アルチュール・ランボー論
- 2023年 6月 18日
- カルチャー
- 川端 秀夫
朝、目覚めた時、すでに世界戦争は始まっていた。思い出そう、あの日我々は何者であったのか。そして私は誰であったのか。
上京して最初の秋、その頃私が通っていた明治大学和泉校舎校門横の壁面には、「十一月に死す」と大書された落書きがあった。いまでは遠い記憶のように霞む一九六九年十一月決戦の直前の気配を、私はいま思い出している。街頭が叛乱の青春一色に塗りつぶされたあの季節に、私もまたそこに居あわせた一人であった。ある日のこと、政治的言語ばかりを呼吸する生活が続くのに疲れ、ふと手にした詩の雑誌の巻頭論文、そこに引用されていたのが、次のランボーの詩であった。
まだまだ前夜だ。流れ入る生気と現実の優しさのすべてを受け入れよう。そして夜明けが来たら俺達は、燃え上がる忍辱の鎧を着て光り輝く街々に入るのだ。(アルチュール・ランボー『地獄の季節』「別れ」記憶によるため訳者不詳)
もしも人間の精神を隈なく写し出す一つの鏡があるとしたら、「まだまだ前夜だ」、この一語こそ、私にとってまさにその鏡であった。それだけではない。この言葉の中には時代の認識すら秘められていたのだ。世界叛乱の時代に都市生活の第一年を大学生として迎えた私に、詩人の指令は速やかに届いた。……流れ入る生気と現実の優しさをすべて受け入れよ、と。そして前夜のあとには夜明けが来る筈であった。夜明けと共に光り輝く街々が現れる。そこへ我々は決意も固く鎧で武装して入って行くのである。
「前夜」「夜明け」「光り輝く街々」、すべてが未決定で混沌のこの新たなる出発の時期に、これらの象徴的言語は輝く多面体の水晶のように隈なく私の内面を照射したが、学生生活が一歩内部に踏み込むにつれて、ランボーの私への呪縛は、次の詩句によって、より純化された。
すべてに縛られて
なすこともなく過ごした青春よ、
心がせんさいなばかりに
おれは生活を失ってしまった。
ああ! 時よこい、
すべての心の燃える時よ!
(アルチュール・ランボー「忍耐の祭り」高橋彦明訳)
私とは誰か? 詩人の究極の質問にしてかつ最初の質問にランボーは答えた。解かれるべき謎・暴かれるべき神秘は自己の外部に存在するのではなく、自己自身が一個の絶対的神秘であることを、神秘のコペルニス的転回の意味を、この質問はそれ自身の中に含んでいるのだ。かってエジプト人は到達しえた究極の知恵と信じたものを彼らの神殿に彫り付けた。我々は何者か? 「我々はいまあるところのものであり、かってあったところのものであり、将来あるところのものであろう」。この碑の前に立ったすべてのエジプト人は、人間自身を、時間の制約を越えて現在・過去・未来に渡って飛び回る鷹のように自由な存在に感じたことであろう。だが気付いて頂けただろうか? ランボーのこの詩においてもまた、詩人はまるで正確な設計図を描くように自分の過去・現在・未来を一望のもとに見渡しているのである。過去を描写し、現状を規定し、そして未来を眺めている。極めて短いが、しかし「私とは誰か」という質問に、すべてを答えているランボーの詩がこれだ。
ランボーから発せられる絶対への指令を私は次々に受け入れようと試みた。ランボーへの熱狂が始まった。それは原初の自然に近づいた日々、不可能への痙攣の日々であった。だが、その頃のもはや絶対的に失われ去った無垢の季節をどのような言葉を連ねようと今に蘇生は不可能である。過ぎ去った夏、旅のある日、小高い山の中腹を素早く走る四角い影を見た。それはまさしく大空を駆ける四輪馬車でなければならなかった。真白い雲が空をおおい、そこから覗いた三角形の青空、それは神の眼球でなければならなかった。旅の終りの日に駅で見送ってくれた女たち、それは季節と共に死滅する美少女でなければならなかった。だがこれらはまた別の事だ。放浪の日のランボーの記憶に、いま・ここの私から関係の糸を繋げようとしても、その糸はプッツリとすぐに切れてしまう。
