2006年にさしかかった頃のわが日記に、農本主義に関する読書記録が記されるようになる。『農本思想の社会史』(岩崎正弥)などなど。その過程で私は、早稲田大学出身の文学者・詩人である相馬御風の思想と行動に鋭く注目することとな
本文を読むスタディルームの執筆一覧
音楽の聴き方の変遷ーーオーディオのゆくえ
著者: 木村洋平音楽の聴き方が変わっている。どんな風に? レコードに針を落として聞く時代を、僕は知らない。80年代に、ソニーとフィリップスが共同開発した、CD(コンパクト・ディスク)で僕は音楽を聴き始めた。その後、90年代にはMDが流行
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(12)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)2.フィヒテの「フランス革命論」の基本的性格 フィヒテにとって、フランス革命は何よりもまず、人類史に一つの輝かしき転換を与えた重要な出来事である。つまり、「フランス革命は私からすると全人類のために重要であるように思われ
本文を読むアメリカの詩(うた)と、多様性を楽しむこと
著者: 木村洋平ネイティブ・アメリカン、銃、ヘンリー・D・ソロー、フォード、世界恐慌、ディズニー、ベトナム戦争、Simon & Garfunkel、エルトン・ジョン、キング牧師、プラザ合意、小沢一郎、Windows、M&
本文を読む学問の道を歩む―8―
著者: 石塚正英「近代の超克―永久革命」企画 2006年春爛漫の頃、社会思想史の窓刊行会主宰で、読書会・討論会「近代の超克―永久革命」と称する企画をたて、以下の案内により関係者に参加を呼びかけた。 *
本文を読む15分のレクイエム
著者: 木村洋平「カラダが疲れているよ……。」という人は、けっこういるんじゃない でしょうか?このほど、お医者さんに話を聞いたところでは、「15分のお昼寝」が身体によいのだとか。 「15分のお昼寝」というのは、15分だけ、目を閉じて横に
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(11)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)第4章 1793年のフィヒテ――フィヒテの「フランス革命論」 第1章、第2章において明らかにし、また、みてきたように、1790年代初頭のドイツの知的情況を展望するということは、とりもなおさず、ライン河を隔てた隣国フランス
本文を読む学問の道を歩む―7―
著者: 石塚正英ある会議に出席するため、2005年5月7日に千代田区神田に出向いた折、少々早く着いたので、久しぶりに古書店をめぐってみた。洋書の崇文荘書店で、偶然にもアーノルド・トインビー『歴史の研究』全12巻を目にした。揃いで550
本文を読む器官としてのメディア―3・完―
著者: やすい・ゆたか8.「メディアの身体化」の是非 川口:パソコンの普及もインターネットの発展によってますます加速するとされていますね。世界中から情報を受信し、世界中に情報をパーソナルにも発信できるようになっているわけですから、それを利用し
本文を読む音楽と余裕
著者: 木村洋平最近、僕は、札幌で、三日ほど、地元のミュージシャンたちが活躍するLIVEを観た。みな、手売りで自主制作CDを売っているような若者たち。Ustreamでインターネット配信したり、路上で演奏したり。とても活気がある。楽しかっ
本文を読む器官としてのメディア―2―
著者: やすい・ゆたか5.大衆社会とマス・メディア 川口:リベラル・デモクラシーを前提とした社会にあって、民間のマス・メディアはどういう意味で器官なんですか。 やすい:リベラル・デモクラシーの政治体制、それも議会制民主主義の下では、形式上では
本文を読む学問の道を歩む―6―
著者: 石塚正英1990年代を通じて、フェティシズム研究の一助としてフレイザー『金枝篇』に関心を持ってきた私は、2004年から『金枝篇』(全8巻+別巻の完結版、のちに全10巻に変更、国書刊行会)の監修に着手した。以下に序文を引用するこ
本文を読む器官としてのメディア―1―
著者: やすい・ゆたか1.組織体フェティシズム論 川口:やすいさんは「器官としてのメディア」と言われますが、「器官」というのは「機関」の誤りではないのですか? やすい:社会システム全体を一つの身体のごとく有機的な全体として捉えますと、メディア
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(10)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)6.結語 ヘルダーの「ナショナリズム」の展望 「ヘルダーが始めは18世紀啓蒙思潮の諸理想を擁護する典型的な、ほとんど型にはまった一人、つまり人道主義者、四海同胞主義者、平和主義者であったことは、誰もが認めているようだ。
本文を読む学問の道を歩む―5―
著者: 石塚正英学問の道は地中海に通じていた。2000年夏、2001年夏と、私は連続してマルタ島に出かけてフィールド調査を行なった。そのうち、2年目は、まずイタリアのミラノに立ち寄って、市中のカテドラル(完成まで500年を費やしたあの
本文を読む音と音楽――その面白くて不思議なもの(12・完)
