身 辺 雑 記
- 2020年 2月 22日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘
韓国通信NO630
2020年、1月は、あっという間に過ぎて2月も半ば過ぎ。近所の木蓮はすでに芽をふくらませている。冬ごもりなどしてはいられない。
<中村哲さんの死>
昨年12月、アフガニスタンで中村哲医師(73)が射殺された。平和のための戦争、テロが横行する世界のなかで、その活躍と人柄はカネと力による「国際貢献」の愚かさを私たちに教えてくれた。失ってその存在の大きさに気づく人も多い。
安倍首相が中村医師の活躍を称賛して追悼の言葉を送った。さすがに、危険なところに出かけて遭難したことを「自己責任」と言わなかった。
2011年、中村氏はテロ特措法の審議に参考人として国会に呼ばれ、自衛隊の海外派遣は有害無益。それよりも飢餓の解消を支援するよう訴えた。また紛争地帯で活動の支えになった憲法九条の大切さを訴え続けてきたことでも知られる。
年末にアルンダティ・ロイのエッセイ集『帝国を壊すために』(岩波新書)を読んだ。
アメリカは2001年9.11のテロの報復としてアフガニスタンで戦争を始めた。「無限の正義」を標榜した大義のまったくない戦争。アメリカは国益のために反政府勢力を育てるかと思えば、都合によってはそれをテロリストの国としてせん滅をはかる独善国家である。アメリカに対する鋭い指摘、その後の国際社会は彼女の予見通りになった。テロとの戦いを口実に「市民の自由を拘束し、表現の自由を否定し、労働者を解雇し、少数民族や宗教的マイノリティを迫害し、公共予算を削減し、多額の予算を防衛産業にふりむけた」(同書18P)
死者を山のように積み上げ、全土が瓦礫と化したアフガニスタンで中村医師たちは命を救う懸命の努力を続けた。ブッシュからクリントン、オバマ、トランプと続く歴代大統領のもとでアメリカ中心主義は変わることはなく、日本はそのアメリカに寄り添ってきた。安倍首相の中村医師への追悼の言葉などは「片腹痛い」限りだ。アメリカこそがテロ国家ではないのか。凶弾を向けた犯人探しは余り意味を持たない。中村医師がアメリカの独善主義の犠牲者だと気づかされる。著者ロイは1961年インド生まれの女性作家。覇権国家アメリカに立ち向かう人たちに彼女のメッセージは勇気を与え続けている。
<幻のジョン・レノン>
ジョン・レノンの『イマジン』をピアノで弾いたことがある。レノンが凶弾に倒れてから40年になる。同世代の彼は気になる存在だった。ビートルズのメンバー、オノ・ヨーコの夫、作曲家、詩人、哲学者。麻薬患者、アル中、ブラックパンサーと交流のあった過激派と聞くと日本人は引いてしまうが、晩年は専ら家事と育児に専念した。愛と平和と人生に多くのメッセージを残した。もちろん「イマジン」も。
「僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。」
「ひとりで見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる。」 (ジョン・レノン)
レノンが日本語の勉強をしていたことを『Ai(愛) ジョン・レノンが見た日本』から知った。記憶は定かではないが、インタビューに応えて地方自治の大切さを語ったことがある。地方自治を民主主義の原点というレノンらしくない地味な発言なので、それだけ印象に残った。中央集権のトップがすべてを仕切る社会より、小さなコミュニティの中に人間らしい生き方を求めたと理解した。人間一人ひとりの存在と生活を大統領や首相に任せるわけにはいかない。民主主義は個人から、地方から育てていくというジョン・レノンの思いが、死後40年たって私に実感をもって蘇る。
<辺野古署名奮闘記>
政府は何が何でも辺野古に米軍基地をつくるという。沖縄の意思は完全に無視されている。これではまるで植民地扱いだ。沖縄の独立という選択も考えられる。戦勝国アメリカが日本占領時に沖縄が独立国だったという認識をもっていたくらいだから、沖縄の独立は決して異説ではない。
始めた辺野古署名運動。地元市議会に請願して政府に意見書提出を求めるものだが、沖縄独立とは全く違う視点から、沖縄県外の住民として沖縄県民の尊重と民主主義を求める運動だ。大浦湾が埋め立てられる光景から、自然(環境)の破壊、県民の悲鳴を、日本の民主主義の悲鳴と感じる人は多く、何もできないことに苛立つ人も多い。その思いを請願署名で明らかにする。関心がない人には、辺野古基地問題の大切さを訴える。ジョン・レノンから学んだ地域発、中央政府に対する市民の異議申し立てである。市議会の採決が当面の目標だが、「一粒の麦」のつもりで署名運動を始めた。
私は「沖縄応援団長」
話をしたことのない人に署名をしてもらうのは結構シンドイ。友人への依頼、駅頭での宣伝、「通信」の読者からの署名も集まりだした。小さな集会でも、3.20亀戸公園で開かれる「さようなら原発」集会でも訴えたい。預金集めをした30年間の経験から学んだのは、コツコツと一人ひとりに話をして勧誘することの大切さ。自分の足で稼ぐこと。当地に引っ越してきて10年以上になるが、知り合いは多いようで少ない。週2、3回通っているスポーツクラブを主戦場に署名活動に励んだら、思わぬ発見があった。
筋トレに励む大学生に沖縄の応援団長と触れ込んで話しかけたら署名に応じてくれた。修学旅行で沖縄に行った彼らが、美しい海を埋め立てて米軍基地を作らせない請願運動に異存はなかった。
「応援団長ガンバレ」と、ヨガ好きの婦人が2枚の署名用紙を持ち帰り、署名を集めてくれた。スポーツクラブには、私が駅頭で「アベ政治を許さない」のステッカーを掲げていることを知る人も多い。若い人から「政治オジサン」とからかわれるが、「今度は何の署名?」と気軽に応じて、友達にも声をかけてくれる。名前を書いてもらえると友だちになれるので、一石二鳥。署名用紙が足りなくて説明だけ、翌週、待ってましたとばかりに署名してくれた男性もいた。2週間足らずで自分で集めた署名は50名になった。最年少を狙って高校生に声をかけた。応援団長の説明を素直に聞いていたが署名を渋った。「未来は君たちのもの。社会にもっと関心を持ってね」と励まして、その場を離れた。
いつの間にか若者と話をするのがおっくうになっている。自分の主張を伝えなくなったのは年齢のせいかも知れない。フィンランドに誕生した女性首相34才。政治の話がタブー視されがちな日本と違い、フィンランドでは若者を含めて政治が身近だという。個人の主張があるから大いに議論が始まるらしい。私に付けられたニックネームは「政治オジサン」。結構じゃないか。
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〔opinion9475:200222〕
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