国民こぞって熱狂した大会と国民的祝福から遠かった大会 2つの東京オリンピックを“経験”して
- 2021年 9月 1日
- 時代をみる
- オリンピック岩垂 弘
2つの東京オリンピックを“経験”した。最初は今から57年前の1964年の東京大会、2度目は今回の東京大会2020である。前者では新聞記者として大会を取材したが、後者は大会が「無観客」で行われたから専らテレビ観戦だった。両大会とも開催時の日本の社会情勢と国民意識を色濃く反映したものだったというのが私の印象だ。
第18回オリンピック東京大会
1964年10月に開催された第18回オリンピック東京大会は、東京・国立競技場を中心に行われた。20競技63種目に93カ国・5152人の選手が参加した。史上最多だった。
国民の反応はどうだったのか。大会直後のNHKの世論調査によると、「今度の五輪は日本にとってプラスだったと思いますか」との問いの答えは「プラスだった」94・4%、「マイナスだった」4・2%、「分からない・無回答」1・3%だった。なんと、ほとんどの国民が東京大会を肯定的に評価したのである。国民の興奮・熱狂ぶりがうかがえるというものだ。
競技の中で最もテレビの視聴率が高かったのは駒沢オリンピック公園内の駒沢屋内球技場で行われた女子バレー決勝戦(日本対ソ連)だった。当時、ソ連の女子バレーは世界最強と言われ、一方、急速に力をつけた日本チームは「東洋の魔女」と呼ばれていた。
当時、私は全国紙の社会部の記者で、この日ソ決戦の取材を命じられた。試合は息詰まる接戦となり、緊迫感に包まれた会場を埋めた観客は終始総立ち。ついに日本が勝ち、ソ連選手は泣き崩れた。テレビ視聴率は85%だった。
私はまた、大会最終日に行われたマラソンの取材を命じられた。折り返し点の調布市飛田給の甲州街道の道路脇に立っていると、エチオピアのアベベ選手が走ってきた。前大会(ローマ大会)の優勝者で、彼は東京大会も優勝、連覇だった。
折り返し点には「英雄の姿を一目見たい」というおびただしい人々がつめかけ、身動きできないほどだった。
こうしたことからも、1964年の東京五輪への国民の関心がいかに高く、共感の広がりがいかに大きかったかが分かるというものである。
このことは、逆に言うならば、1964年五輪東京大会を誘致した東京都や政府の狙いが、多くの国民に受け入れられたということを意味する。
この時の五輪誘致の第1の狙いは、「国威発揚」だった
1945年に終結した第2次世界大戦で日本は敗戦国になり、連合国軍(実質的には米軍)による占領下におかれた。対日講和条約によって日本が独立したのは1952年、国連加盟を認められたのは1956年である。
敗戦国日本としては、早く世界の一流国の仲間入りをしたかった。五輪は、そのための格好の手段と考えられたのだろう。日本は、国連加盟前の1954年に1960年五輪大会に立候補している。この時は落選したが、1959年のIOC(国際オリンピック委員会)総会で1964年東京大会を勝ち取った。かくして、1964年東京大会は「日本の戦後復興を国際社会にお披露目する祭典」と位置付けられた。「アジア初の五輪」ということも国民の心をとらえた。
五輪誘致の狙いの第2は、折から始まっていた「高度経済成長政策」に一層弾みをつけたいということだった。「五輪のため」となれば、国を挙げての投資が期待できたからだ。五輪開催決定によって、全国的な「建設ブーム」がもたらされ、東海道新幹線、東京モノレール、首都高速道路、東名高速道路の建設が急がれた。これもまた、国民の多くに歓迎された。
さらに、政府が総理府に「オリンピック国民運動推進連絡会議」を設置し、公衆道徳、交通道徳、街並み景観の改善・整備を国民に呼びかけ、メデイアがこれに協力したことも、五輪への関心を高め、ナショナリズムをかきたて、国民の間に一体感を醸成することに成功したと言えるだろう。全国を走破した聖火リレーも一体感の醸成に一役買った。
第32回オリンピック東京大会2020
一方、やはり国立競技場を中心に行われた今回の東京大会(大半は無観客)には、22競技539種目に205カ国・地域の選手約1万1000人が参加した。史上最多であった。規模は参加国・地域、選手とも前回の東京大会の2倍強であった。
