書評 「近代の超克」論議

太平洋戦争の開始からほぼ1年たった昭和17年9月、雑誌『文学界』に『近代の超克』と銘打たれたシンポジウムが掲載された。この「近代の超克」という言葉は、それ以後、知識人をとらえ、シンボルとして使われるようになる。保田与重郎を除いて当時の論客がほぼ揃った感のあるシンポジウムの出席者は、三つのグループで構成されていた。「文学界」同人グループ、京都学派グループ、日本ロマン派グループである。司会は河上徹太郎、出席者は西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、小林秀雄、亀井勝一郎、林房雄など13名である。

今日から見ると、『近代の超克』という課題は、さしずめポスト・モダンの呼びかけとも同一視されかねないが、この討論が行われた背景はなんといっても対米英戦争の最中、しかも開戦緒戦の戦勝ムードに酔いしれている時期であったことである。文学者の多くは開戦を無邪気に喜び、暗雲が晴れたように気持ちを高ぶらせていたのであり、このことを割り引かないと、とうてい彼らの思想の実質には届きそうもない。その一方で、気づかなければならないのは、それまでにわが国はすでに10年近くにわたって中国大陸で戦争をしており、太平洋戦争から戦争が始まったのではない事実である。

このような陰影はここに参加したひとたちに共有されていなかったはずはないとおもえるのだが、竹内好によると、アジア情勢に対する無関心は驚くほどであったとされている。そのことが、『近代の超克』に関する竹内の最大の問題意識にとれる。この場所では戦争一般の定義ではなく、どの戦争のどのような戦争の側面かが具体的に検討されなければならなかったはずなのだが、出席者のだれも「近代の超克」のためには戦争一般が不可欠であるというふうなとおりいっぺんの解説しかできなかった。竹内はこのことにおいてすでに戦争理念の破綻をみてとった。

戦争理念、つまり、大東亜共栄圏を目指した大東亜戦争の理念は、一方でアジアを主張し、他方で西欧を主張する使い分けの論理にほかならないが、わが国はアジアの盟主を自認しながら、アジアに対する無関心と優越意識があるかぎりアジア諸国との連帯は望むべくもなく、相反する意識はたえず二足のわらじの対手を緊張感に誘い、相互矛盾は拡大していった。なぜなら、アジアの盟主になることはアジア諸国の植民地解放運動を敵にまわすことになり、一方で、みずからアジアの原理を欧米に承認させなければからないからだ。

だが、わが国の実際のアジア政策の中身は、ほとんど原理・原則を放棄しているに等しかった。したがって、その対アジア、対欧米両面においても、いずれ破綻をまぬがれなかったのである。竹内は、その破綻は欧米に対してはアジアであり、アジアに対しては欧米であるヌエ的二重構造の結果であり、どちらにしても「永久戦争」の立場に帰着せざるをえなかったと考えた。つまり、戦前のわが国の国際的立場は振り子のようなもので、たえず、不安定で持続的な緊張と戦争を内包していたことになる。そのことに気づき、どういう手立てを行うことができるかがこのシンポジウムで試されていた。

しかし、ここで立ち止まって考えると、竹内の主張に対してある疑問が湧いてくる。ひとつは、その連帯をつくるべきアジア的原理なるものが、孫文の三民主義や毛沢東のマルクス主義に結実したとか、社会主義という上部構造をそのままにした中国の近代化であったりすることには納得がいかないということである。もうひとつは、欧米に対してアジアであり、アジアに対して欧米であることからくる永久戦争の論理は、わが国独特の環境によって生まれたものではないとおもえることだ。

いいかえれば、先進国に対して後進国であり、より後進国に対して先進国であるわが国の二重性は、西欧近代の発展段階論をなぞったにすぎないのである。それはむしろ、より先進国、先進国、後進国、より後進国の序列の時間軸をもとにピラミッドのように形づくられた資本主義の歴史事実であり、もとはといえば、西欧近代の歴史観の落とし子といえる。しかも、より先進国であるか、より後進国であるかという媒介項をのぞけば、あとには先進国と後進国の対立しか残らないから、各国がすべて近代化してしまえば、竹内のいう永久戦争観は意味をなくしてしまうのである。少なくとも、大東亜戦争の論理は、復古や反動だけからできあがったものではなく、西欧の近代的な装いを背負い込むことで成立していた。事実、敗戦は莫大な犠牲をはらって、攘夷と開国、東洋と西洋という対立軸の無力化を証明した。

竹内は、大東亜戦争の思想体系を①総力戦②永久戦争③「肇国(ハツクニ)」の理想の三本の柱が一体化したものと想定し、戦時のあらゆる思想はこの「公」の思想との関係において距離感やバランスの上で展開したとみなしている。あの総力戦の時代は、一部の軍国主義者のみが戦争を扇動したのではなく、大部分の国民も戦争を歓迎していたからだ。その意味で総力戦の体制においては抵抗と屈服とは紙一重だったことになる。

