熊沢光子(てるこ)が市ヶ谷刑務所未決監の独房で自殺したのは、1935(昭和10)年3月のことだ。24歳であった。それから80年が経過する。この国の女たちの置かれた状況は、はたして、変わったのだろうか。光子はなぜ、自死を
本文を読む阿部浪子の執筆一覧
片山郷子―わたしの気になる人④
著者: 阿部浪子「パソコンはわたしにとって心をひらける友」というのは、作家の片山郷子である。60代で網膜色素変性症をわずらい、現在、視覚障害者用のパソコンを使って執筆している。口述筆記にたよらず、パソコンを駆使しつつ思いのうちを文章化す
本文を読む書評 山﨑正純・著『丸山眞男と文学の光景』洋々社
著者: 阿部浪子1946年、「超国家主義の論理と心理」を発表して論壇に衝撃をあたえた丸山眞男は、民主主義の啓蒙運動の一翼をになうことになった。その丸山言説をふまえつつ日本の近代文学をたんねんに検証するのは、四十代の著者、山﨑正純氏であ
本文を読む書評 海老坂武・著『戦後文学は生きている』
著者: 阿部浪子海老坂武・著『戦後文学は生きている』講談社現代新書 戦後文学の名著からは、人間のせつない声が聞こえてくる。人生に真剣に向きあう姿も見えてくる。1945年、小学5年生だった著者の海老坂武氏は、長じて読書したその感想に現在
本文を読む書評 『海松』稲葉真弓・著 新潮社・刊
著者: 阿部浪子鳥の鳴き声が聞こえはじめると、彼女は、沼に行きたくてうずうずする。沼は、都心のマンション暮らしを長年つづけてきた女が夢見るものすべてを、もたらしてくれたという。収録の「光の沼」は、2008年度の川端康成文学賞を受賞した
本文を読む『評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ』
著者: 阿部浪子『評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ』岩橋邦枝・著 新潮社・刊 野上彌生子は70余年にわたり小説、評論、随筆を書きつづけた。著者の岩橋邦枝氏は、彼女の遺作「森」を読んで、この豊穣な傑作を百歳ちかい人が書いたのかと驚き、そ
本文を読む書評:長浜功著『「啄木日記」公刊過程の真相―知られざる裏面の検証』
著者: 阿部浪子「オレが死んだら日記は必ず焼いてくれ」。石川啄木は親友に託して1912年に他界している。しかし日記の焼却は遠のき、戦後、娘の夫によって公刊されるのであった。 著者の長浜功氏は、それまでの波瀾万丈の過程をじつに丹念にたど
本文を読む書評;高橋行徳著『向田邦子「冬の運動会」を読む』(鳥影社刊)
著者: 阿部浪子闘う向田邦子を紹介したいと、著者の高橋行徳氏はいう。邦子は51歳で直木賞を受賞し、翌1981年に飛行機事故で他界している。 著者は、邦子が30代から書いてきたテレビの脚本に注目し、創作活動の転機となった「冬の運動会」
本文を読む書評:戦中世代への熱い共感。村永大和『玉城徹のうた百首』
著者: 阿部浪子「立ちあがり野ばらの花を去らむとき老いのいのちのたゆたふあはれ」。玉城徹は、野バラに感応しつつ何を語りかけているのだろう。 玉城徹の8つの歌集から、村永大和氏が、100首を抜すいし解読する。冒頭の歌は、初句と三句が強
本文を読む書評 「詩文集 生首」 辺見庸・著 毎日新聞社・刊
著者: 阿部浪子「まなかいをかすめて/青く吹きわたる風の/その根は/そちらにわたらないと/視えはしない」。このような詩句をふくむ、46編の詩文集からは、悲しみがそくそくと伝わってくる。それが過ぎると怒りの心情が。著者の「際限もなくあさ
本文を読む湯浅芳子―わたしの気になる人
著者: 阿部浪子女どうしのケンカが、大事なものを壊してしまうことがある。もし田村俊子賞が継続していたら、女性文学者の輩出とその成長をあとおししたろうに。と思うと、田村俊子賞のなくなったことは残念だ。 湯浅芳子(1896~1990)を
本文を読む井上清子―わたしの気になる人
著者: 阿部浪子90歳になっても働ける職場は、経営者が立派だからであろうか。 わたしは、浜松市立高校を卒業している。先輩の須藤トキさんは、90歳まで、東京銀座の井上特許事務所につとめていた。女優の森光子や作家の萩原葉子とおなじ年の生まれ
本文を読む書評:加藤典洋・著 「太宰と井伏―ふたつの戦後」
著者: 阿部浪子なぜ、『人間失格』を書いたあと太宰治は心中しているのか。20代の自殺・心中未遂事件は、生活上の不如意が原因だった。だが1948年、家庭的にも作家的にも安定していたとき、家庭の幸福こそ諸悪のもとと主張し、心中している。そ
本文を読む尾崎宗吉―わたしの気になる人
著者: 阿部浪子戦没作曲家、尾崎宗吉(1915~1945)は、はじめて目にする名前であった。翻訳家の川上洸からメールで伝えられ、わたしは、同郷人、尾崎宗吉の存在を知るのだった。数日後に送られてきた著書『尾崎宗吉』(クリティーク80編著、
本文を読む空想の世界は印象的だ ー書評:吉屋えい子著『銀の花』
著者: 阿部浪子横浜と東北とオランダという三つの故郷をもつ吉屋えい子氏が描く小説集は、大人だ けでなく中学・高校生が読んでも感動するだろう。 「銀の花」のヒロイン「里季」には「人生の宝」である二人の恩人がいるという。一人は、海岸の得
本文を読むいきいきと立ちのぼってくる漱石の全体像 ―書評:森まゆみ著『千駄木の漱石』―
著者: 阿部浪子夏目漱石が駒込千駄木町57番地の借家に引っ越したのは、明治36年のこと。英国留学から帰国した年であった。漱石はこの地で「吾輩は猫である」を書き作家デビューする。やっと、嫌でたまらなかった講師業から足を洗ったという。
本文を読む書評 「魚群記―目取真俊短篇小説選集1」
著者: 阿部浪子第1巻の本書には、著者の目取真俊氏が20歳代に発表した8編が収録されている。著者の郷里沖縄を舞台にした全短編からは、擬人法、比喩法が注目された。単なる修辞ではない。これら技法をとおして、著者のモティーフが読みとれる。目
本文を読むその孤独と哀愁 啄木没後百年にあたって -『啄木を支えた北の大地―北海道の三五六日」』(長浜功著 社会評論社)を読む-
著者: 阿部浪子石川啄木は、明治40年から翌年にかけて、356日を北海道に滞留していたという。函館、札幌、小樽、そして釧路へ。貧乏という重い袋を痩身に背負い、風のように漂泊しつつ、作家の道へ全力疾走した。いかにもドラマチックな啄木の2
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