チッソの逃亡と政府の対応 1973(昭和48)年5月、夜逃げをしたチッソ本社は都内にアジトを分散させ、驚くべきことに一月以上にわたって雲隠れを続けた。川本らと告発する会はも抜けの殻となった丸の内東京ビルの4階オフィスを占
本文を読む葛西伸夫の執筆一覧
水俣病が映す近現代史(35)判決、補償交渉へ
著者: 葛西伸夫「昭和元禄」 1964(昭和39)年の東京オリンピックは、日本が戦後19年で荒廃から立ち直り、平和で経済的に自信のある国として国際社会に復帰するイベントと位置づけられた。オリンピック後には「いざなぎ景気」が始まり、196
本文を読む水俣病が映す近現代史(34)1968年 若者たちの蜂起
著者: 葛西伸夫1968(昭和43)年に熊本水俣病と新潟水俣病が公害認定された頃から、水俣病を取り巻く状況は一気に多層・多声的となる。 新潟が水俣病事件に突破口を開いた背景には、日本列島各地に溢れかえっていた公害問題があった。そしてそれ
本文を読む水俣病が映す近現代史(33)訴訟へ、行政不服へ
著者: 葛西伸夫市民と労働者による患者支援運動の始まり 1968(昭和43)年1月、新潟水俣病の患者(被災者の会)や支援組織(民水対)が水俣を訪問することを契機に、水俣では市民による初めての患者支援組織である「水俣病市民(対策)会議」が
本文を読む水俣病が映す近現代史(32)防衛線となった新潟
著者: 葛西伸夫新潟水俣病は、熊本水俣病の原因究明やうやむやにされたままの状況で発生した。熊本の経験は、新潟において迅速な初期対応に役立ったが、同時に化学工業界や行政は、事件を粉飾処理する術も熊本から学んでいた。 新潟の被害者たちは、行
本文を読む水俣病が映す近現代史(31)昭和電工の軌跡
著者: 葛西伸夫新潟阿賀野川流域で新潟水俣病を発生させた昭和電工(現・レゾナック)。その企業としての成り立ちと、事件発生に至る歴史的背景を探る。 創業者 森矗昶:房総の漁村から財界へ 森矗昶(もり・のぶてる)は、1884(明治17)年1
本文を読む水俣病が映す近現代史(30)第二水俣病の発生
著者: 葛西伸夫1965(昭和40)年、熊本県水俣湾で発生した水俣病と同様の症状を訴える患者が、新潟県阿賀野川沿岸地域で多発した。いわゆる新潟水俣病(第二水俣病)である。 熊本水俣病では、前代未聞の病気だったとはいえ、行政の初動が遅く、
本文を読む水俣病が映す近現代史(29)水俣病事件としての労働争議
著者: 葛西伸夫明治~戦前までの労働組合運動 明治以降、日本は近代化を推し進める中で、多くの賃金労働者が生まれたが、労使関係は主従関係のような非人間的なものだった。 1885(明治18)年、山梨県甲府の製糸工場でのストライキが日本で最初
本文を読む水俣病が映す近現代史(28)1960年~事件の封印と忘却
著者: 葛西伸夫水俣病事件は1959(昭和34)年という激動の年の年末に、ウソ浄化装置の「完成」を華々しく飾り立てることによって漁協と患者へ涙金で「和解」を強い、唐突な幕引きが図られた。 時系列で見ていく前に、この時代を概括しておこうと
本文を読む水俣病が映す近現代史(27)激動の1959年
著者: 葛西伸夫1959(昭和34)年。この年、水俣病事件は最激動の年となる。 前年から「なべ底不況」から脱し「岩戸景気」が始まっていた。 6月、高度経済成長の仕掛け人のひとりである池田勇人が通産大臣に就任する。 前年秋に皇太子の結婚が
本文を読む水俣病が映す近現代史(26)水俣病事件の発生②
著者: 葛西伸夫水俣病事件をある程度俯瞰できる現在の我々から見ると、当時「現在進行中」の公害の認識というのは、信じられないほどに悠長で緩慢であるように見える。 昭和28年ころから、町の隅の海岸部で多発していた「奇病」は、3年経ってようや
本文を読む水俣病が映す近現代史(25)水俣病事件の発生①
著者: 葛西伸夫このシリーズは水俣病事件を通して見えてくる近現代史を記述する試みで、これまで水俣病をマクロの視点で見てきたが、水俣病の発生についてはいわば「焦点」にあたる部分で、ここだけはミクロアプローチとなる。発生から激動期までを時系
本文を読む水俣病が映す近現代史(24)岐路と隘路
著者: 葛西伸夫【アクリル繊維を手放す】 前回述べたように、好景気の波に乗ったアセテート、塩化ビニル、可塑剤は、すべてアセチレン誘導体であるアセトアルデヒドから製造される。 これらの裏で、アセトアルデヒドを経ずにアセチレンからアクリル繊
本文を読む水俣病が映す近現代史(23)金の果実を結んだアセチレンの木
著者: 葛西伸夫これまで敗戦後の日窒の、企業再建について述べたが、ここでは経営陣の再編成が戦後の事業に与えた影響について最初に触れたい。 敗戦後、日窒の経営陣は植民地から無事に帰還したものの、GHQ(連合国軍総司令部)の指示によって「公
本文を読む水俣病が映す近現代史(22)経済成長という選択
著者: 葛西伸夫【自然災害】 敗戦前後の記憶の底に埋もれているものに、自然災害がある。とくに台風による被害は深刻だった。(以下、カッコ内は確認された死者数)1945年枕崎台風(3756人)・阿久根台風(377)、1947年カスリーン台風
本文を読む水俣病が映す近現代史(21)再建日窒の岐路