竹内のみるところ、この「公」の思想をもっともよく体現したのは京都学派の哲学者たちであった。彼らは「世界史的立場」としての日本の役割を太平洋戦争に結びつけ、それは日本人がみずから「世界史の哲学」を完成しなければならない危機意識と隣り合わせにいた。そして、その「世界史の哲学」は西欧に対抗するわが国みずからの西欧近代的なものの否定、つまり、「近代の超克」そのものであった。そこで新たな世界的日本文化の創造という使命はそのまま、新しい世界史の原理を確立することであり、それは天皇制の原基ともいえる「肇国」の理想に求心する。

そして、そのイデーのための戦争は、人類の魂を浄化することにあり、戦争は歴史をつくるもっともヴァイタルな力であり、近代が行き詰ったところにはどこでも戦争があるという戦争観にもとづいていた。そのような戦争は、講和や平和を目的とするものではなく、それらの次元を超えたものになり、この総力戦は戦争と平和という対立概念を止揚する創造的、建設的な戦争と位置づけられる。これらは開戦の詔勅を見事に解析し、解釈したことにつながる。だからこそ、ここにあらわれている思想は、「公」の戦争自体の論理の破綻をなぞることになったのである。

また、当の戦争自体が目的化してしまうと同時に、戦争の目的そのものがみえなくなり、思想的混乱をもたらすことになった。ここにいたって、最初に述べたように戦争の解決不能性が露呈してしまい、その点が多くのひとたちにとって戦争の意味がたどれなくなった最大の理由があるのである。ここまでが竹内の京都学派に対する大まかなイメージであるが、彼は京都学派を教義学と呼んでおり、戦争とファシズムのイデオロギーをつくりだしたのではなく、単に公の思想を祖述したにすぎないと評している。彼らの思想の力が現実を動かした事実はないとしたのだ。

≪日華事変は解決不能であり、そのために解決の無期延期の手段として太平洋戦争がはじまった。したがって戦争は当然、永久戦争たらざるをえない。京都学派には永久戦争の紙の上での説明はできるが、解決はできない。そうならば「戦争反対」を叫ぶことで、あるいは戦争反対勢力を結集することで解決できるか。それはできるだろう。しかし、総力戦の中からどうやってその勢力を結集するか。どういう論理で戦争を平和に転換できるか。「和戦という低い対立」を観念上で超えるだけならば「絶対無」の哲学でできようが、それは問題にならない。思想が現実にはたらきかけるものとしての、その思想の論理は何であるか。これは戦争中についに発見されなかったし、今でもまだ発見されていない。≫『近代の超克』 竹内好著

わたしたちは竹内のこのような言葉に触れると、当時の総力戦の異様な雰囲気の中では、どのような思想であろうと無力であることを思い知らなければならない。それは京都学派のようにもっとも体系的な形而上学的思弁(思想)であろうと戦争を推進することも、逆に、戦争を抑止することも不可能なことにおいて実地に証明されたかにみえる。しかし、竹内の思想の主調色は決してペシミズムではなく、僅かな可能性かもしれないが、大東亜戦争の二重性にくさびを打ち込み、絡んだ糸のもつれを解く方法を模索したのである。

おそらく、竹内の思想の行き着くところは、アジアの原理(ナショナリズム)と近代の原理を肌身につきあわせながら、近代化する方法の模索に集中していただろうことは予想できる。それに対して『近代の超克』のシンポジウムの結論が、「四分五裂で、実りを結ばないまま時局に押し流された無残さ」に終わったことが残念だったにちがいない。

「近代の超克」派の発言のいずれにも、求められていたはずの時局に面した個々の主体性の問題、あるいは人間の問題が抜け落ちていた。その事実の側面からいうなら、大東亜共栄圏の夢は現実に掠りもしなかったのである。アジアの原理(ナショナリズム)とは何か、西欧近代の原理とは何かもよくわからないまま、勝手に思い込んだアジアの大義を掲げて戦争は拡大していくにもかかわらず、思想でさえも戦勝気分にのって浮かれ、判断停止したままだったからである。この場合、思想と現実の齟齬は、思想が人間の内面の原理をどの程度つかみ、現実の一歩先に歩を進めているかに懸かっていたとおもえる。

しかしながら、わたしは、その要請に答えられなかったということで京都学派の思想を棚上げしてしまうことはできないとおもう。彼らが超えようとした近代は戦争こそないが現在も続いており、無力感において先の大戦の折とそれほどちがった環境のもとでわたしたちは生きているわけではないからだ。もしかしたら、彼らが提出した近代のゆきづまりの形而上学は、その歴史認識自体において永続的な課題が秘められていたかもしれないのだ。

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