「日の丸・君が代」強制問題・セアート勧告報告
- 2022年 10月 8日
- 評論・紹介・意見
- 日の丸君が代澤藤統一郎
(2022年10月7日)
弁護士の澤藤です。「障害者権利条約・第1回日本審査の報告集会」に発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。
私の報告は、公立学校での「国旗国歌(日の丸君が代)強制問題」についてのものです。障害者権利条約や性教育に関するものではありません。本日のメインテーマから外れた付録の発言。ですが、教育問題として、また国連の勧告を現場に生かそうという運動として密接に関連しています。
この件についての国連から勧告は、ILOとユネスコが合同で作った専門家委員会・セアートの勧告を、ILOとユネスコがそれぞれ正式に採択したものです。1919年に最初の勧告が出ましたが、日本政府(文科省)に誠実に履行する態度がありません。このことをセアートに報告して、今年になって再勧告が出ています。
実は、この再勧告の実施を求める2度目の対文科省交渉を先ほど終えたばかりです。障害者権利条約に関するこの報告集会が15時始まりですが、同じ参議院議員会館の別室で13時から、「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」と「アイム89東京教育労組」の合同申し入れでの交渉が行われました。
一言でいえば、文科省の消極姿勢には失望せざるを得ません。本日の文科省交渉を通じての実感は、国連からの勧告をもらっただけでは、絵に描いた餅に過ぎないということ。本当に腹の足しになる食える餅にするためには、当事者を中心に、市民運動が起きなければならないということです。メディアや政治家の皆様にも汗をかいていただかなくてはなりません。
石原都政下の都教委が悪名高き「10・23通達」を発出して以来、もうすぐ19年です。以来、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令と闘い続けてきました。最初にこの問題を法的に考えたときに、こう思いました。
あの旗と歌を、「国旗・国歌」とみれば、日本という国家の象徴であり、権力機構の象徴でもあります。主権在民の原則を掲げる今の時代に、主権者である国民に対して、国家の象徴である国旗国歌への敬意表明を強制できるはずはありません。
憲法上なによりも大切なものは、個人の尊厳です。国家は、個人の人権擁護のために、主権者によって便宜作られたものに過ぎません。その国家が、主権者に対して、「国家を愛せよ」「国家に敬意を表明せよ」などと言えるはずはない。それは、倒錯であり、法の下克上でもあります。
また、あの旗と歌を、「日の丸・君が代」とみれば、日本国憲法が意識的に排斥した大日本帝国憲法体制の象徴というほかはありません。天皇主権・国家主義・軍国主義・侵略主義・排外主義の歴史にまみれた旗と歌。侵略戦争と植民地支配のシンボルとしてあまりに深く馴染んでしまった旗と歌。これを受け入れがたいとすべきが真っ当な精神というべきで、日の丸・君が代への敬意表明を強制できるはずはありません。明らかに、憲法19条の思想・良心を蹂躙する暴挙ではないか。
この件については、不起立に対する懲戒処分の取消を求めるかたちで多くの訴訟が重ねられ、多くの判決が出ています。結論を申しあげれば、残念ながら日の丸・君が代強制を違憲とする最高裁判決を勝ち取ることはできていません。しかし、何度不起立を重ねても、戒告はとかく、戒告を超える減給・停職は、重きに失する処分として違法で取り消されています。教員側も都教委側も勝ちきれていない状況が続いているのです。そのような膠着状態の中で、セアート勧告が出たのです。
国連という世界の良識による、「教員の国旗国歌強制の拒否も、市民的不服従として許されるべきだ」「現場に混乱をもたらさない態様での思想・良心の自由は保護されなければならない」という勧告は、大いに私たちの闘いを励ますものとなっています。
ご承知のとおり、安保理だけが国連ではありません。国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいます。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきました。また、おなじみのユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開しています。
その両機関の活動領域の重なるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、あるいは教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当しています。この合同委員会が「セアート(CEART)」です。日本語に置き換えると「ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会」だそうです。名前が長ったらしく面倒なので、「セアート」と呼んでいます。
2019年3月セアートは、その第13回会期で日本の教職員に対する「日の丸・君が代強制」問題を取りあげました。その最終報告書の結論として次の内容があります。
110.合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。
(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設けること。このような対話は、そのような式典に関する教員の義務について合意することを目的とし、また国旗掲揚および国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるようなものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒手続について教員団体と対話する機会を設けること。
「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」べきだとするのが、最も重要な勧告のキモだと思います。その目的実現のために、「関係者は誠実に話し合え」と勧告しているのです。
この勧告は、形式的には文科省に対して、実質的には都教委に対して発出されたものですが、文科省も都教委もほぼこれを無視しました。この国は、国連から人権後進国であることを指摘され是正の勧告を受けながら、これに誠実な対応をしようとしません。居直りと言おうか、開き直りというべきか。不誠実極まりないのです。人権を無視し国連を軽視すること、中国やロシア、北朝鮮並みではありませんか。実に情けない。
日本の政府や都教委は、できることならこの勧告・再勧告を、「勧告に過ぎない。法的拘束力がない」として、無視しようとしてます。明らかに、自分たちの立場を弾劾する不都合な内容だからです。しかし、これが、世界標準なのです。誠実に対応しないことは、日本政府の恥の上塗りをすることになります。
教職員側は、この日本政府の怠慢をセアートに報告。2021年10月第14期セアートは、あらためての再勧告案を採択。2022年6月、ILOとユネスコはこれを正式に承認しました。そのセアート再勧告の結論となる重要部分は次のようなものです。
173. 合同委員会は、ILO理事会とユネスコ執行委員会に対し、日本政府が以下のことを行うよう促すことを勧告する。
(a) 本申立に関して、意見の相違と1966年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府および地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
(b) 教員団体と協力し、本申立に関連する合同委員会の見解や勧告の日本語版を作成する。
(c) 本申立に関して1966年勧告の原則がどうしたら最大限に適用され促進されるか、この日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。
(d) 懲戒のしくみや方針、および愛国的式典に関する規則に関する勧告を含め、本申立に関して合同委員会が行ったこれまでの勧告に十分に配慮する。
(e) 上に挙げたこれまでの勧告に関する努力を合同委員会に逐次知らせる。
13期と14期の2期にわたる勧告となりました。日本の政府には誠実に対応する責務があります。
どうやら私たちは、人権後進国に住んでいるのだと考えなければならない様子です。一人ひとりの思想・良心の自由よりは、愛国が大切だという、国家優先主義でもあるこの国。せめて、開き直らずに、誠実に国連機関が言う「国際基準」に耳を傾けていただきたいと思うのです。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.10.7より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20095
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