日本人が見た「米国の下層社会」 ― 『ルポ トランプ王国2―ラストベルト再訪』を読む ―
- 2019年 12月 27日
- 評論・紹介・意見
- 『ルポ トランプ王国2―ラストベルト再訪』半澤健市書評
本稿は、朝日新聞記者金成隆一(かなり・りゅういち、1976~)の『ルポ トランプ王国2―ラストベルト再訪』、すなわち「ラストベルト」ルポの第二弾の紹介である。
ラストベルトとは何か。それは2016年の米大統領選挙で俄に注目された米国中西部に拡がる「錆びた工業地域」のこと。この鉄鋼・自動車工業地帯は、国際競争力を失い空洞化し、主役だった白人労働者の地位も低下した。「プーアホワイト」と呼ばれる。
《「もう一つのアメリカ」を訪ねた4年半》
第一弾『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(17年2月)はトランプ勝利の原因を探るものだった。その結論は、「ヒラリー・クリントンを擁した民主党リベラルはプーアホワイトらの失望や怨念を読めなかった。対してドナルト・トランブは〈アメリカ第一・仕事第一〉と叫んで彼らの心を摑み勝利した」というものである。
この逆転は想定外の出来事だった。その後、18年秋の中間選挙で民主党は反撃し下院の過半数を制した。就任以来、トランプ政権が内政外交ともに多くの困難に直面しているのは周知の通りである。
さてトランプの再選はあるのか。
ルポ第二弾の本書の目的は「米大統領選2020」予想のための材料提示だと著者はいう。記者の訪ねた地域は拡がり、ラストベルトに加え、両党が激しく争う都市と郊外の「中間地帯」、更にはキリスト教原理主義者の多い「深南部=ディープサウス」(別名「バイブル(聖書)ベルト」)に達する。期間は16年秋から19年春までの3年半に亘り、対象は地域特有の政治・文化・伝統の多領域に及ぶ。
第一第二弾を合わせた4年半で、著者は1005人の人物を取材した。ニューヨークの国連本部報道をベースにしながらこの選挙取材を行ったのである。第二弾の本書にはインタビューされた人々の写真が66枚も載っている。語られる一つ一つの人生ドラマが生々しく圧倒される。
要約は私にはとても難しい。早々に逃げを打って印象に残った会話の数例を、私は書き留めることにする。
《GM工場の消長に翻弄されるラストベルト》
時は17年7月。場所はGM工場があるオハイオ州ヤングスタウンである。そこでトランブの勝利集会が行われた。ラストベルト重視をアピールする演出でもあった。2人の男性の発言を聞こう。
■テイモシー・ルーマン(郵便配達人)
「私は陸軍の帰還兵だ。トランプが軍事予算を増やす約束をしたことを100%支持する。その支持を示すためにやってきた。当初は自分の引退後の暮らしが心配だったが、トランプが大統領になったので安心だ。アメリカが正しい方向に歩み始めた。株価は上がり、ビジネス優先の姿勢が明確になった。社会主義的なオバマケアの廃止にも期待している。あんな形で富裕層から富を取り上げ、貧困層に配分するのは間違いだ。国家がサンタクロースになるべきではない」。「この世に無料のものなどない。トランプが出馬を表明した途端に支持すると決めた。ワシントンのアイトサイダーであり、ビジネスマン出身だからだ。国家とはいえ、ビジネスと同じように運営されるべきだ。壁建設のアイデアも大好き。不法移民を阻止すべきだ」■
ルーマンは25年つとめ3ヶ月前に引退。トランブ賛美派である。彼らは民主党を嫌うあまりその政策を誤解することか多い。記者は「私はオバマフォンを理由にしてオバマ政権や民主党を批判する人に多く出会ってきた」と書いている。ルーマンも「オバマフォン」という有料のライフラインサービスをオバマの悪政だと誤解していた。
■パット・ディオリオ(公用車整備士)
「株価が高いから、年金運用で助かると感謝している人がいるが、そんなの今だけで、いずれ変動するのは明らかだ。私の懐具合は改善されていない。昔のような時給の高い仕事が戻ってきたか? トランプの約束は実現する気配もない。貿易交渉も独裁者のように振る舞っているだけで、いずれ輸入品の物価が上がり、しわ寄せは私たちに来る。残念ながらトランブは効果的な大統領じゃない。次回は投票しない」。「GMは地域で最大の工場で雇用主だ。ところがトランプの就任以来、3シフトのうちの2つが削られ、もう1シフトしか残っていない。〈いずれ閉鎖される〉という噂が飛び交っている。トランプの〈仕事は戻る〉という約束はどこへ行った? 閉鎖になれば、そのダメージは地域全体に拡がるだろう」■