ランボーと共に過した吉祥寺の街を私は思い出す。ジャズ喫茶「ファンキー」の狭い階段を降りた地下室では、ドラムの音が、ベースが私をアフリカへの気配に包んでくれた。そして目をランボーの詩集に落せば、たちまち開始されるランボーのヴォーカル! ランボーの肉声を私は何度も何度も聞いた。ミック・ジャガーのヴォーカルよりも、第九の合唱よりも素晴らしい、いやそもそもこの世では絶対に聴くことができないだろう不可能の音楽を私は聴いた。私はもはや他にどのような芸術表現も必要としなかった。不可能の絵画、不可能の演劇、不可能の映画、不可能の美術、不可能の舞踏。それらすべてはランボーの言葉の中にあった。それらすべては一冊の詩集の中に存在していたのである。
さて、生誕のその日以来、生活のさまざまな局面を越えて生き延びてきた最も深い秘密を、もはや明かさなければならない。
いつものように私は「ファンキー」の地下でランボーを読んでいた。否、ランボーの叫びを聞いていた。ジャズがあり、テーブルがあり、黒い壁があった。スポット・ライトに照らされたランボーの書物に、頭蓋を傾けた姿勢のまま、一時間、二時間経った。肉体はジャズのリズムの中に浮かんでいた。叫びは私の魂の中に満ちた。恐るべき言語は次々と聴覚から頭脳の中に入り込み、ランボーのさまざまな眩暈は一挙に私を襲った。ジャズのボリュームが上げられ、それを上回る激しさでランボーの狂気の声が耳元で響いた。ついに爆発だ! 錯乱だ! 栄光だ!
ついに私の頭脳はある至高の精神状態へ突入していった。私は限界点を越えて絶対的明晰の方向へ限りなく加速されていった。そのようにして私に訪れた時間にしてわずか二・三秒の名づけようもない事態を普通の言葉で伝えるのは無理であろう。そこではすべてが起こったし、また何も起こらなかったともいえる。コップは投げられ、テーブルは倒された。私は躍り上がって右に左に襲いかかった。銃弾は発射され、人々の頭蓋から血潮が吹き上がるのが見えた。しかし、事実は私はこれらのことは何もしなかった。もしそれが事実でないのなら、事実の方が間違っている。こんな曖昧な文学的レトリックを付け加えたとしても、それは無意味に近い。
昨日、ここまで書いてすぐ後に、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を観た。そこで、この後をどう続ければいいか、まことに奇妙だが、しばらくシェイクスピアに任せてみよう。『夏の夜の夢』第五幕冒頭、シーシアスは語る……
……妙だな、本当とは思えぬ。到底、信じられぬのだ、あんな奇妙な昔話や、子供くさいお伽話は。恋するものや気違いなどというものは、頭のなかが煮えくりかえり、在りもしない幻をこしらえあげるらしい。あげくの果てに、冷静な理 性ではどうにも考えつかぬことを思いつく。物狂い、恋するもの、それと詩人だ。彼らはいづれも想像で頭が一杯になっている。広大な地獄にもはいりきれぬほど、たくさんの悪魔を見るものがある。それが、つまり、狂人だ。恋するものも、やはり気違い同様、どこの馬の骨かわからぬ乞食女の顔に、国を傾ける絶世の美女の再来を想う。詩人の目とて、同じこと、ただもう怪しく燃え上がり、一瞥にして、天上より大地を見おろし、地上からはるかの天を見はるかす。こうして詩人の想像力が、ひとたび見知らぬものの姿に想いいたるや、たちまちにして、その筆が確たる形を与え、現実には在りもせぬ幻に、おのおのの場と名を授けるのだ。強い想像力には、つねにそうした魔力がある。つまり、何か喜びを感じたいとおもえば、それだけで、その喜びを仲だちするものに思いつくし、闇夜にこわいと思えば、そこらの繁みがたちまち熊と見えてくる。それこそ、何のわけもないこと!