著者: 野沢敏治・石塚正英第12回 文化の耳あるいは音の文化誌 >往< 野沢敏治さんへ 石塚正英から シリーズ最終回ですよ、野沢さん。ここは私の問題関心であります感性文化から話題を拾います。文化の耳あるいは音の文化誌です。なお、最初に述べます
本文を読む舩山信一の人間学的唯物論―3・完―
著者: やすい・ゆたか( 5 ) 西田哲学の評価を巡って 「西田哲学は生きているか?」の中で、戦争中西田哲学がブームになった頃、三木清が「もし西田哲学がほんとうに理解されているならば、そのときはこのような政治的思想的状況が生ずるはずがない
本文を読む「一つ頭のしわがふえたよう」なキャンプ生活――『土に生きる』第6号を手にして(7)
著者: 野沢敏治本号は1979年12月15日、発行。特集「三芳子どもテント村」(企画・編集は菅洋子)が組まれている。その標語が「子供に自然を」となっている。一楽照雄さんの言葉であろう。 この特集は同時に「カット」特集号と言ってよいほ
本文を読む舩山信一の人間学的唯物論―2―
著者: やすい・ゆたか( 2 ) マルクス対フォイエルバッハ 「フォイエルバッハとマルクス及びへーゲル」は、一九八三年の早稲田大学の「疎外論の現代的意義」のシンポジウムでの報告をもとにしたもので、舩山の人間学的唯物論とフォイエルバッハ・マル
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(9)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)5.ヘルダーとフランス革命――ヘルダーの「ナショナリズム」論の確立 「国家は革命を避けるべきではなくて、それをわがものとせねばならない」(1)といった文章が、現在遺されている。この革命が、ヘルダーにおいてフランス革
本文を読む学問の道を歩む―4―
著者: 石塚正英わが恩師、村瀬興雄先生は2000年3月に亡くなった。その少し前、何か虫が知らせたのか、私は1999年末に先生に電話で連絡をとり、ナチズム研究に関して先生の近況を尋ねた。そして、村瀬学説に関して解説文をまとめることにした
本文を読む舩山信一の人間学的唯物論―1―
著者: やすい・ゆたかはじめに この論稿は一九九八年から一九九九年にかけて刊行された『舩山信一著作集』(こぶし書房刊)の第五巻『西田・ヘーゲル・マルクス』(一九九九年三月刊)に寄せた解説です。舩山 信一(一九〇七年七月二九日 –
本文を読む倉塚平先生を偲ぶ3 韓国民主化運動支援、日韓連帯運動と倉塚平氏
著者: 和田春樹韓国民主化運動とは、1972年10月、朴正煕の維新クーデターにより韓国の民主的な制度の根幹である大統領直接選挙制が廃止されたことに対して闘って、民主主義の回復をめざした運動、民主革命運動のことである。1987年6月の革
本文を読む倉塚平先生を偲ぶ2 倉塚平さんの人と学問―人間の解放を求めて
著者: 松沢弘陽私の報告を明治大学政経学部のお二人への感謝から始めたい。生方卓さん(以下敬称略)には、去年の夏頃から今日まで、会の構想を練り、案内の発送・会場の準備から会の後の懇親会の手配にいたるまで、細大にわたって取りしきっていただ
本文を読む倉塚平先生を偲ぶ1 倉塚平氏の思い出――明治大學政経学部での出会いなど
著者: 戸塚秀夫はじめに 倉塚さんの訃報を友人たちに伝えたとき、「偲ぶ会」をもてないか、という声を届けてくださったのが松沢弘陽氏であり、それに直ちに賛同してくださったのが和田春樹氏であった。このお二人に登場していただければ、倉塚さんの
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(8)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)4.ヘルダーにおけるナショナルなものの基本的性格 前節で述べたように、ヘルダーの社会観をなしていた前提には、近代自然法の流れがあったものの、ホッブズやルソーの捉え方と異なって、歴史的・実在的・具体的・実証的な仕方だった
本文を読む学問の道を歩む―3―
著者: 石塚正英1998年7月、私は20世紀が終わる前に、どうしても出版しておきたい単行本の編集に取りかかった。それは、過去に発表してあった論文群を次の3点の著作にまとめる作業であった。「ソキエタスの方へ――政党の廃絶とアソシアシオン
本文を読む学問の道を歩む―2―
著者: 石塚正英むかし、マルクスがもてはやされていたころ、マルクスはいつマルクスになったか、という問題が真剣に議論された。①或る人は、経済学哲学草稿のとき(1844年)と言い、②或る人はドイツ・イデオロギーのとき(1845~46年)と
本文を読む三木清と西田幾多郎の人間学 (3・完)
著者: やすい・ゆたか十、実在としての薔薇の意識 やすい:西田哲学ではあくまで経験を実在として捉えますから、現象即実在なのです。それは人間の感覚によって構成された事物が実在だということですが、その場合、ノエシスつまり意識の作用面とノエマつまり
本文を読む人間がすることは自然の手助けをすること――『土に生きる』第5号を手にして(6)
著者: 野沢敏治本会は1978、発足してから5周年に入った。本号はそれを記念した特集号である。1979年3月31日発行。表紙のデザインと本文中のカットは杉野和子作であり、表紙は私が知る限り第4号から18号まで変わらない。会誌も5年にな
本文を読む













