サプライズといっては失礼かもしれませんが、内部批判・自己批判の習慣のないようにみえたミャンマーの政治世界で、めずらしくも自分たちに厳しい方針提起が行われました。イラワジ紙によれば、6/24,25に開かれたNLD中央執行委員会(CEC)で、NLDが直面する腐敗汚職の危険性について、委員の一人であるアウンチーニュン氏が警鐘を乱打したといいます。
氏が指摘する危険性とは、具体的には政権党になって中央政府や地方政府関係の公共事業の計画立案や実施にNLD党員が携わるようになったため、プロジェクトを請け負う企業との間に癒着関係が生まれて、収賄行為の危険性が高まっていることです。もう一つの危険性は、過去の社会主義や軍政によって役所の体質化された官僚主義が、NLDの改革意欲を損ない挫折させる危険性です。さらに三つ目は、権力についたNLDに傲慢という不道徳的態度が広がっているという危険性です。アウンチーニュン氏が取り上げたアイテム自体は、どこの国でも対なり小なりみられるものですが、この国ではまっとうな国づくりを台無しにしてしまうほどの機能障害をもたらす危険性を帯びています。
以前私は、近代国家の建設に失敗し軍部独裁が長く続いた国での不正腐敗の根の深さについて考察を試みたことがあります。以下はその一部です。
――いったん権力を獲得すると、民主化のために自身のキャリアや家族を犠牲にしてきた活動家たちは、その代償としていま少しくらいの利益に与ることは許されていいという心情に陥りがちです。「蟻の一穴天下の破れ」ではないですが、心の緩みと特権意識はどの国でも勝利した革命戦士の心をむしばむ伝染性疾患です。
実はこの国の過去を振り返れば、独立戦争や内戦を戦ってきた国軍幹部たちも、自分たちの忠誠心と献身的犠牲の見返りとして、土地などの国有財産の分配に与ることを(公然の秘密として)当然のこととしてきました。スーチー文民政府になってからも、一部未活用の土地の農民への返還以外、過去国有財産からくすねた資産を強制的に返還させる実効的措置は十分とられておらず、盗り得になっているのが現状です。軍との協調を最大政略とするスーチー政権は、軍の既得権益に手を触れることを極力避けているからです。こうしたことから、規模は別にしてNLDの幹部が負の伝統に倣って早晩同じことをやりだすのに不思議はありません。
法の支配が貫徹されず、パブリック「公」がパブリック「公」として成立していないこの国では、権力者による国有財産の私物化が常態化してきました。特に1990年代以降、軍政が市場経済化を進めるなかで、国営企業の民営化過程(払下げ)での国有財産の軍部とクロニーによる簒奪は、2015年ころまで続きました。軍(Military Junta)が直接支配した25年間は、国有財産を私物化し高級軍官僚とクロニーとの間で分配するための時間稼ぎの期間だったとみることもできます。そのためにはどうしてもスーチー氏を自宅軟禁で封じ込め、民主化運動を抑え込む必要があったのです。スーチー氏の解放やNLDの合法化がなぜ2011年に始まったのかといえば、そのときまでに国有財産の私物化と、一種のマネーロンダリングである転売や株式会社化による合法化の作業がほぼ完了し、盗るべきものは盗り終えたからでした!!
法の支配と文民統制が存在しないところでは、軍も必ずしも国家の軍隊とはいえません。旗本八万騎が厳密には徳川家の私兵集団でしかなかったように、ミャンマーの軍隊は国軍といいながら、真に国家や国民を代表する軍隊ではなく、自分自身を代表しているだけの、せいぜい自分自身とクロニー集団を代表しているだけの私兵的性格の強い軍隊です。自己の私的経済権益の追求する際にみられる貪欲さや、自己に抵抗する者へ襲い掛かる際にみられる残忍性は、イギリス植民地主義がミャンマー社会に埋め込んだ暴力支配に由来するとともに、軍隊の私兵的性格から来ることを民主化運動のリーダーたちは肝に銘ずるべきなのです。・・・「不正汚職のミャンマー的特色」
実はアウンチーニュン氏の党内への警告は、NLDが始めようとしている官僚機構の綱紀粛正・行政改革運動に呼応するものでした。もともとNLDは選挙公約として公務員の綱紀粛正や官僚機構のスマート化効率化を掲げており、政権としてその公約実現にいよいよ乗り出してきたというわけです。実際この七月、NLD政府は国連開発計画(UNDP)からの技術的支援も受けながら、官僚機構(中央・地方公務員総数90万人)の清廉化と効率化のための「公務員改革戦略アクションプラン (2017-2020)」を策定・公表して、民主主義をむしばむ不正腐敗と闘う姿勢を明確にしています。
政権について1年4か月、スーチー国家顧問とNLDのかくも勇ましい姿は見たことがありません。スーチー演説で「民主主義」が強調されたこともほんとうに久しぶりでした。すでにスーチー演説に先立ちNLDのスポークスマンは、腐敗、無能、悪徳の役人へ行動起こすと宣言、まず1年間監視ののち警告にしたがって改善できなければ更迭すると言明していました。ただこのスポースクマン氏(ウインテイン)自身は、日本の菅官房長官に似てマスメディアにはその傲岸不遜な態度のせいでひどく評判が悪いのですが、NLD内で自分の裁量で―つまりスーチー氏の指示をいちいち仰がずに―発言できる数少ない一人ということで一目置かれている人物です。