(シェイクスピア『夏の夜の夢』福田恒存訳・新潮文庫)
サンキュー、ミスター、シェイクスピア。
さて、冗談はすばやく忘れ、もとの地下室に戻ろう。
視覚でとらえられ、ほとんど同時に幻聴されたランボーの言葉は、次々と頭脳の中の映像として繰り広げられていった。一言で言って私は、夢の中の現実の領域へ完璧に踏み込んだのである。あるいは私はその時、本当の狂気の一歩手前にいたのかもしれない。しかし、ちょうど全速力で疾走する自動車から本能的に身をかわす人間のように、私はある種の危険を身に感じて身を引いた。テーブルの上のランボーの書物からゆっくりと視線を上げていった。しかし、幻聴がしだいに遠のいていくその短い数刻の間にも、新たな気配はまた起こった。目を上げた私の前方に拡がったのはジャズ喫茶の室内だけでなく、その黒い壁を越えてはるか彼方の地平線まで続く黒い砂漠であった。そして前方約5米の地点に、両手をだらりと下げ、わずかに斜め向きの姿勢で、こちらの方を見つめている一人の若者が立っているのが見えた。アルチュール・ランボーであった。戦慄が私の中を走った。身体は動かなかった。叫ぼうとしたが何も叫べなかった。ランボーの目をまっすぐに見据えながら、私の魂は瞳から発する光と共にランボーの肉体の中に入り込み、再び戻った。砂漠はゆらゆらと揺れた。私はもう私が誰であるのか忘れ去った。ランボーが見える。そこへ入った私は、私である。だからランボーは、私だ。ではランボーが見つめている人間は誰だろう? 私ではない。私ではない。私が還っていかねばならぬ虚ろな容器、滅ぶべき肉体に過ぎぬ。私を見つめ続けていたランボーがかすかに笑った。ランボーは、ゆっくりと肩を後方へと向ける気配を示し、それを合図にすべての憑依は終わった。
よろめきながら「ファンキー」の戸口を出ると、正面に見える映画館のガラス窓はまだ地震のように痙攣していた。かたわらを振り向けば、道路もまた揺れていた。私は「ファンキー」の戸口を振り返った。その中に座っていた自分のことを思った。何かが起こり、もはや永久にそれは終った。私は何かを置き去りにしたまま帰ろうとしている。そんな気もした。ランボーは砂漠の彼方へ消え、もはや帰っては来ないだろう。これが最後の別れだ。そんな気もした。こうして私の「伝説の午後・いつか見たランボー」はただ一度上映され、以後永久に倉庫に眠ったのである。
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それからもランボーへの熱狂は続いた。私にはランボーと共に断崖の果てまで行く勇気がないわけではなかった。断崖の上で踊るダンスのように、危険なものと美しいものとがもつれあう場所へと私は追い詰められていった。意識の危機は近づいた。神秘の力を求めて、呪文のように、この詩を暗唱した日々があった。
俺たちは毒薬を信じている。いつの日にもこの命を洗いざらい投げ出すことを知っている。(アルチュール・ランボー『飾画』「酩酊の午前」小林秀雄訳)
毒薬を信じている。こう呟くだけで不思議な力を私は得た。だが毒薬とは何だろう? それはこの世に決して存在しないもの、また決して存在し得ないものであった。ド・ク・ヤ・ク。この馬鹿げた空気の振動が、不可能へ通じる為の魔法の痙攣、であった。国分寺駅南口の急な坂を、頭脳にはただこの詩だけを詰め込んで、私は歩いていた。一つの言葉が地上に生まれ、その言葉が私と共にこの坂を歩いて行った。それは人類に初めて言葉が誕生した瞬間、言語が肉体と共に踊った最初の日であった。命を差し出す事を交換条件に、私はあらゆる力を得た。こうして私は恐るべきテロリストとなった。途方もない不協和音の中を私は歩いて行った。頭脳の中に水爆は生まれ、その信管に手をかけて低く私は笑った。「なぜ恐れる事をやめ、私は水爆を愛するようになったのか」。その解答はこの日の私が握っている。私の心の分身達が、この頃、現実の世界でも、爆弾を投げ、旅客機をハイジャックした。しかし現実のテロリズムよりも、更に激しいテロルを私は愛した。もちろん、果てまで行ったこの頃の生活を、その惨めさを、人は笑う事はできるだろう。しかし、私はけっして笑わない。
