「党員による党首の直接投票は分派を生む」という理論について
- 2022年 9月 1日
- 評論・紹介・意見
- 共産党変革阿部治平
――八ヶ岳山麓から(391)――
つい最近、日本共産党が「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か――一部の批判にこたえる」という論文を発表した(赤旗ネット版2022・08・23)。
同論文は、まず「6中総や党創立100年をめぐるメディア報道は、・・・あらかじめ決められたわが党への攻撃の“ストーリー”に、都合のいい“断片”をはめこんで、論じているようなものが少なくありません」といい、「朝日」社説(2022・07・16)を例に挙げた。
わたしも「朝日」社説を読んだが、そのときはだれもが考える、当たり前のことを書いた社説だと思った。
ところが上記論文は、「朝日」社説が共産党の幹部の在任期間がかなり長いと指摘したこと、党首の選出方法が党員の直接選挙でないこと、共産党の組織原則の民主集中制が「閉鎖的な体質」をもたらしていることを指摘したのを不当として、「そこでこの機会に、日本共産党の幹部政策の基本について、あらためて明らかにしておきたいと思います」という。
もちろん「朝日」社説は幹部政策に止まるものではなかったが、同論文はそこだけを取り上げたのである。
この論文の「かなめ」は、共産党は党首の直接選挙はやらないというところにある。なぜやらないか。
「党首を党員の直接投票で選ぶ選挙を行うということになれば、必然的に、党首のポスト争いのための派閥・分派がつくられていくことになるからです」
わたしは、この文言にはおどろいた。これは暴論というより滑稽である。党内分派とは、党の決定や規約よりも分派の論理を優先させる集団のことである。このりくつだと、全党員の選挙でなくても、共産党の現行制度でも分派は生まれることになる。
共産党の中央委員会は150人ほどで構成され、幹部会委員とその委員長、書記局長などを決めることになっている。中央委員会総会で委員長候補者が複数いて支持が割れたとき、それぞれの支持者のグループを分派だとするのか。だからこの20年間、分派の発生を防ぐために幹部会委員長候補を志位和夫一人に絞ってきたのか。
かりに共産党の中に意見の異なるグループが生まれたとしても、多数決で決めた方針に沿った「行動の統一をはかること」はできる。それこそ政党というものである。
やがては議会で多数を取り、日本の独立と高度の社会福祉を実現する政党だと思うから、わたしは選挙のたびに寄付をし票読みも手伝ってきたのに、情けないことをいうものだ。
さらに同論文は、各レベル党幹部の選挙制度を述べたのち、「わが党の選挙は、どの段階のものであっても、他の人を推薦する自由、自ら立候補する自由が保障されており、実際に民主的な選挙が行われています」といっている。
これは、党規約第13条の「選挙人は自由に候補者を推薦することができる。指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する」という規定にもとづいている。だが、この規定では前半と後半の論理的な整合性が得られない。他薦自薦で立候補した者と、指導機関が推薦した候補者との関係が明らかにされていないからである。
実際問題として、過去の選挙において指導機関推薦ではない、自由な他薦自薦の候補者がいただろうか。ないとしたら「自由に候補者を推薦することができる」という規定は死文である。
死文でないのは後半であって、これにしたがって現行指導機関の意向に沿った人物が推薦を受け、次期委員候補の推薦名簿に掲載され当選するのである。推薦名簿に登載されないものが当選する可能性はない。現実にもそのような事例は存在しなかっただろう。
しかも、規約には幹部の任期も定年も規定されていないから、終身在職を保証しているに等しい。改定後の中国憲法が習近平氏の終身国家主席の可能性を保証している事情とよく似ている。護憲政党の規約としては瑕疵があるというべきだ。
「民主選挙」だというお題目は別として、規約に従うと共産党の次期委員会は現行指導機関による「禅譲」によって成り立たざるをえない。だれもが知っているように、宮本顕治氏が不破哲三氏や志位和夫氏を次期幹部として「推薦」したのはそのゆえである。
重要な課題を真正面から取り上げることなく、幹部政策に問題を矮小化したこのような論文を発表したのは、党内の中央幹部に対する批判を抑え、党外には言訳をするのが目的であろう。だが、この論文は、たくまずして党内に強い憤懣が生まれたことを反映したものになっている。
労働運動をはじめとする大衆運動軽視、それによる職場支部の壊滅、国政選挙・地方選挙での連続敗退、さらには党員の老齢化と減少、「自由と平和」という自民党と変わらないスローガン、党勢拡大ばかりが追求されて党員の疲弊をまねいたことなど、わたしに党員複数がこもごも不満を語ったことがある。
ところが、参院選敗北後、地力をつけると称して始めたのは、依然変わらぬ昔ながらの赤旗と党員の拡大運動だった。一般紙の読者すら大幅に減少し、「新聞紙」だけでは赤字の新聞社が生まれているというのに、党員はいまも困難な赤旗拡大に追われている。
情勢は変ったのだ。多くの若者が主な情報源としているのは、新聞・テレビ・ラジオではなくSNSである。今日「しんぶん赤旗」の宣伝機能は著しく低下した。赤旗日曜版読者を拡大したからといって支持者が増えるわけではない。
政治運動も宣伝の仕方も大きく変えるべき時だ。この際、幹部もまた刷新されなくてはならない。 (2022・08・27)
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