兎にも角にもさすが国連機関の肝煎りによるせいでしょうか、反腐敗キャンペーンは政府企画としてそつがありません。行政=公務員意識・制度改革の理念、目標、行動計画(アクションプラン)などが体系的にまとめられた上で、改革の推進母体として「連邦公務員サービス委員会(UCSB)」を立ち上げています。しかも改革プランを練り上げるにあたっては、反不正腐敗運動の推進役となり監視役となるはずのこのUCSBは、下意上達の流れを重視し、2016年を通じて非政府系組織も含め行政の利害関係者の参加のもとに、意識調査や様々なレベルでのワークショップを積み重ねてきたといいます。そして特筆すべきは、不正腐敗の防止策です。第一に、公共事業などの決定に関与する高位高官については資産公開を義務付けること。第二に内部通報者や苦情申立て人の保護を強化すること。アクションプログラムの遂行状況の監視義務をUCSBに課することなどです。
しかし一見いいことずくめの反腐敗運動ですが、はたして問題点はないのでしょうか。政府の積極的な取り組みを是とした上で、いくつかのボトルネックを指摘しておきたいと思います。
まず、UCSBについて。UCSBは委員長がNLDのウインテイン氏、副委員長が内務省副大臣とのことですが、内務省は文民政府のコントロールが及ばない軍の砦ですので、泥棒に金庫番をさせる危うさがあるという町の声も聞こえてきます。内務省は国軍の管轄下にあり、戦前の日本の内務省と同じで、中央から地方に至る警察機構および全官庁を統制するだけに、軍が拒否すればどんな改革もはじかれてしまいます。常識的に考えれば、官僚機構の監視機関は利害関係から自由な独立した第三者機関であることが望ましいはずです。
半世紀にもわたってミャンマーの統治機構をつくり上げてきたのは国軍です。国軍支配の醸し出す政治文化こそ、不正腐敗、官僚主義、傲慢さの根源なのです。ところがスーチー政権は国軍との協調に政略上の最大の優先順位を与えています。一見複雑に見える政情ですが、国軍のダメージになることは極力回避するというスーチー路線を参照基準にすれば、それほど理解するのは困難ではありません。したがって今後不正腐敗との闘いの標的になるのは、現役・退役のトップ高級将校団や高級官僚ではなく、せいぜいそれ以下の小物の軍人か文民に限られるでしょう。竜頭蛇尾に終わりかねない、そういう危惧にも十分根拠があるのです。
さらに常々言われてきたことですが、NLDは政党と政府の区別がついていないのです。ウインテイン氏はあくまで政党人であり、政府の人事や政務に介入するのは越権行為なのです。NLDは、政府のスポークスマンを別個に任命するべきだといくら忠告されていても聞く耳をもたず、今回は政府の一機関のトップの座に就くのです。自民党の幹事長が幹事長のままで、政府の指名する特別委員会のトップになるようなものです。民主主義のルールのイロハに属することすらわきまえないスーチー政権です。
しかし私が思うに最大のネックというかチャレンジ(挑戦課題)は、公務員の意識改革にあります。反腐敗運動の成否は、政府が音頭を取るキャンペーンに対して公務員のモチベーションをどれくらい高められるかにかかっています。他律的な同調ではなく、自発的参加が要件です。国連の支援で組織や運動の形がどんなにスマートに整おうとも、仏つくって魂入れずで、公務員の政府に対する信頼感情や士気を鼓舞し、熱情を掻き立てる精神的要素が不足していては事は成就しません。心の底から不正を憎み、沸き起こる正義感情に後押しされなければ、どうして権力に臆しがちな国民が反腐敗の闘いに乗り出すというのでしょう。公務員の眼にはキャンペーンの向かう先に大きな標的として軍の姿が見え隠れしているのです。スーチー氏らの口から出る言葉が関係者の心を揺すぶり、国民のために行動しようとする自発的な意思を励ますことがなければ、公務員はその習い性通り面従腹背で嵐をやり過ごすでしょう。まさに民主化運動が、人々の意識を変えるに足るだけの強い理念性を提示できるかどうかが問われているのです。
残念ながら、スーチー氏はこの間あらゆる軍への批判を禁じてきました。また自己の政治的判断や決定について、国民に向かって一度も丁寧に説明することもありませんでした。それにもかかわらず公務員に対しては公的サービスの透明性や公正性を確保し、説明責任を果たせと言います。また情実を排して能力主義を徹底し、実績主導の文化と制度構築を要求します。思わず、「よく言うよ」と言い返したくなるのは私だけでしょうか。ミャンマー国にネポティズム文化(縁故主義)の砦を築いたのは軍でした。軍と結託した政商資本家をクロニーと言いますが、まさにワイロで汚れたお仲間政治をやってきたのは軍とクロニーなのです。この悪の元凶を叩かずして、なんの反腐敗キャンペーンでしょうか。多少なりとも鋭敏な国民であれば、このキャンぺーンに期待するどころか政府に自己欺瞞のにおいを嗅ぎ取り、ふたたびしらけた気分に落ち込んでしまうかもしれません。
いや、言い過ぎたかもしれません。せっかくのやる気に冷水を浴びせかけるのはよくないと、ビルマびいき、NLDびいきの私の友人たちの声が聞こえてきそうです。今経済界はじめ各界からNLDの無作為の罪を糾弾する声が強くなっています。無作為に比べれば、多少欠点があっても何かをすることはいいことでしょう。万が一反腐敗キャンペーンが失敗しても、そこから何かを学び取れば、一歩前進といえるかもしれません。
しかしつらつら思うにミャンマー国の政情も一強多弱状態です。総選挙でNLDを勝たせ過ぎたために、競争原理が働きません。しかもNLDと軍とは協調路線をとっているので、民主化の機運はすっかり衰えてしまいました。新聞報道から若者の姿が消えてしまいました。やはり民主主義の実現のためには、複数主義と競争が必要です。その意味で軍勢力とNLDとは一線を画する第三極の党の必要性がますます高まっています。次に新党結成の可能性の条件について考えてみましょう。
2017年7月18日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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