Facebookの辞表

著者: 木村洋平 きむらようへい : 翻訳家、作家、アイデア・ライター
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最近、Facebookのアカウントを削除した。僕はもともと熱心なユーザーではなかったが、やめるに当たっては考えもしたので、そのわけを記してみたい。

最近、Facebookには馴染んだようにさえ思っていた。はじめの頃は、実名登録であること、ひたすら食べ物の写真や飲み会の写真がアップされることに辟易していた。というより、Facebookを始める前から「浅はかそうなサービス」と斜めに見下ろしていた。

ところが、最近は逆に、長く会わない知人たちの動向を知るのが楽しいし、同年代の父母たちによる赤ん坊の写真も並ぶが、けっこう和む。年に1,2回だが、中高時代の仲間が集まる「お誘い」が送られて来るのも貴重だと思っている。もともとFacebookは気が向いたときにしか開かないから、「いいね!」を押すのにたいして気疲れすることもない。それでも、なんとなく空虚さが広がる。

なにか、はっきりと文句を言うとすれば、Facebook側の仕様で「通知」がやたらにたくさん来るのが困る。もともと、なにを通知するかの設定項目が多すぎるし、設定していない通知が来たり、しまいには、くり返し解除しても、Facebookから不要なメールが来る。こうした、Facebookの露骨なアピールが好きではない。

もう一つ、個人情報の流出もあった。実名サービスだからリスクは大きい。ふた月ほど前にも、600万人分の個人を識別できるデータが漏洩した。これについては、電話番号や出身校、職種など、僕は一切を登録していない、あるいは偽の番号にしているので問題はないが、気持ちのいいものではない。

Facebookの運営は、そういうわけで好きじゃない。

さて、比喩で言えば、Facebookに登録するというのは、Facebookという巨大な「会社」(実際に運営するFacebook社ではなく、僕らがお勤めする「会社」)に就職するようなものだと思う。この「Facebook会社」は、入社はかんたんで、タスクも重くはない。投稿と「いいね!」とコメントぐらいだ。自分からは投稿しないで、眺めるだけのひともいる。

僕は、この数億人が「社員」である「Facebook会社」で、自分の部署をもち、そこに座席をもっているような気分になる。会社全体のことはさっぱりわからないが、自分の周りにいるひとたちのことはある程度わかるし、交流をもてる。なにより、そこに自分の座席がある。自席のない暮らしよりはいい、と思う正社員であった。

だが、いまは、自席があることがかえって落ち着かない。もう、こういう会社はいいかな、と思う。ちなみに、以前みかけた記事で、「時間は有限で大切。SNSの表面的なつきあいに時間を割くなら、リアルで会いたい。だから、Facebookを辞めます。」と、いかにも「Facebook的」な持論を述べているひとがいたが、僕の理由はそういうのではない。

オンラインでもオフラインでも友人と交流する時間は貴重だ。リアルで会うのも、手紙を書くのも、葉書を一枚、投函するのも、SNSでコメントしたり「お気に入り」をつけるのも、それぞれ大事でありうる。

だけど、Facebook会社には、そろそろ飽きてきた。そんなわけで、辞表を提出しようと思う。

おそらく、Facebookを辞めると生活は不便になるだろう。でも、それは便利な生活よりいいものかもしれない。

それでは、ごきげんよう。

木村洋平拝

初出:ブログ【珈琲ブレイク】:http://idea-writer.blogspot.jp/2013/10/facebook.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion4650:131014〕