詩、それを、私達に訪れた究極的な幻想の形態として捉えるならば、私達の宿命はすでにその時、幻想が生活を解体するか、それとも生活が幻想を絞殺するか、この二つの岐路として選択されてしまっており、決してそれ以外の道はない。ランボーへの直接的な熱狂は、学生生活が終りを告げると共に、終った。新しい生活が扉を開き、私はその中へ入って行った。過ぎ去った熱狂の季節、ランボーの呪縛を、自分の目の前において見つめる事のできる時間が始まった。狂気が理性と対面した。
ひとつの疑問があった。すべてのランボーの詩の中で、なぜこの三つの詩だけがあたかも特殊な位置を占めるかのように、学生生活のそれぞれの時期に私を完璧に呪縛しえたのかという問題である。しかし、この疑問は簡単に解ける。私も人並みに、最初はこれから始まる学生生活に希望を抱き、中程にはもっと何かやらねばと苛立ち、終わり頃には自由な時間を喪失する瞬間の到来に非常に焦った。それだけの事にすぎない。馬鹿馬鹿しいことではあるが、これは学生の自然な生活感情であるから何も不思議はない。この三つの詩の内部に私は宙吊りになった生活者を見た。それは各々の時期の私である。
人間は感情を持つ、これは抽象的な言い方である。人間は自分の置かれた生活の様々な局面において、それに即応した生活感情を抱く、そこを出発点として人間は様々な事を考え、あるいは悩みあるいは行動する。こう言わねばならない。それぞれの時期に存在した自然な生活感情を出発点にして、一個の存在が何者かに到達しようと情熱をふりしぼった。私の場合、それがランボーであった。これがランボーが私を呪縛しえた秘密である。すべての幻想は、根源的であればある程、深く実在的生活と関わりを持ってくる。幻想はただただ生活の中からのみ飛翔するからだ。こうして私は「生活幻想」の概念を発見した。「幻想史を編むならば、生活史の暗喩となるだろう」「生活幻想を徹底的に極めれば、必ず時代と相渉る」。ノートに書き記した自らの言葉を見つめながら、私はこれらの言葉が私の意識の内的推移の秘密を解く鍵であるだけでなく、人類史のパースペクティヴにおいて、すべての芸術表現の謎を解く鍵でもあると考えた。
すでに二八歳のマルクスは、当時のドイツ哲学のイデオロギー的性格の暴露という、私とは別の動機と経路を辿って、私と同じ結論に到達している。
意識は意識された存在以外のなにものかでありうるためしはなく、そして人間達の存在とは彼らの現実的生活過程のことである。
人間たちの頭脳の中の模糊たる諸観念といえども、彼らの物質的な、経験的に確かめうる、そして物質的諸前提に結びついた生活過程の必然的昇華物である。
これらのテーゼが書き記された『ドイツ・イデオロギー』の完成が、一八四八年のフランス二月革命のわずか一年半程前であった事に注意する必要がある。間近に迫った革命の気配が、マルクスに理論の成就を急がせた。そして、すべてを薙ぎ倒し転覆する究極的認識は、ただ青春の頭脳にのみ可能であった。
しかし、マルクスの理論はマルクスのものではない。ランボーの詩はランボーのものではない。それらはすべて、生活幻想を徹底的に極める事によって打ち立てられた時代精神の塔である。そして我らの頭脳はすべて、あらゆる時代精神が訪れて祝祭の旗をなびかせるための通底器なのである。 完
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