18年10月、中間選挙の2週間前に同じ場所での取材。パットはずっと民主党支持者だったが、16年にはトランプに投じた。だが民主党がサンダースを立てたら彼に入れただろうと言っていた。ヒラリーが不評なのである。
■デイブ・グリーン(自動車労組幹部)
場所は同じ。18年11月。前述のパット・ディオリオを取材してから1ヶ月後である。
10月時点ですでに、全工場閉鎖の噂が流れていた。1ヶ月後の11月26日ローズタウン工場の生産停止が発表された。噂が現実となったのである。地元紙『ヴィンデイケーター』は一面トップで「新たなブラックマンデー」と報じた。記者はUAW(全米自動車労組)のローズタウン支部委員長デイブ・グリーンにインタビューした。
「GMとしては記録的な利潤を出している。そんな時に生産停止の発表が起きた。メキシコの工場で、ここの労働者と同じ車種を生産している労働者は、時給たった3ドルだ。会社はメキシコ人の労働者をバスで送迎する。メキシコの工場に、労働者用の駐車場はない。車を買えるだけの賃金を出さないからだ。結局は抑圧された労働者なのだ。私は、メキシコの労働者が3ドル以上を稼げるようになる方法はないのかと本当に思う」。「こんなふうに考えるんだ。グローバル企業が世界規模で労働者を競わせ、低賃金の場所に移るなら、労働者もグローバルな連帯が必要だと。日本で工場が封鎖されれば、米国や中国、ドイツの労働者が一斉に職場放棄する。世界の労働者が連携して立ち上がれば、問題を解決できるんじゃないか? 企業側がグローバルに連携し、世界中の労働者に低賃金を強いるのであれば、そうするしかないだろ、と。そりゃ。現状では夢物語とわかっているけど、そうするしか打つ手はないと思う」■
■ジェイミー・ジェイコブソン(夫と警備会社を経営)
「祖母にキリスト教の価値観に基づいて育てられました。妊娠中絶は正しいと信じません。神を信じます。人を助けます。聖書にある黄金律〈あなたが人にしてもらいたいとと思うことを、あなたも人にしなさい〉に従って生きてきました。私はあなたに神を押しつけません。でも、誰かがここにやって来て、私たちの文化に挑み始めた時には、怒ります」。「当初トランプに一切関心がありませんでしたが、出馬表明後のFOXニュースのインタビューで、彼は、私が関心を持っていたテーマを正直に語ったのです。国防の強化、キリスト教の価値観、素性がわかる移民以外は入国させないという三点です」。
「私の人生は困難の連続だつたので、〈白人の特権〉という言葉に異議があるのです。赤貧の幼時でした。父は戦場帰りで深刻なPTSDを抱え、母は薬物依存症。育ててくれた祖母は、私が8歳の時に死んでしまいました。私はきょうだい2人と母の元に転がり込みましたが、州政府が育児放棄と認定して、今度は父の元に移りました。でも、父の再婚相手に嫌がられ、惨めでした。空腹でも何とか学校には通いましたが堪えられなくなり、15歳で家を出ました。やはり貧困家庭出身のボーイフレンド(現在の夫ジェリー)と高校卒業の2日目に結婚し、以来35年働き続けて、今の暮らしを手に入れたのです。アメリカン・ドリームそのものであり、「白人の特権」ではないのです。私の人生に特権など一切ありませんでした。私は食料品店とベビーシッターの2つの仕事を掛け持ちしながら看護学校を出ました。その間、ジェリーは材木会社と食料品店の倉庫係の二つの仕事をしていました」■。(深南部のルイジアナ州。18年夏)
■アンバー・ジョンソン(43歳、呼吸医療士)
