知ろうとしない人たち
- 2024年 3月 27日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
もう一月半ほど前になるが、駅前で署名活動をしている集団にであった。十名ほどいらしたが、古希を過ぎた者の目にもかなりご高齢の方々に見えた。署名をお願いする言葉には、似たようなことをして来たものしか気づかない包み隠したかのような意思が滲んでいた。
署名しているときの短い会話を反芻しては、立派な人たちにお会いできてよかったと思っていた。それがいくらもしないうちに、できることなら組織の紹介やビラをちきゅう座に投稿していただけないかと思いだした。ただお願いしようにも、コンタクト先が分からない。ある晩、市のイベント情報から生涯学習プログラムを見ていて、多分この方たちだろうというのをみつけた。さっそく市の担当部署にメールしてコンタクト先(責任者)の電話番号を教えて頂いたが、いざ電話しようという段になってためらった。唐突にちきゅう座といっても何をいっているのか分からないだろうし、どうきりだしたものかと考え込んだ。
いくら考えても妙案なんかでてきやしない。ちきゅう座の「催し物案内」に掲載するだけだから、会員になる必要もないし、なんの義務も負担も生じない。ネット環境に疎くても、掲載することになんのマイナスもないことぐらい分かってもらえるんじゃないか?それだけでいいじゃないかと不安をふっきった。ちきゅう座は民主的な人たちの意見や呼びかけを掲載している投稿サイトであることを丁寧に説明するしかないじゃないかと腹をくくって電話した。
電話したら、この電話は録音されてます。無音の状態が続きますというアナウンスがながれて無音になった。よくある留守番電話のメッセージ「ただ今電話にでることができません。ピーっという音のあとにメッセージを残してください」もない。ただの無音ははじめてだった。どうしたものかと考えた末に夕方にでも掛けなおせばと切った。掛けなおしたが同じアナウンスのあとに無音。どういうことなのか見当もつかずに、とりあえず市の担当者から紹介されたことと氏名を名乗って目的を簡単に言って切った。
数時間後に折り返しの電話がかかってきた。ちきゅう座についてもうちょっと細かく紹介して、駅前で配布していたチラシの電子ファイルを送って頂ければ、掲載させて頂きます。費用は発生しませんし、なんの義務も制約もありません。掲載すれば、北海道や沖縄の方だけでなく、ヨーロッパやアメリカに在住の人たちにも貴方の活動を伝えることができますと、そしてちきゅう座にどのような人たちが集まっているのかをざっと説明した。
市の担当者から要件とこっちの素性は伝わっているとのことで、来月に予定している月例ミーティング後にお会いしましょうと快い申し出をいただいた。
これで足がかりがつかめると、ほっとしていた。ところが約束の日の数日前に電話がかかってきて、月例の予定が変わってしまって……とキャンセルされた。先方の予定次第でこっちが合わせるしかない。そして今月、先月と同じように電話して、今月のいつご挨拶に紹介に上がらせて頂けるのかご連絡頂けないかとメッセージを残した。折り返しの電話を待ったが一向にかかってこない。
なーんだ、体よくあしらわれたということだったのかとちょっとがっかりした。ところが一昨日お使いに行ったとき、駅前で同じ主張の署名運動をしている集団に出会った。主張は同じだが、組織が違うし人数も違う。二十人近くはいる。見たところ誰もがお年寄りだった。ほとんどが女性で男性は三名ほどしか見えなかった。署名しながら、市から紹介された人の姓を言ってご存知ですかと聞いたら、たまに顔をだすことはあるけど今日は来ていないと言われた。狭い地域で全く同じ主張をしているのだから、お互い知らないわけがない。今日の責任者はどなたですかとお訊きしたら、あっちの男の人と目で教えてくれた。さっそくその男性に、自己紹介とちきゅう座について話をし始めたが、あまりにとっつきが悪い。絵に描いたようなけんもほろほろで取りつく島もない。情報弱者でインターネットや投稿サイトと言っても、使っている、お世話になっているというだけで具体的に何を知っているわけでもない。それでも大方の説明ぐらいはできる。がしかし、その年配の方はスマホは持っている、そしてLINEやYouTubeも使っているらしいが、それ以上のことは知らない、というより知らないことを聞きたくないという気持が先にたっているようだった。それでも、そこをなんとかと思いながら、インターネット、投稿サイト……と話していたら、遮られた。俺たちはこうして駅前で署名活動をしている……。その言葉には枯れた自負と新しいものや知らないものに対する生理的な嫌悪感が溢れていた。自分たちがこうして長年自分たちのやり方でやってきて、なにも困っちゃいない。余計な口出しをしてくるなということだろう。
ニュースやなにかでたまに耳にする過疎の村にありがちなよそ者との接触を拒絶する文化を体現しているように見えた。地場に根づいて長年仲間内でやって来た活動に外部から新しい視点や考えが入ってくれば、自分たちのコミュニティの和を乱されるのではないかという怖れに近い気持ちもあるんだろう。
チラシはパソコンでマイクロソフトのワードを使って誰かが作っているのだろうけど、それをネットで周知することまでは考えない。外部との接触を絶ってきた集団の自衛の意識が先にたつのは分かるが、ご年齢からして十年後と言わず、五年後には活動に支障をきたすのではと他人事ながら心配になる。
いやな思いの積み重ねの上に今の自分がいると思うようにしてはきてはいるが、いくら能天気でもへこむときは、しっかりへこむ。
何年も前から定期的にお会いしている方々とは違う視野や視線で活動されている方々の集まりに行けば、違和感どころか、疎外感に苛まれることもある。それでも知らなかったことに気が付くために、知らなかった集まりにでかけていくのを止めようとは思わない。
自分とは違うものに接することによって、自分とはなんなんだという意識も芽生えるし、知らないで過ごしてきたことに気づける可能性もある。その可能性を自分から捨てていたら、どうなるんだろうと怖くなる。持って生まれた好奇心の塊り、内に閉じこもって日々の安寧で落ち着いていられるような性質じゃない。
ただ人さまざま。こっちがとやかく言うことでもない。最後は俺の知ったこっちゃないとケツでも捲るかしかないのか。
p.s.
<ちきゅう座に対するわだかまり?>
三、四年前になるが池袋の東口で署名活動をしている労組の人たちと二度話したことがある。最初は電子部品のメーカの二度目は学習塾の不当解雇に反対する活動だった。そこで責任者にちきゅう座への掲載をお願いした。ちきゅう座の説明をしようとしたら、目がそっぽを向いていた。口にはしないが、顔が知っていると言っていた。それがどう見てもいい意味での知っているではなく、反感を匂わせるもので話はそこで切れた。
何時の頃のちきゅう座をご存知なのかしらないが、存じ上げて頂いているちきゅう座が今も変わらずちきゅう座ということではないかもしれないと、持てる情報の更新をかける人はなかなかいないのだろう。世の中には常数のごとく時間の経過に関係なく変わらないものもあるが、ほとんどのものは時の経過とともに変わっていくし、なかには消えてなくなってしまうものさえある。
自分自身古希をすぎても半世紀も前のわだかまりを引きずったままでいる、というより潰れそうなることさえある。身を削るような思いからついた染みをバネにして生きてきたからかもしれないが、染みも焼き場で焼いてもらうしかないのかなと思っている。
2024/2/12 初稿
2024/4/22 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13628:240327〕
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