経産省前脱原発テント座り込み日誌6月13日版
- 2024年 6月 17日
- 時代をみる
- 木村 雅英
経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2024年6月13日は、座り込み4,660日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。
◎ 情けない日本の劣化、トヨタの不正と電力会社への不信 6月7日(金)
杉崎さんの「原発じゃ明日は無い」の歌と「経産省は嘘をつくな」のコールで抗議行動を開始。久保さんが、とめよう東海第二の一斉行動・第12波のアピール、防潮堤欠陥工事の東海第二を止めようと訴え、署名依頼。
K.Mが、今週の行動を振り返り、日本原電・東電行動、規制委が高浜3,4号機の蒸気発生器差替え、志賀原発で金属の「疲労破壊」「延性破壊」、トヨタの不正と電力会社への不信、過去の戦略を反省しないで同じ過ちを続ける経産省が5月13日にGX実行会議を開催し7月にGX推進機構を設立。
原発労働者が、核のゴミをどうするかが課題、原発労働の中で中国電力と原子力規制委員会が不正を隠蔽していると訴えた。
石丸さんと杉山さんから、14日のALPS処理汚染水差止訴訟第2回口頭弁論と、学び遊び繋がる第2回請戸川河口テントひろば学ぶ会を6月15日に浪江町で行う、16日にはALPS処理反対の為の魚釣りと検体確保と分析の計画を紹介。
奥内さんが、花森安治さんの「見よぼくら一銭5厘の旗」を読む。ぼろ布・端布をつなぎ合わせた暮らしの旗を立てる、と。
守屋さんが「座込め、ここへ」と「海を汚すな」を歌う。K.Mが、配付した紙から、福島県で「胃がん」と「胆のう・胆管がん」が全国と比べて「有意な多発」を告げる。
三上さんが、請戸川河口テントひろばの説明を補足し、岸田政権を糾弾。白倉さんが、東海第二運転差止訴訟などの原発関連訴訟と、6.9手賀沼集会などの各地の集会を紹介。乱さんが、この状況を何とかしようと訴えた後、NONUKES,NOWARほかのコールで約45名の抗議行動を終わる。 (K.M)
◎ イスラエルは松の木を植えた 6月8日 (土)
・神話。事実と異なる物語
始めに1970年代のイスラエル高官の発言をいくつか紹介。
「国家という身体を冒す癌」イスラエル・ケ-ニッヒ(内務省事務次官)
「ゴキブリ」ラファエル・エイタン(国防軍参謀総長)
「難民とは誰かが責任を負うものではない人道的問題」国連大使アッバ・エバン
続いて2005年。
「イスラエルにはパレスチナ人の人口自然増加を抑制する権利がある」ルツ・ガヴィソン教授(彼女は当時、市民権協会前会長で最高裁判事候補)
そして2024年。
「イスラエル軍は世界で最も道徳のある軍隊だ」ネタニアフ首相
軍隊経験者が多いのにイスラエル国民はこれを信じているようだ。
しかし、イスラエルが「人道地区」と称するマワシ地区の状況は人道など欠片もない。その道徳とやらはユダヤ人だけが対象らしい。
・民族浄化の隠蔽
イスラエルは村人を追放し破壊したムジァイディル村の廃墟を隠すため、松を懸命に植えた。パレスチナに元々ない松はここの風土に合わない。何度処置しても病気に苦しみつづけた。松の植樹から56年たってムジァイディル村の元住民の親戚が村を訪ねると、何本かの松は二つに裂け、その間からオリ-ブの木が飛び出していたという。
・書籍の紹介
「パレスチナ人の民族浄化-イスラエル建国の暴力」イラン・パぺ (2006)
・責任転嫁
「賃上げなどで国民所得が増えれば負担増はあがらない」翻訳しますと「知ったことか」です。
