葛西伸夫の執筆一覧

水俣病が映す近現代史(32)防衛線となった新潟

著者: 葛西伸夫

新潟水俣病は、熊本水俣病の原因究明やうやむやにされたままの状況で発生した。熊本の経験は、新潟において迅速な初期対応に役立ったが、同時に化学工業界や行政は、事件を粉飾処理する術も熊本から学んでいた。 新潟の被害者たちは、行

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水俣病が映す近現代史(29)水俣病事件としての労働争議

著者: 葛西伸夫

明治~戦前までの労働組合運動 明治以降、日本は近代化を推し進める中で、多くの賃金労働者が生まれたが、労使関係は主従関係のような非人間的なものだった。 1885(明治18)年、山梨県甲府の製糸工場でのストライキが日本で最初

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水俣病が映す近現代史(28)1960年~事件の封印と忘却

著者: 葛西伸夫

水俣病事件は1959(昭和34)年という激動の年の年末に、ウソ浄化装置の「完成」を華々しく飾り立てることによって漁協と患者へ涙金で「和解」を強い、唐突な幕引きが図られた。 時系列で見ていく前に、この時代を概括しておこうと

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水俣病が映す近現代史(26)水俣病事件の発生②

著者: 葛西伸夫

水俣病事件をある程度俯瞰できる現在の我々から見ると、当時「現在進行中」の公害の認識というのは、信じられないほどに悠長で緩慢であるように見える。 昭和28年ころから、町の隅の海岸部で多発していた「奇病」は、3年経ってようや

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水俣病が映す近現代史(25)水俣病事件の発生①

著者: 葛西伸夫

このシリーズは水俣病事件を通して見えてくる近現代史を記述する試みで、これまで水俣病をマクロの視点で見てきたが、水俣病の発生についてはいわば「焦点」にあたる部分で、ここだけはミクロアプローチとなる。発生から激動期までを時系

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水俣病が映す近現代史(23)金の果実を結んだアセチレンの木

著者: 葛西伸夫

これまで敗戦後の日窒の、企業再建について述べたが、ここでは経営陣の再編成が戦後の事業に与えた影響について最初に触れたい。 敗戦後、日窒の経営陣は植民地から無事に帰還したものの、GHQ(連合国軍総司令部)の指示によって「公

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水俣病が映す近現代史(20)占領下で模索された再建

著者: 葛西伸夫

1945(昭和20)年9月2日東京湾に停泊した戦艦ミズーリの甲板にて、日本は降伏文書に署名し、無条件降伏が確定した。同日、GHQ(連合軍総司令部)が開設され、軍の解体と軍需生産の全面停止が命じられた。 日本の戦後処理は、

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水俣病が映す近現代史(19)敗戦前後の朝鮮と水俣

著者: 葛西伸夫

【解放後の朝鮮半島】 ドイツと日本の敗戦が濃厚になってくると、英・米・ソの3国は戦後処理について頻繁に会議を開いた。朝鮮半島の分割統治についても(ソヴィエトの満州侵攻を含め)先々のシナリオまで策定されていた可能性がある。

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水俣病が映す近現代史(17)鴨緑江水豊発電所

著者: 葛西伸夫

朝鮮総督の宇垣一成は、水利権を三菱から朝鮮窒素肥料に移した責任を重く感じていたのか、長津湖発電所の工事現場を二度訪れていた。 特に湖畔の風景を気に入り、別荘を構えたいという考えを側近から聞いた久保田豊は、湖畔にバンガロー

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水俣病が映す近現代史(16)多角展開と水俣病の萌芽

著者: 葛西伸夫

1923(大正12)年、日本窒素肥料株式会社(以下、日窒)の延岡工場でのアンモニア合成の成功は、植民地朝鮮への進出によってコスト的に大きな成功を収めた。しかし、アンモニア合成の日窒にとっての成功の本質的な意義は、多角的な

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水俣病が映す近現代史(15)激動の昭和初期

著者: 葛西伸夫

明治に新たに登場した電気事業は、参入障壁が低かった発電所の建設を初期投資の対象とし、そこから電力の消費事業を発展的に構築していった。成功を収めると発電所を新・増設し、さらに消費側の事業を拡大していく。このような「シーソー

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水俣病が映す近現代史(13)牙を剥いた植民地主義

著者: 葛西伸夫

野口遵は帝大同期の森田一雄が持ってきた朝鮮での発電事業案について威勢よく賛同したものの、懸念事項があった。それはソヴィエトの動向だった。ちなみにそのころ(1924年)スターリンが最高指導者に就任していた。 ソヴィエト側に

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水俣病が映す近現代史(10)大正デモクラシー

著者: 葛西伸夫

明治時代が終わると、社会全体に自由を求める傾向が強まり、様々な政治運動、社会運動、労働運動が全国に広がった。 野口や日窒をとりまく状況のなかでも、労働者や主婦や漁民のような「民衆」が自分の権利や自由を求めて様々な場面で異

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水俣病が映す近現代史(9)「大正の天佑」

著者: 葛西伸夫

【保険をかけていた肥料戦略】 日本の農家にとってはまったく新しい肥料である石灰窒素が、すぐに売れるとは考えられず、野口(日本窒素肥料、以下「日窒」と省略する)は、すでに輸入品を中心に普及が進んでいた硫安(硫酸アンモニア)

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