「能力はないが、人気はある」を実証したミャンマー総選挙
- 2020年 11月 15日
- 時代をみる
- 野上俊明
11月8日に行われたミャンマーの総選挙は、NLDが2015年を上回る圧勝を遂げました―11/13現在、642議席中399議席獲得(総議席の1/4は、選挙なしで国軍に指定されている)。ただ世界の世論の関心をほとんど引かなかったのは、アメリカ大統領選の影に隠れたということもありますが、ロヒンギャ危機に際し国軍をかばったスーチー大統領顧問への大いなる幻滅があったからでしょう。スーチー氏からノーベル平和賞を剥奪せよという意見は依然根強くあります。そのNLDに対し、野党である国軍直系のUSDPは、2015年の41議席から28議席へと後退。アメリカのトランプ大統領張りに選挙結果の公正さ、合法性に疑いありとして選挙やり直しを求めていますが、すでにアメリカの選挙監視団カーターセンターや国内の監視団PACEもおおむね問題なしとしており、すでに負け犬の遠吠え以上ではないようです。
すでに各国の報道機関がNLD勝利の要因を粗いながら分析しており、私が新たに付け加えるべきことはほとんどないようですが、簡単にまとめておきましょう。
私見では、国民の危機感が投票率の高さに現れており、NLDの勝利を不動のものにしたのです。つまり選挙最終版に国軍最高司令官ミンアウンラインが、選挙の延期を求めて強硬な姿勢を打ち出した時、巷間にすわ、クーデタかという緊張が走り、悪夢の半世紀の再現ならじとみな必死の思いでNLDを勝たせようとしたのです。各投票所でコロナ対策がしっかり講じられるなか、長蛇の列をなし整然と投票に向かう老若男女の姿に感動を禁じえませんでした。とくに暗黒の軍政時代を体験した高齢者層―FBに写ったわが義母の姿を含め―の一票に込めた思いがひしひしと感じられました。国軍のクーデタは、自分たちが苦心して築き上げた2008年憲法体制をわれとわが手でぶち壊しにする以上実質的には不可能なのですが、国民の恐怖体験は10年そこらで消えるものではなかったのです。
国軍司令官のいま言ったフライングを別にすれば、NLDの勝因のひとつは、単純小選挙区制という選挙制度にありました。多数派が一人勝ちする仕組みになっていたことが大きいと思います。これは国軍が憲法制定当時自己の力を過信し、制度設計を間違えたことによります。選挙制度からして「多数の横暴」を招きやすいところにも、ミャンマー式民主主義の弱点がみてとれます。こうした制度の下でのNLDの圧勝は、少数民族や少数政党に恨みを残し、政治的亀裂を深めることになりかねません。選挙後NLDはすぐに48少数民族組織に対話を呼びかけたのは、NLDがそのことを少しは自覚していたのでしょう。民主的な連邦国家の建設という目標に向かって対等平等の政治関係を築くためには、支配民族である仏教徒ビルマ族には大いなる自制心が必要だったのですが、選挙結果はNLDにとって短期的な勝負に勝って、中長期的な政治に負けかねないものとなりました。
少数民族に対し選挙の公正公平さが損なわれた点も指摘しておきましょう。ラカイン州など紛争地域に当たるところでは150万人の住民地域で選挙が実施されなかったため投票権を行使できませんでした。またロヒンギャ110万人も公民権のひとつである選挙権を奪われたままでいることも忘れてはなりません。
もう一つの要因ですが、国軍が不満を訴えたように、コロナ禍で選挙運動が強い制約をうけるなかでは、マスメディアの露出の多い政府与党には何かと有利に働いたことがあげられます。政府与党は国費でメディア利用をまかなうことができますが、少数政党は資金面でも到底太刀打ちできなかったのです。
