マ・ティーダの獄中記「良心の囚人*―インセイン刑務所を通じての私の歩み」を読んで (6)

Ⅳ 社会活動家として東洋と西洋の統合を体現する
 マ・ティーダは医者であり小説家であり社会活動家であるという、ミャンマー民主化運動が生んだ多彩な側面を持つ稀有な人格です。医療技術を手に慈悲という東洋的ヒューマニズムに基づく奉仕活動を行ない、かつ獄中での闘いを権利と自由のための闘争として総括することによって、近代的個人と市民社会の確立のため人々に思想と行動の模範を示しました。我々はそこにマ・ティーダと我々とが交差する一点を見出すのですが、そのことで少し回り道をさせてください。
 私は先に近代社会は主客分離を認識論的条件として成立したと述べました。近代の科学は対象世界(自然、社会)からキリスト教由来の目的※や価値を排除し、それを純粋に数学的に規定できる量的世界に還元することによって成立しました。※たとえばキリスト教的な終末論では、人類に終末の日が来たりてキリストが再臨して地上を支配する千年王国(至福千年)が実現され、やがてその千年王国の終わりには最後の審判が下され、永遠の生命を与えられるものと地獄に墜ちるものとが分けられるという。
 実験、データの数学的処理と法則の数学的定式化(例えば万有引力の法則 F = GMm/r2)によって、人類は自然力を利用する力を獲得し、法則の技術的適用は大規模な自然・社会改造を可能にしました。その場合対象世界から剥奪された宗教由来の目的や価値にとって代わったのは、新興ブルジョアジーが掲げる「進歩」の観念でした。彼らは対象世界から追放した目的論なり価値論に代わるものとして、進歩を歴史が進むべき方向性であり、人々の思想と行動のガイドラインとして導入したのです。ヘーゲルというドイツの哲学者は「歴史は自由の意識における進歩である」として、古代ギリシアからフランス革命にいたる西欧史を自由拡張の大道であると位置づけたのです。今日ではヘーゲルの歴史観はオリエンタル世界を無視したヨーロッパ中心史観であるとか、根拠のない進歩史観であるとする批判を受けています。しかし細かい議論は別の機会にするとして、私は人類全体にとって自由、人権といった普遍的な価値を有する概念を中心に世界史を見ていくことは極めて重要であると確信しています。日本国憲法第93条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」との文言は、今日様々な留保や条件が必要にしても我々の歴史を我々にとって意味と価値あるものにしているものであり、歴史の目的論であるといってもいいと思います。もちろんそれは神が設計した宗教的目的論(teleology)でもなく、それに準じた歴史の必然性といったハードな概念でもありませんが、我々が先人から継承すべき歴史遺産であり、未来へ向かっての努力目標といったものでありますが、我々をニヒリズムに陥らせないだけの確たる根拠あるものです。
 NLD政権によるミャンマー政治が次第に精彩を欠くようになり民主化の筋道が曖昧化しつつとき、いったん政局や政治から眼を離し長いパースペクテイブでこの国の歩みを眺めるのも必要でしょう。私がマ・ティーダに期待するのは、彼女であればミャンマー人仏教徒としての深い造詣から人々の内面への理解に基づいて、強制でなく自発的に自己変革を遂げていく道筋をつけられるだろうというところです。人々が自尊感情を回復できれば、他の宗教や思想に対する寛容さも自ずと生まれてくるでしょう。彼女は医者として貧しい人々に寄り添って活動を続けると表明しています。恐怖からの自由の闘いにスーチー氏が必ずしも積極的でないことに、マ・ティーダは批判的であるようです。また国民和解についても、その出発点は加害者側の謝罪だとたびたび述べています。残念なことに二十数年の歳月はスーチー氏と88世代との溝を広げつつあるようにもみえます。
 マ・ティーダが1999年に釈放された際のマスメディアへの第一声は、「ミャンマーそのものが監獄なのです」でした。出獄しても自分の闘いは終わらない、ミャンマーを軍部支配という大きな監獄から解放する仕事がまだ残されている、自分はこれからもこの事業に関わり合っていくという静かな決意表明でした。2016年4月のNLD政権発足以来、その事業が思いのほか難しいことが分かってきています。しかしマ・ティーダは50歳代の円熟期を迎えています。ぜひ小説というかたちで88世代の心意気を示してほしいと思います。

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