・火の玉となって
確かに。炎上したね。(O・O)
◎ 水道管の取り換え工事、何でそんなに時間がかかる 6月10日(月)
昨夜から降っていた雨も朝早く止み、家を出た時は清々しかった。経産省前に着くと、出入口が半分以上シートで覆われていて外からは中が見えない。説明書によると許可を出しているのが水道局なので古くなった水道管を取り換える工事か?後から来たHiさんの話だとシートがかけられたのは8日の土曜日とのこと。「削岩機」を使う工事とのことなので座り込んでいる時にはうるさそうだ。11月まで半年も掛かるとのこと。相棒のSaさんからは道幅が50センチぐらい突き出ているので、そこを避けて地下鉄出入口の先に移動したらどうかと提案された。一考の余地あり。
午後1時前に救援連絡センターの友人が通りかかる。一緒に来た女性を紹介される。彼女は5月末にイスラエル大使館前で逮捕された人の支援者で、テントひろばは初めて。趣旨を説明したら「私も賛成です」と言ってカンパしてくれた。我々もテントニュースをお渡しした。次に近くに来た時には寄ってくれると思う。
きょうから改悪入管法が施行されるので参議院議員会館では午前10時から抗議の院内集会が開かれている!日本人として恥ずかしい限りだ!午後3時頃、院内集会に参加した人が寄ってくれた。集会が終わったあと、国会の周りを少しデモしてきたとのこと。明日もILO(国際労働機関)による日本政府への報告書についてシンポジウムが開かれる。このことを伝えたら「他に行こうと思っていたがこっちに行く」と言ってくれた。私は当日午後4時まで地元・医療生協のイベントがあるのでオンラインで参加する予定である。(保)
◎ いくつもの考えたいことども 裁判 6月11日(火)
快晴。ひろば到着間近、国会通りで自転車のOgさんとすれ違う。14時前に着くとEdさん、Yaさんが座り込み中。経産省玄関正門前、ちょうど私たちのいつもの座り込みの場所の歩道上、経産省の敷地側に5m程、仮設パイプで小型ショベルを囲んであった。張り出してある看板によれば、どうやら水道工事のようだが、11月中半まで続くと書いてある。火、水、日曜は作業なし。従って、月、木、金、土は座り込みに差支えが出そう。
14時、Asさん到着。14時15分、Ogさん戻る。14時25分、Yaさん終了帰途に。15時15分、一瀬弁護士来場。数十分座り込み、雑談。15時20分、Hiさん来場、終了時刻16時まで座り込み、事務所まで片付けを手伝っていただいた。
天気が良いと片付けが楽で何よりだ。先月第2週の日誌当番で、行政が何年も何年も動じないとき、石牟礼道子はどうしたかと考えて、田中優子さんの本、「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」(集英社新書2020年)から一文を引用した。
今日は、田中正造について触れます。
先ず、川俣事件。
1900年2月13日、第4回東京押し出し。群馬県邑楽群佐貫村川俣の利根川渡船場で官憲と衝突。
同17日、田中正造衆議院議会質問演説 「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀」
同21日、政府答弁書 「質問の趣旨その要領を得ず。よって答弁せず」 内閣総理大臣侯爵山縣有朋
鉱毒悲歌。(鉱毒被害慘状の悲歌から)
数回の東京押し出しに際して歌われた、鉱毒被害農民たち自身による歌。
人の体も毒に染み 孕めるものは流産し はぐくむ乳に不足なし 二つ三つまで育つるも
毒のさわりに皆たおれ 又悪疫も流行し 悲惨の数は限りなく 時の政府へ嘆願も