振り返れば、2015年の二大選挙公約であった内戦終結・永続的和平の達成および憲法改正=国軍の政治領域からの退場について、ほとんど何の成果もNLDは上げることができませんでした。経済分野の達成も、ロヒンギャ問題やインフラ未整備(特に電力不足)などが災いして欧米諸国から思ったような外資が導入できず、経済成長も期待したほどではありませんでした。したがってNLDはその実績に基づき圧勝したのではなく、みなが異口同音にいうように、不満はあってもNLDしかないという消極的選択によるところが大きい勝利でした。しかもスーチー国家顧問やNLDへの求心力の実体は、仏教徒ビルマ族政党としてのNLDの純化にあり、それ自体が裏面として排外主義的、差別主義的な体質を内包するものなのです。残念ながら88世代も含めミャンマーの民主化勢力は、反主流派も含めみな仏教徒大ビルマ主義者です。かれらの民主主義観がいかにミャンマー民衆のうちにある意識の「古層」によるバイアスがかかっているか、この点はわれわれの国とも比較研究しつつ、解明されるべき問題点です。
あらためてNLD政府二期目の課題を、思いつく限りで列挙しておきましょう。
1. 内戦終結へ向けた和平交渉の進捗。そこにはNLD民主主義の限界が露呈しています。民族、人種、宗教、思想信条、地理的配置等による差別を克服する政治思想こそ民主主義であることの徹底が必要です。先進諸国の協力を得ながら、シンクタンクや知識人集団のイニシアチブによる集団的な討議や知的錬磨が待たれます。ロヒンギャ迫害を容認するかぎり、国軍のヘゲモニー(政治的イデオロギー的影響力)に打ち勝つことはできません。
2. 国軍の脱政治化への出口戦略の策定。2025年を目途とする漸進的なロードマップを設計すること。新憲法制定へ向けた国民的論議を活発化することを通じて、改憲勢力の統一勢力化を図ることが必要です。
3. 2の実現のための少数民族との和解と統一戦略。力関係を民主化勢力の有利な方向に変えていく政治戦略が不可欠です。世界的にもそうですが、21世紀の人民戦線思想の陶冶が必要です。
4. 3のためには、NLDの近代的組織政党への脱皮が必要です。スーチーというカリスマの権威に依存する現状では、有能な後継者も育たず、したがっていつまでも国軍のヘゲモニーを許すことになります。NLDは真の意味で地域、地方に根を持たない権威主義的な議員政党としての体質からの脱却が求められています。近代的な政党であるためには、機動性のある「マルチチュード」としてのフラットな構造と、柔軟性のある、下部組織から上部へのフィードバックが可能なしっかりしたビラミッド構造をとる組織政党としての側面が必要です。
5. すでに第一期目でも州の首班クラスのNLD党員による大規模汚職が生じています。軍主導の官僚制との闘いに真剣に取り組まなければ、既存の体制と癒着し汚職が蔓延することになるでしょう。
6. 中国とどう向き合うのか。もちろん中国だけではなく、何から何まで外資依存でいいのかどうか。日本のほとんどすべてのインフラ事業が、外国資本によってなされるという事態を想像してみるだけで、ぞっとするではありませんか。外資導入と自立経済への試みをどう両立させるのか、東南アジア諸国共通の課題というか試練でしょう。首都圏への一極集中という経済開発モデルに対して、どうミャンマーなりのアンチテーゼを立てられるか。中国主導の大ヤンゴン市再開発計画が当面の焦点です。
アウンサン・スーチーは当年とって75歳、これから5年の任期中にいかなるレガシーを残すこと
ができるのでしょうか。経済的な近代化が進めば、自らの依拠基盤とすることのできる都市中間層が育ってくるのでしょうが、そのためにもまずは少数民族問題やロヒンギャ問題、国軍との対決と連携といった入口の政治問題の舵取りを首尾よく進めなければなりません。国際社会も批判すべきは批判しつつ、よちよち歩きの民主化を支援すべく、いろいろなかたちでコミットしていくことになるでしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye4785:201115〕
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