私は人間であって、国家の付属物ではない 私と日本国家の関係
- 2023年 9月 21日
- 評論・紹介・意見
- 宮里政充戦争戦場体験
戦場における殺人は「手柄話」か
私は1960年代のはじめに大学を卒業し、埼玉県北部の県立高校へ就職した。私は沖縄本島の北部に生まれ育っていたので、まわりののどかな環境にはすぐに慣れ、親しい同僚もたくさんできた。なり手の少ない山岳部の顧問にさせられて、いきなり北岳に登ったり、文学好きな仲間と同人誌を出したりもした。
職場には朝鮮半島や中国大陸の戦場から帰還してきた同僚が数名いた。彼らは授業や部活動の指導や校務に熱心であり、また良き家庭人であった。私は彼らに親しみと尊敬の念を持っていた。だが、間もなく彼らのうちの何人かに強い抵抗感を持つようになった。その彼らは酒の席などでよく自らの戦闘体験を語ったが、その内容の多くは、銃剣で住民を刺殺した時の手応えや、女が転げまわるので強姦を遂げるのに苦労したなどの、いわば「手柄話」だったからである。彼らにとって戦場という非日常的な環境と戦後の平和な日常とが、何の違和感もなくつながっているように思われた。
私は戦争中に東シナ海沿岸のガマ(洞穴。そこは風葬として使われており、人間の白骨が納められていた)で息をひそめ、目の前の川を海へ向かって流れていく日本兵の死体を眺め、照明弾の降る山中を逃げ回り、祖父が米兵に射殺され、捕虜収容所で祖母をマラリアでなくし…、などなどの体験は私の心に沁みついていた。「手柄話」は受け入れがたいものだった。
パソコンで「ベトナム戦争・写真」を検索すると、おそらく韓国兵士と思われる若者たちが人間の生首をぶら下げて得意顔でカメラに向かっている姿が出てくる。この兵士たちは、戦争が終わって、家族のもとへ帰って、さて、どういう生活を送っているだろうか。やはり「手柄話」に花を咲かせているのだろうか。
「手柄話」にできない人たち
私の親戚の男性は、中国大陸から帰還はしたものの働く意欲を失い、たまに日雇いの仕事をもらってその日暮らしをしていた。父はその彼を薪割りやサトウキビの収穫などで雇うことが多かった。私は一度だけその彼から戦地での体験を聞いたことがある。彼は松を切り倒し、枝を細かく切り落とした後で中休みをしていたとき、私と並んで座り、松林の向こうの東シナ海に目をやりながら絶え入りそうな声で言った。
「上官の食器を洗いながら、飯盒にこびりついたご飯粒を食べるのが一番の希望だった…」
私は彼がはるか向こうの大陸でどのような戦闘体験をしたかは知らない。彼はそれ以上は語らなかった。苦しそうな横顔だった。
私の兄は鉄血勤皇隊の一員であった。鉄血勤皇隊とは沖縄戦で日本軍の正規部隊として併合された、14~16歳の少年兵隊のことで、その任務は実際に戦闘に参加する班と、村々を回って情報を日本軍に提供する班とに分かれていた。いわゆるスパイである。戦闘班は多くの戦死者を出したが、兄は後者に属していて命拾いをした。その兄から「生き残った者の負い目」を聞かされたのは、ごく最近のことである。
『帰還兵はなぜ自殺するのか』(デイヴィッド・フィンケル著、古屋美登里訳、2015/02/10亜紀書房)は、イラン・イラク戦争(1980~1988)から帰還してきた元兵士たちの痛々しい姿を、ペンタゴン(米国防総省)の自殺防止会議の調査報告に沿いながら明らかにしているが、胸が詰まって先へ読み進めない箇所が何か所もあった。
上野千鶴子氏の書評(毎日新聞夕刊(2016/03/15)の一部分を紹介したい。
「フィンケルの「帰還兵はなぜ自殺するのか」によれば、アフガニスタンとイラクに派遣された兵士は約200万人、うち50万人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、毎年240人以上の帰還兵が自殺している。ある日戦地へ行った夫が帰ってくる。夫は抑鬱(よくうつ)と暴力とで、人が変わったようになっている。妻には、愛する夫の変貌がどうしても理解できない。夫は精神科に通い、苦しみ抜いて、その苦しみから解放されるために死を選ぶ。米陸軍には自殺防止会議がある。自殺対策は軍の重要課題なのだ。海の向こうの話ばかりではない。日本でもイラク派遣の自衛官のうちすでに29人が自殺している。
国民の平均自殺率を超える異常な数字だ。戦死者は出さなかったのに、自殺者を出したのだ。」
「ボディカウント」
『戦争とデータ—死者はいかに数値となったか』(五十嵐元道著、中公選書2023/07)によると、ベトナム戦争においてアメリカ軍の代表的作戦である「索敵殲滅作戦」(後に「掃討作戦」と呼び替えられた)は文字通りゲリラを片っ端から殺害しようという作戦であった。そこで敵や味方の遺体の数を数える「ボディカウント」が軍事作戦の重要な指標として利用された。「アメリカ軍にとって、ボディカウントは数少ない明確で利用可能な統計データ」(p129)となる。
そういえば、ヒトラー配下にあって600万にも及ぶユダヤ人殺害に関わったアドルフ・アイヒマンにとっても、600万人のユダヤ人には人権も家族も友人も恋人も将来の夢も喜びも悲しみもない単なる数値でしかなかった。しかも彼はただ「ヒトラーの命令に従った」だけであった。したがって彼は死刑判決が下された後も無罪を主張し続けたのである。
私は「人間」でありたい
殺戮し殺戮される戦場の情景は「人間」には耐えられない。だから戦闘のさなかであれ帰還後であれ、人間として狂うのは人間であることの証明なのだ。
私はひとりの人間であって、日本国家の付属物ではない。したがって「ボディ」として「カウント」される存在にはなりたくない。「神国日本」の政治体制を整え、「八紘一宇」という「正義」を実現させるために「滅私奉公」を絶対的な倫理として国民に強要し、東南アジア、中国大陸そして沖縄などで累々と「ボディ」の山を積み上げてきたかつての日本の歴史を、そのまま受け入れることはできない。「そのまま」というのは、「国家権力と私とを同一化させたまま」という意味である。
私は人間でありたいので、国家とは距離を保ちたい。国家権力者が保守的であれ革新的であれ関係なく。現在、目の前で派閥争いを繰り返している権力者たちのために自分や家族の命を捧げられるかどうか、冷静に考えたい。 (2023/09/15)
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