悪人ばらにさえぎられ 九年の長きその間 今に清めぬ渡良瀬川 時の政府へ嘆願も
費用に今はつかれはて 親子は非命にたおさるる 早く清めよ渡良瀬川
怨みの焔 鉱毒殺人の悲歌
扨て今日の社会にて。 悲惨の数は多けれど。 渡良瀬川の岸に棲む。
民にまされるものぞなし。
濃美の地震は言ふも更。三陸つなみも悲惨なり。 去り迚此等は天災で。
人手で止まらぬ数のもの。
鉱毒被害は人のわざ。 人と人にて止むものを。 然かも乱暴果てしなく。
人の命をたをしゆく。
両岸被害の激甚地。 海老瀬の粟田を始めとし。 底谷 大谷田 船津川。
越名 高山 伊保内や。
羽田 高橋 川崎に。奥戸 上下野田 茂木。凡そ三十四ケ字で。
最近五年のその間。
一千六十四人こそ。 生るにまさりて死にし数。 (以降、第6まで続く)
〈・・・・ 魚族絶滅し田園荒廃し数十万の人民の産を失ひるあり、或いは業に離れ、飢に泣き寒に叫び老幼は溝壑に転じ壮者は去って他国に流離せり。如此にして二十年前の肥田沃土は、今や化して黄茅白葦満目惨憺の荒野となれり〉
こちらは、1901年12月、当時、今の経産省敷地内にあった、第2仮設議事堂での開院式に臨席後、皇居への帰り道、西幸町交差点を左折する明治天皇の馬車に向けて走り出た田中正造が持っていた直訴状。幸徳秋水の作。騎兵と警官に遮られ直訴はできず逮捕されたが、新聞各社が報道した。
立松和平著、「毒」(1997 東京書籍)から抜粋 (P256―259)
その後は田中正造に付き従うこととなる善一の、日露戦争からの、父母の住む谷中村への凱旋の場面だ。
=Quota=
水塚さえ、表面の泥は湿っていて滑りやすかった。まわりが削られ、ずいぶんと急勾配になっていた。四つん這いで登った。かつてまわりは竹藪だったのだが、根すらも残っていない。のっぺりとした土饅頭があり、その上に風がひと吹きすれば壊れてしまいそうな惨めな小屋がある。気配で中に誰もいないのが感じられ、帰還兵士の善一は直立不動のまま敬礼をした。
いつまでもそのままでいる。涙がとめどもなく流れてくる。喉がひくひくと痙攣し、それがおさまるのを待って、善一はようやく声をつくるのだ。
「おっ父、おっ母、お国のために戦い、ただ今帰りました。お国はどうなりましたか」
瞬間、駅前で日の丸の小旗を振っていた群衆の姿が思い浮かんでくる。水塚の向こう側には水がたまっていた。その水がこのあたりに住んでいた村人の涙のようにも見える。ほんとうに父と母とはどこに行ってしまったのだろう。
「おっ父―っ、おっ母-っ、どこにいるんだべー。いるんなら返事をしてくろー」
思いあまって水に向かい叫ぶ善一の耳に、風のような声が響いてきた。
「おーい、ここだ。ここだ」
一瞬、善一は耳を疑った。狐か狸にでも化かされているのかと思ったほどだった。耳を澄ませると、水が岸辺を洗うたぷたぷという音が聞こえる。
「どこだんべー」
「ここだあ」
声がすることは疑いようもなく、善一は水塚から身を乗り出して水のほうをのぞく。水塚の隅に杭が打たれ、川舟がもやってある。川舟を覆っていた茣蓙がのけられ、あぐらをかいた父親が手を振っている。善一は転がるように水塚をすべり降りた。舟のなかにいるのは、ずいぶんとやつれてはいたが、確かに父と母であった。
「こんなところで何やってんだんべ」
思わず善一は不信の声を投げる。
「家が壊れちまったからよお、舟に住んでんだよ。いつも揺れてっから、夢見てるみたいで、きもちいいぞお」
髪はくしゃくしゃで、無精髭の顔には泥がついている。その顔に笑いをひろげて父はいう。母も同じような風体で隣にいる。
「たまげたなあ。生きていてよかったなあ」