国民の反応はどうであったか 良くなかった44%
まず、NHKテレビ視聴率は、開会式56・4%、閉会式46・7%。
世論調査では、8月21日~22日に行われたANN(テレビ朝日系)の調査結果が目を引いた。それによると、「あなたはこの時期にオリンピックを開催して良かったと思いますか、良くなかったかと思いますか」の問いにたいする答えは以下の通りだった。
良かった 38%
良くなかった 44%
分からない・答えない 18%
つまり、今大会は4割未満の国民にしか祝福されなかったのである。別な言い方をするならば、今大会は5割近い国民には不評であったのだ。まさに、オリンピックという祭典に対する国民意識が真っ二つに分断された中での、盛り上がらぬ東京大会であった。
事前の世論調査(朝日新聞)では、「開催反対」55%、「開催賛成」33%であった。こうしたデータからすると、大会の挙行によっても五輪に対する国民意識は劇的には変わらなかったということになる。
なぜ、こんな大会になったのだろうか
まず、五輪東京大会が2度目であったことが挙げられよう。国民にとっては新鮮さを欠き、新たな関心が高まらなかったのではないか。
第2は、日本国民の意識の中から、オリンピックへの幻想が消え失せつつあったからではないか。海外から伝わってくる五輪誘致を巡る贈収賄疑惑などによって、IOCは利権がらみの団体ではといった不信感が国民の間に生じていたように思う。酷暑の夏に東京で五輪を開催するなんて日本では考えられないことだが、そうなったのは米国のテレビ会社の営業方針だったと伝えられ、日本人なら誰しも「これはおかしい」と思ったはずだ。
第3は、東京大会の開催理念がころころ変わったからである。最初は「復興五輪」、次いで「人類がコロナに打ち勝った証し」、それがまた「平和の祭典」に変わって、ついには「多様性と調和」。「これでは、一体何を世界に向かって訴えたいのか分からないではないか」といった声が国民各層から上がったのも当然だった。
第4は、安倍首相の2013年のIOC総会における「フクシマはアンダーコントロールされている」という東京大会誘致演説への不信である。それから8年になるのに、東日本大震災に伴う東電福島第1原発の事故はまだ収束していないばかりか、事故原発から生じた放射能汚染水の処置に困って政府は海に流す構えだ。原発再稼働にも前向きだ。「安倍首相の誘致演説は世界をだましたことにならないか」という声があちこちで聞かれた。
第5は、菅政権は自らの政権支持率向上のために五輪開催を利用したのでは、との疑念を多くの人が持ったからである。「新型コロナウイルス感染症が拡大しているから外出は自粛して、と国民に呼びかけながら、五輪大会を強行するのは論理的にも常識的にも矛盾する。「五輪の政治的利用は許せない」という声が続出したのも当然だった。
さらに、大会直前に東京オリンピッ・パラリンピック競技大会組織委員会の関係者よる不祥事が噴出したことも大会への信頼を低下させた。「女性差別発言」による森喜朗・大会組織委員会会長の辞任、学生時代におこなっていたいじめを過去に自慢していたことを指摘されて辞任せざるを得なかった音楽責任者、過去のコントにナチスによるユダヤ人虐殺を揶揄するような形で組み込んでいたことを暴露されて解任された元お笑いコンビの演出担当者……。うち続く不祥事にあきれ果てた国民も多かったに違いない。
最後に開会式に対する個人的感想を述べておきたい
4時間は長すぎると思った。そして、脳裏に次々と浮かんできた感想は次のようなものだった。「批判を恐れたためか、全体的に抑制が効き過ぎて、躍動感がなかった」「各方面に気を遣いすぎたせいか、多くのものを詰め込み過ぎた感じ」「強烈なアピールが感じられず、開会式を通じて何を世界に訴えたいのかはっきりしなかった(大会の理念が伝わってこなかった)」「日本文化を紹介する部門の発信が弱かった」
要するに、わくわくするような感動を与えてくれる開会式ではなかった。でも、長時間にわたってプログラムを演じ続けた人たちやボランティアには敬意を表したい。
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