著者: 葛西伸夫前回、敗戦からの約5年間を日窒の再建を軸に辿ったが、本稿を含めあと2回、同じ期間をなぞることになる。 【プラスチックの源流】 日窒は戦後、硫安からプラスチック類へと主力製品を転換し、高度経済成長期に2度目の黄金時代を迎え
本文を読む水俣病が映す近現代史(20)占領下で模索された再建
著者: 葛西伸夫1945(昭和20)年9月2日東京湾に停泊した戦艦ミズーリの甲板にて、日本は降伏文書に署名し、無条件降伏が確定した。同日、GHQ(連合軍総司令部)が開設され、軍の解体と軍需生産の全面停止が命じられた。 日本の戦後処理は、
本文を読む水俣病が映す近現代史(19)敗戦前後の朝鮮と水俣
著者: 葛西伸夫【解放後の朝鮮半島】 ドイツと日本の敗戦が濃厚になってくると、英・米・ソの3国は戦後処理について頻繁に会議を開いた。朝鮮半島の分割統治についても(ソヴィエトの満州侵攻を含め)先々のシナリオまで策定されていた可能性がある。
本文を読む水俣病が映す近現代史(18)軍需企業となった日窒
著者: 葛西伸夫【人造石油】 世界の石油産出量は1974年までアメリカがトップだったが、戦前の日本も石油の大部分をアメリカから輸入していた。1930年代に入ってオランダ領東インド(現在のインドネシア)からの輸入が増えたが、1940(昭和
本文を読む水俣病が映す近現代史(17)鴨緑江水豊発電所
著者: 葛西伸夫朝鮮総督の宇垣一成は、水利権を三菱から朝鮮窒素肥料に移した責任を重く感じていたのか、長津湖発電所の工事現場を二度訪れていた。 特に湖畔の風景を気に入り、別荘を構えたいという考えを側近から聞いた久保田豊は、湖畔にバンガロー
本文を読む水俣病が映す近現代史(16)多角展開と水俣病の萌芽
著者: 葛西伸夫1923(大正12)年、日本窒素肥料株式会社(以下、日窒)の延岡工場でのアンモニア合成の成功は、植民地朝鮮への進出によってコスト的に大きな成功を収めた。しかし、アンモニア合成の日窒にとっての成功の本質的な意義は、多角的な
本文を読む水俣病が映す近現代史(15)激動の昭和初期
著者: 葛西伸夫明治に新たに登場した電気事業は、参入障壁が低かった発電所の建設を初期投資の対象とし、そこから電力の消費事業を発展的に構築していった。成功を収めると発電所を新・増設し、さらに消費側の事業を拡大していく。このような「シーソー
本文を読む水俣病が映す近現代史(14)続・牙を剥いた植民地主義
著者: 葛西伸夫朝鮮窒素(朝窒)の最初の工場建設は、朝鮮半島の東北沿岸部である元山から75km北の咸興郡湖南里周辺に建設された。咸興の南なので後に「興南」と命名された。 日窒は1937(昭和12)年に創業30周年記念として約600ページ
本文を読む水俣病が映す近現代史(13)牙を剥いた植民地主義
著者: 葛西伸夫野口遵は帝大同期の森田一雄が持ってきた朝鮮での発電事業案について威勢よく賛同したものの、懸念事項があった。それはソヴィエトの動向だった。ちなみにそのころ(1924年)スターリンが最高指導者に就任していた。 ソヴィエト側に
本文を読む水俣病が映す近現代史(12)新天地朝鮮へ
著者: 葛西伸夫日窒延岡工場のアンモニア合成装置が完成し、発明者カザレーの手によって試運転が始まったのは1923年9月のことだった。日本初のアンモニア合成であり、日本の化学工業界全体においても慶事であった。 ところが日本はその月、たいへ
本文を読む水俣病が映す近現代史(11)アンモニア合成
著者: 葛西伸夫核技術と、石油やエレクトロニクス文明のせいで隠れてしまっているが、20世紀はアンモニア合成こそが最大の発明であったとここで強調しておきたい。 なぜならアンモニアは、空気として無尽蔵に存在する窒素を、人間が自由に利用するた
本文を読む水俣病が映す近現代史(10)大正デモクラシー
著者: 葛西伸夫明治時代が終わると、社会全体に自由を求める傾向が強まり、様々な政治運動、社会運動、労働運動が全国に広がった。 野口や日窒をとりまく状況のなかでも、労働者や主婦や漁民のような「民衆」が自分の権利や自由を求めて様々な場面で異
本文を読む水俣病が映す近現代史(9)「大正の天佑」
著者: 葛西伸夫【保険をかけていた肥料戦略】 日本の農家にとってはまったく新しい肥料である石灰窒素が、すぐに売れるとは考えられず、野口(日本窒素肥料、以下「日窒」と省略する)は、すでに輸入品を中心に普及が進んでいた硫安(硫酸アンモニア)
本文を読む水俣病が映す近現代史(8)天草・島原の悲劇
著者: 葛西伸夫1637〜38年にかけて起こった「天草・島原の乱」は、天草や島原の百姓やキリスト教徒が中心となり、江戸幕府にたいして大規模な武力蜂起を起こした事件である。ことの詳細については割愛するが、この事件は幕府に強い衝撃を与え、キ
本文を読む水俣病が映す近現代史(7)カーバイドの応用
著者: 葛西伸夫【20世紀の幕開けと人工肥料】 1890年代末、ドイツのアドルフ・フランク、アルバート・フランク、ニコデム・カローの三氏は、カーバイド(炭化カルシウム)に窒素を反応させ石灰窒素を抽出することに成功した。このときの石灰窒素
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