などに利用されるDNAの鑑定や解析の技術はなにかと話題にのぼる今日ですが、東チモールも例外ではありません。
解放軍の英雄デビッド=アレックス司令官(1997年にインドネシア軍に捕まり、その後死亡)の遺体が埋められた場所がインドネシア人から提供された情報で判明し、その遺体が本人のものであるかどうか確認するために家族のDNAと照合しているという話をわたしはききましたが、その後、どうなったかはまだきいていません。そのDNA鑑定はシンガポールでおこなわれているらしいのですが……。一般庶民にとって敬愛されるデビッド=アレックス司令官が国家によって公式に霊が慰められていないのは心残りなはずです。もしその遺体が本人のものであったと確認されたら、きっと大掛かりな葬儀が行われることでしょう。
東チモールの場合、国外でDNA鑑定を依頼するので、結果が本国へ届く過程で、結果が何者かによって変えられてしまうのではないという不信感が付きまといます。日本人にとっても、どの国の人にとってもそうかもしれませんが、例えば行方不明になった自分の家族の遺体がどこか外国で発見され、そこでDNAを採って鑑定されたとしても、その鑑定をした国情しだいでは、はい、そうですかと、素直にその結果を信じる気になれないのではないでしょうか。
デビッド=アレックスのDNA鑑定を、インドネシアかオーストラリアで行うという話を。デビッド=アレックスの一人息子・アラリコ君は断わり、シンガポールを選んだのだとわたしはききました。インドネシアとオーストラリアは東チモールを侵略した当事国であり侵略を擁護した国なので、おそらく不信感があるのでしょう。
5月27日、現職の法務大臣であるデオニジオ=バボ氏とその別れた妻のあいだで裁判がデリ(ディリ)地方裁判所で行なわれました。ちらりと新聞の見出しを見たとき、現職大臣の裁判だと、また汚職か、と一瞬おもいましたが、違いました。別れた妻が元夫にたいして子どもの養育費を支払えと訴える民事訴訟でした。
この裁判で注目されるのは、『チモールポスト』紙(2014年5月28日)によれば、バボ法務大臣はその子ども(13歳)は自分の子どもではないと主張していることにたいし、元妻は子どもがバボ法務大臣のものであることを証明するためにDNA鑑定を要求し、そしてその結果、その子はバボ氏の子であるこが証明されたことです。
『インデペンデンテ』紙(2014年5月28日)によればこの裁判は非公開でおこなわれ、弁護士の発言も明確ではないとのことで、詳しい内容はわかりません。この件はまだ係争中です。
このような状況なので定かではありませんが、わたしの耳に入った話によれば、元妻はアラリコ君と同様に、DNA鑑定をインドネシアかオーストラリアでされることを拒否したそうです。理由は、インドネシアかオーストラリアでされるとバボ法務大臣は結果を変えてしまう恐れがあるからだということです。そしてこのDNA鑑定がされたのは他の第三国だったというのですが、本当でしょうか……?
大臣の力が及ばない国でのDNA鑑定でなければ信用できないという元奥さんの論理に依るならば、よしんば東チモールでDNA鑑定ができるようになったとしても、逆に国内であるからこそ結果になにかしらの作為が含まれるという可能性がつきまとってしまうことになります。アラリコ君と大臣の元奥さんから東チモールの一般庶民に話をひろげてみて、もし一般庶民にDNA鑑定が適用されたと仮定すると、東チモール人は結果に不信を抱くのではないでしょうか。一般庶民には、権力者や力のある者たちが不法に正義に介入する社会に自分たちは暮らしているという自覚があるからです。人びとの信頼がなければ科学技術は純粋にその効力を発揮できないことを、DNA鑑定が話題にのぼる東チモールで考えさせられました。
約10日間のオイクシ滞在を終えた大統領
5月20日のいわゆる独立記念日、つまり「独立回復の日」をオイクシで祝ったタウル=マタン=ルアク大統領はその後もオイクシに滞在し、「特別経済区」の“鍬入れ式”に参加したり、各地の住民との対話集会を開いたりしたことから、最近の新聞にはオイクシの記事がこれまでにないほど頻繁に掲載されました。
そのなかに、例えば一部の住民にはまだ東チモールの国旗がわからずインドネシアの国旗を使っているという記事がありましたが、それだけを読むとその住民は東チモール行政の手が及ばない疎外され正しい情報をうけとっていない気の毒な人たちであるという印象をうけます。しかし一方で一部住民がインドネシアの通貨ルピアを使用しているという記事を読むと、遠い東チモール中央政府の愛国心はちょっと脇に置いて、近くのインドネシア人と商売するためにインドネシアの国旗を利用しているのではないという気がして、逆に庶民のしたたかさ・たくましさを感じてしまいます。生きていくために、国境沿いの住民が“密航”をしているとしても、誰がかれらの罪を問えましょうか
さて「特別経済区」ですが、最初、「マスタープラン」と呼ばれ、いまは正式な名称としてZEESM(Zona Espesial Ekonomia Merkadu Sosial=社会市場特別経済区域)と呼ばれています。この開発計画の責任者は野党フレテリンのマリ=アルカテリ元首相です。アルカテリ元首相がこの計画を得意げな顔をして発表したのはポルトガルから帰国したときでした。「タシマネ計画」に負けないくらいのきれいなイラストで描かれた完成予想図をひっさげて「マスタープラン」が発表されました。当初の「マスタープラン」から今日のZEESMとなるまで、この計画の論点としてオイクシが精査され分析された形跡はありません。少なくとも新聞報道からうける印象ですが、政府が事業計画についてオイクシの各自治体や住民とどのような協議を重ね、どのような意見が交わされているのか、さっぱりわかりません。新聞には政府寄りの意見、しかも大雑把な意見しか載らないのです。