「私はシングルマザーです。地元の病院の救急治療室で呼吸療法士として働いています。/もう一つの仕事はママ(母親)です。/父もそうでしたが、ビル・クリントン以外は、ずっと共和党候補を支持してきました。前回もトランプに入れました。彼の女性の扱いやコメントには賛成しませんけど、大統領として選んだわけで、別に自分のボーイフレンドにするわけではありませんから。/(トランプに関して)彼は横柄に振る舞っていますが、実態はこの国をかつてのように偉大にしようと頑張っているのだと思います。オバマケアを撤廃しようとしています。オバマケアで医療保険を全員が持たなくてはならないようになりましたが、なぜそうするのですか? 理解できません。働らきくない人は、医療保険を払う余裕がない。それだけのことです。/働けるのに働かない怠け者の多くは、恐らく失業手当に依存しているので、受給資格を厳しくすべきです。多くの人は働けるのです。自宅でできる電話対応の仕事だってあるわけですから。政府がタダで(サービスを)提供しすぎると、働く動機が高まりません。おかしな社会になってしまいます」■。(18年5月。アラバマ州バービングハム)
《ニューヨークの民主党左派の支援者は》
■ジョイス(49歳。アレクサンドリア・オカシオコルテス〈AOC〉の下院議員選の応援者)
「AOCは飲食店のウェイトレスでした。私も長年ウェイトレスとして働き、生活できるだけの賃金を稼げていません。彼女の言葉は私の言葉でもあるのです。私はロースクールを卒業したけど、借金ばかりが残り、満足に暮らしていけない。彼女はさっきの演説でも黒人差別に触れた。黒人女性がキャリアを築くことは本当に難しい。彼女の掲げる政策は、私の人生、暮らしぶりに直接語りかけてくる。私には、彼女の声が政治に届くことが必要なのです」、「もうこの国には何の希望もありません。私は置き去りにされました。自分の足で立つために、やるべきことは全部やってきたというのに。だから彼女が政治家になってほしいのです。よく聞くでしょう? 貧困になるのは〈働かない人だけだ〉〈教育を受けなかった人だけだ〉と。全部私にあてはませない。両親や国家から、やるべきことと言われたことを私は全部やった。私は働き、学び、軍隊にも入った。それでなぜ、私は空腹なの? なんで借金返済ができないの? 携帯電話にすら出られなくなった。なぜなら午前8時になると借金の取り立て電話が鳴り始めるからです」■
(ジョイスは49歳の黒人女性。失職中だが退役軍事用の医療保険などで月433ドルの収入とバーテンダーの夫の収入で生活。18年9月、ニューヨーク。AOCの下院選支持集会で)
上記三例はいずれも女性。最初の2人はバイブルベルトの住人でトランプの支持者。最後の1人はニューヨークの民主党左派の支援者。
《「米国の下層社会」は我々の隣人》
現在のアメリカ社会を覆っているのはグロバリゼーションの奔流である。
格差と分断と破壊が、経済・金融・生活様式・伝統・文化の全ての局面に現れている。
グローバリゼーションとは「資本の論理」が、冷酷非情に貫徹しているのを表現する言葉である。
米国の有権者は、ヒラリー・クリントンが「政治的正義」を語りながら、資本の論理に包摂された「エリート階層」を擁護しているのを見抜いた。そういう庶民感情を、ビジネスマン兼TV司会者の経験から学んだドナルド・トランプが、「新しいアメリカ」を謳い上げている。ポピュリズムと名付けるならその通りである。その中でデイブ・グリーンやジョイスの鋭い見方や絶望の中の希望に私は打たれる。「トランプ王国」ルポを私はこのように読み取った。
著者金成隆一は、先入観を抑えて米国庶民に何でも聞いて回った。他に学者や研究者への有益なインタビューを含んでいる。新書2冊に集積された1005名の姿は、私たちのステレオタイプの米国常識を覆す。同時に登場人物が、国境を越えて隣人のように見えてくる。日本の読書人は昔から外国人の日本観察を珍重してきたが、日本人の書いた、この「アメリカの下層社会」は、長く読み継がれる気がする。海外読者のために翻訳も欲しい。この力作を多くの読者に読んで欲しい。(2019/12/19)
◆金成隆一著『ルポ トランプ王国2―ラストベルト再訪』、岩波新書・19年9月刊、940円プラス税
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〔opinion9301:191227〕
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