黒木和雄・原田芳雄との思い出
- 2011年 7月 23日
- 交流の広場
- 高橋章子
30年前、わたしが下北沢にいた頃。
新宿で、映画監督・黒木和雄と俳優・原田芳雄に会った。そのとき黒木から出た言葉は「映画は私の運動である」、「ヌーベルバーグ」、「ゴダール」、「ルイ・マル」等。原田はポカンとしていたが・・・。
そして黒木は私に「僕はぼんやりする病気だから、あなた、すべてをやって」。これは、監督業以外はやりたくないと言う意味。
私は原田に、「ヌーベル・バーグは『新しい波』という意味で、フランスの新しい映画の運動です。フランソワ・トリフォーの『大人は解ってくれない』とか、ルイ・マルの『鬼火』とか、ゴダールの『きちがい、ピエロ』とか。黒木さんと御仕事するのなら、観ておいた方がいいです」。
私は黒木に痺れた。手の震える感動だった。
でも、まずカメラ。お金は何処にもなかった。私はマルイの40回ローンを組み、その上4歳から弾いていた琴を手放して、70万のビデオカメラを買い、何でも撮り始めた。
黒木の秘書になり、原田の悩みを聴き、カメラに没頭。「花」を撮る。「木」を撮る。そんなことから始めた。
2006年黒木和雄が死に、この7月19日原田芳雄が死んだ。
琴は、また友人から送って貰って、いま手許にある。時々悲しくなると弾く。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。