こうした観点からも、「社会通信法」つまりメディア法(意味をとれば「報道規正法」と呼ぶべき)が施行されてしまえば、ますます政府の進める公共事業がわかりづらくなるという危惧を抱いてしまいます。5月30日、長期間のオイクシ滞在を終えたいま、大統領はメディア法の検討に取り掛かることでしょう。結果が注目されます。
東チモールでは電気・水道・道路の基盤整備を整え、建物をたてることだけをいえば住民の利益になる開発事業だという説明をしたことになってしまいます。なぜそれが住民の利益になるのか、丁寧に説明できる政治家や役人はいません。一方、庶民といえば、開発とは工事を受注する会社とその関係者の懐にまとまった金が入るだけであって、工事内容は雑で質がなく自分たちには恩恵が巡って来ないという感覚が肌に染み付きつつあります。現実から学んでいるからです。
オイクシを“開発”する前に
オイクシ関連の新聞記事のなかで一番目をひいたのは、「オイクシの大部分の住民はテトゥン語を話せない」(『チモールポスト』2014年5月26日)という見出し記事でした。タウル大統領が住民と対話するさいに、テトゥン語(ポルトガル語とともに東チモールの公用語)を話せない住民が大半であることから、大統領は通訳を介さなくてはならないというのです。オイクシ(隣接するインドネシア領の一部も)ではバイケノ語という言語が話されています。バイケノ語しか話せない若者が首都へ来てもテトゥン語を話せないと職を探すには難しい、若者だけでなくお年よりも自治体の首長たちもテトゥン語を話せない、ある住民は政府にオイクシでテトゥン語を普及させるための教育をしてほしいと訴える、というのが記事の内容です。東チモール諸言語のなかで公用語となったテトゥン語と他の地方語との間で格差が経済格差とともに広がっています。
飛び地オイクシにいかずとも、東チモールは多言語社会です、大なり小なり、母語・地方語と公用語の関係のなかで特に教育現場において、問題を抱えていまが、やはり飛び地では悩みの程度は大きくなっているようです(見方によっては、外からの言語影響を受けにくいことをプラスの要素とみなすこともできるはず)。オイクシの教育現場でははたしてどのようなことになっているのでしょうか。母語であるバイケノ語で初等教育の基礎を固め、徐々にテトゥン語や外国語の読み書きを教えているという想像は、首都の比較的恵まれた教育環境にある子どもたちのノートや教科書を見ると、とてもではありませんができません。教師がテトゥン語やポルトガル語あるいはインドネシア語を使って教えているのではないかと想像してしまいます。
箱物で成果が視覚的に表れる開発をする前に、オイクシの言語状況をよく研究したうえで開発に必要な人材を育てる事業を軌道に乗せるのが先です。ZEESMの開発計画に、オイクシの言語状況が視野に入っているかどうかがとても気になります。
来年2015年、ポルトガル人がチモール島に到着して、オイクシのリファウ(Lifau)という所を最初の拠点としてから500年目を迎え、その記念祭が催されるといわれています。いま、首都デリで要所要所の道路側溝の工事が急ピッチでしかも大々的に行われているのは、東チモールがこの7月にモザンービークに継いでCPLP(ポルトガル語諸国共同体)の議長国になるまえに整えておきたい体裁のためではないかと感じている人は多いはずです。それと同じようにオイクシでは来年の500周年記念の式典にあわせてZEESMを見切り発車させたのではないかと疑いを抱く人も少なくないはずです。
東チモール全土とオイクシ地方の言語状況の比較
2010年の国勢調査によればオイクシ地方の人口は6万4025人です(東チモール全人口は101万6409人)。オイクシ地方(県)のパンテマカサール準地方(市)のなかにリファウ(町)があります。そのリファウの人口は2049人、バイケノ語を母語とする人は98%、2%がテトゥン語です。リファウに限らずオイクシ全体でも各準地方でバイケノ語を母語とする人の割合は97~99%、残りがテトゥン語となっています。東チモール全体ではテトゥン語を母語とする人の割合はおよそ36~37%です。テトゥン語を母語としない多くの人がテトゥン語を話しているのです。テトゥン語を話せない・読めない・書けない、という人は、東チモール全体で約12.8%、約87.2%が話せる・読める・書ける、のどれかまたはそれら全部ができる人です。しかしオイクシではテトゥン語を話せない・読めない・書けないという人が約55.7%と過半数となっています。
国勢調査によれば、テトゥン語以外で地方語となる母語がバイケノ語一語になっているのは東チモールの他の地方と異なる興味深い点です。なお、たんにテトゥン語といった場合、テトゥン-テリック語と呼ばれる古典的テトゥン語ではなく今日一般に話されるテトゥン-プラサ語を指します。
テトゥン語のついでに、ポルトガル語・インドネシア語・英語にかんして東チモール全土とオイクシ地方を比較してみます。
表:5歳以上の東チモール人の識字状況(2010年国勢調査より)
東チモール全土とオイクシ地方の比(赤文字は東チモール全土、青文字はオイクシ地方)
東チモール全体の5歳以上の人口=901,323人
オイクシ地方の5歳以上の人口=52,769人
(%数字は小数点以下二桁目を四捨五入した)
① 話せない・読めない・書けない
② 話せるのみ ③読めるのみ ④話せて読めるのみ
⑤ 話せる・読める・書ける
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4873:140604〕