伊方原発運転差し止め仮処分の射程
- 2020年 1月 19日
- 評論・紹介・意見
- ブルマン!だよね伊方原発運転差し止め仮処分原発物神化
奇しくも阪神・淡路大震災25周年の1月17日、四国電力の伊方原発3号機(愛媛県伊方町)が広島高裁から運転差し止めの仮処分決定出され、中国新聞によれば、“原発の沖合に活断層が存在するかどうかの四国電の調査について「十分な調査をしないまま活断層が存在しないとした」などと指摘したほか、阿蘇山(熊本県)の噴火リスクについても降下火砕物の想定が過小だったと説明。「原子炉は、原告らが生命、身体などに重大な被害を受ける具体的な危険があるので、保全の必要性が認められる」とした“、との判断が広島高裁から示されたという。
これに対して四国電力は直ちに不服申し立てに出ることを表明した。
さてここまでのことは、報道の範囲で周知のこととして、以下ではこの処分が単に原発運転差し止めの範囲をはるかに超える射程を持っていることを手短に論じてみたい。
まず、活断層の調査が不十分であるとの指摘だが、言い換えればこの活断層には伊方原発
に致命的な打撃を与える可能性があることを言っている。ガルだのなんだの専門的なことを取っ払ってわかりやすく言えば震度7クラスの地震が来る可能性がある、と言っているのだ。
次に阿蘇山噴火の火砕流の想定が過少であるとの指摘だが、阿蘇山の噴火というのは、運転差し止めを申請した人たちが住む山口まで火砕流が達するスケールのもので、約9万年前起きていることが知られ、時速100キロメータの速度で九州の過半を焼き尽くした上に山口に達している。
この二つを合わせて破局的災害とすれば、今般の仮処分はこうした破局的災害に対する備えが不十分であることを指摘しているわけである。
ここで単純な疑問が沸き起こってきて仕方がないのだが、原発運転を差し止めたらこうした破局的災害が起きないのだろうか。もちろんそんなことはあり得ないのは誰が見ても分かりきったことだろう。
とすれば、原発運転差し止めのところで立ち止まっているわけにはいかないのではないか。
まずもって阿蘇山の破局的噴火への防災対策はいかなるものも無力であるから九州や山口は住居不可能の地として、直ちに全住民の安全地域への移住を開始すべきであり、また直下型の強烈な震災対策として住宅はおろか、ありとあらゆる建造物の耐震対策や避難計画を策定することが要請されているのである。
阪神淡路大震災25年目のこの日に、運転差し止め仮処分が下されたのは実に示唆的であった。
国を始めとして地方自治体に至るまで、この仮処分の射程を直ちに汲み取り、それこそ国家的一大事業として取り組まなくてはならないはずだか、これまでのところ、そうした反応は皆無であるのは、いったいいかなる所作なのか。単に原発の可否という問題に矮小化されてはならない。いわばある意味、反原発派も推進派もひとしなみに原発物神化に取りつかれているのではないだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://chikyuza.net/
〔opinion9366:200119〕
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