暴論珍説メモ(136)
昨日、投開票が行われた第47回衆議院選挙は事前のマスコミ各社の予想通り自公両党の与党陣営の圧勝に終わった。任期なお2年を残し、これという差し迫った争点もない時期に衆議院解散に踏み切った安倍首相の思惑は、支持率の高いうちにあらためて衆議院での絶対多数を確保して、これまでの2年にプラスすること最大4年の長期政権の基盤を固めることであった。それに対して有権者は至上最低の投票率で応えたために、安倍首相の思惑を是とする人々の票の価値を高め、こういう結果がもたらされた。われわれはこれを日本の不幸と考えるが、選挙の結果である以上、現実として受け入れざるを得ない。
しかも悪いことに自公両党は、衆議院定数475の3分の2(317)を超える議席を獲得してしまった。
この結果は重大である。まず参議院が衆議院と異なる議決をした場合には、与党はいつでも衆議院で3分の2の多数で再可決して、衆議院の議決を国会の議決とすることが出来るようになった。つまり参議院の意思はいつでも無視されうることになり、2院制は実体がなくなり、参議院は陽炎の如きものとなった。
次に与党はその強くなった衆議院において憲法改正の発議をいつでも行えることになった。その状態そのものが、憲法改正が具体的な政治イッシューとして常に議場に掲げられていることを意味する。おそらく安倍首相は騎虎の勢を駆って2年後、2016年の参院選でも3分の2を得て、一気に憲法改正を実現することを目指すであろう。それは第2次大戦後の日本政治の最大の分岐点となる。われわれはそうなった場合の最悪事態に備えなければならない。
1955年以来、長く政権の座にあった自民党は「憲法改正」を悲願としてきたが、それを発議するには衆参両院それぞれ3分の2の多数が必要という条件が壁となってきた。安倍首相はその壁に業を煮やして壁そのものを撤去(発議の条件を過半数に緩和)しようとさえ企んだ。
一方、憲法を守る側にとってはよもやその壁が改憲勢力によって乗り越えられるとは思わず、「改憲の危険」を口にしながらも、その危機感には現実味がいまひとつ乏しかった。ところが今や、こともあろうに改憲に執念をもやす安倍政権の時代に、その壁の一つがやすやすと乗り越えられてしまったのである。
安倍首相の改憲の眼目が9条の改正にあることは明らかだが、今こそ、そもそもその目的はなんなのかを見極めておく必要がある。
改憲は自民党結党以来の「悲願」と言ったが、1955年当時を考えれば、これは日本が軍隊を持つ必要に迫られての悲願ではなかった。東西冷戦下において日本が独自に軍隊を持つかどうかには大きな意味はなかった。仮に持っても、米ソ両大国の強大な軍備が向き合う背後での小さな変化に過ぎなかったはずだ。
それがなぜ悲願であったか。安倍首相の祖父である岸信介のような、敗戦までの歴史に何らかの責任を持つ世代の人々は「憲法9条」を日本の敗戦に対するペナルティと受けとめていた。だから当時すでに存在していた自衛隊を「軍隊」と名前を変えて、多少攻撃性の強い武器を持たせることが目的ではなくて、「軍隊を取り上げられた」という屈辱的なペナルティをはねのけて敗戦国日本の名誉を回復し、同時に「敗戦の責任者」という自分たちの不名誉をも雪ぎたいというのが悲願の中味であった。
その悲願がなぜ文字通り孫の世代まで受け継がれて来たのか。別に軍事的に改憲の必要性が高まったからではない。やはり「名誉」のためである。自民党が輩出した数多くの首相のすべてが改憲に熱心であったわけではない。むしろ多くはその話を避けてきた。熱心だったのは中曽根康弘と安倍晋三の2人だけである。
この2人はとりわけ自己顕示欲が強い。歴代の多くの首相が避けてきた難題だからこそ、自分の手でやり遂げて勇気ある政治家、日本の名誉を回復した政治家という「自分の名誉」が欲しいのである。
考えてみれば、憲法9条を削ったからといって、今の日本が急激に軍備を増強できる余裕があるわけもなく、またその必要もない。しかし、だからどっちに転んでも大したことはないと考えるのは大間違いだ。
なぜなら近隣諸国との関係が大いに悪くなるからだ。現在でさえ安倍首相をはじめとする日本の戦争責任を認めたがらない政治家の言動が近隣外交をギクシャクさせているのに、この上改憲が重なったら我が国はアジアで孤立を深めるだろう。
その国家的損失は政治家の個人的名誉欲と引き換えにするにはあまりに大きすぎる。改憲論者は中国の軍備増強とか、中東の緊張とか、国際的テロの横行とか、ありとあらゆる理由を並べ立てるが、実際に日本が今以上の武力をもたなければならない脅威がどこにあるというのか。尖閣や竹島で事を構えるほどわれわれは愚かではないはずだ。
とにかく、衆議院で与党勢力が3分の2以上を占めるという事態は異常である。これが政治家の私欲に利用されるような事態はなんとしても避けなければならない。情けない時代になったものだが、「満つれば欠くるが世のならい」を信じて、最悪に備えよう。
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