善一は軍服の袖で横殴りに涙を拭く。なんだか両親が頼もしく見えた。それにしても家がなくなってしまった。
「なんだってお前がここにいるんだ」
今度は父が質問をしてくる番だった。善一も顔中に笑みをひろげる。
「凱旋兵士の帰還だべ」
「いつきた」
「今だ」
「悪かったなあ。こんなんだから、郵便もとどかねえんで、知らなかった。親の顔もねえから、がっかりしたんべ」
いつもながらのことではあるが父が優しいいい方をするので、善一は目にまた涙をためてしまった。
「おっ父とおっ母はどんなめに遭ったんだんべ。いったいぜんたい」
悲しみと怒りとがまじりあったようないい方を、善一はしてしまった。自分は凱旋兵士なんだと再度思う。お国のためにロシアと戦い、もう少しで死んでしまうところだったのである。
「見てのとおりだ。毎日土地を売れと、役人が脅しに来る。だがなあ、お前が戦地にいっている間に、お前に渡さなくちゃいけねえ土地を勝手に売るわけにもいかねえべ。田んぼとか畑とかいっても、水に浸かったり毒がしみてきたりして種も蒔けねえんだが、お前が帰ってくるまではと頑張って来たんだよ。この土地は、役人なんかに指一本触らせねえ。こうしてお前が帰ってきてくれたんなら、もう百人力だ。なんの心配もなくなったべなあ。まずは安心だべ」
父は泣き笑いの顔をしていうのだった。善一の胸の内にはしだいに怒りが湧いてくるのだ。その怒りは胸の中で炎のかたちをとっていた。
「何を食って生きてきたんだ」
「田中さんがいろいろ届けてくれるんだよお。全国の人間がついているんだから、心配しねえでくろって」
母はやっとここまでいって泣きだすのであった。母が話せなくなったので、父がつづける。父の瞳の中には強い意志があった。
「いくら頑張ったって、もうすぐ強制破壊になるかもしれねえんだと。そうなったらどうすべえと案じていた」
=Unquota=(石上)
◎ 裁判所の動きは気になる 6月12日(水)
確かに、一気に暑くなった。今日は、子ども甲状腺がんの裁判がある。田中さんが寄ってくれた。INさんが裁判に行く前にお弁当を座り込みのところで食べて、行かれた。そのあと、WKさんが行かれた。
経産省前の水道局の工事は火、水、日は休みで、うるさくはなかった。歩道は狭くなったので、座り込みの位置を変えた方がいいとINさんも言っていた。通りがかりの女性が、歩く速度を緩めることもなく、「暑くなるから気を付けて」と声をかけてくれ、カンパもしてくださり、去って行かれた。
子ども裁判を傍聴された元都立高校の先生が寄ってくれて、カンパもしてくれた。彼が言うには、傍聴締め切りに駆けつけた2人が、締め切り時間が過ぎたとアウトになったが、その時、1分前で、1分前だということを周囲の人とも確認してアピールしたのだが、裁判所の職員は、傍聴は閉めきったと譲らなかったそうだ。裁判所といえば、子宮頸がんワクチン裁判の時、職員は並んだ人に、傍聴抽選番号の紙を渡したのに、その後、それを全部回収して、新しく番号を渡しなおした。何故だか要領は得なかった。混乱はなかったが、そんなこと初めてだった。国会はどうしようもないと座り込も者で話した。 (T・I)
◎ 月例祈祷団と「平和に生きる権利」を一緒に歌った 6月13日(木)
Inさん、Yoさんと3人で設営。門の前が工事中で狭くなっているので、いつもより10m程、南側にずらして椅子を並べる。通りかかった女性が「何なんですか?」と声をかけてきた。主旨を説明するとカンパをして下さり、お昼を食べながら、しばらく一緒に座り込みもしてくださった。
今日は外務省前での抗議行動に参加した帰りだという。通りかかった男性が「握手しましょう」と手を差し伸べてきたので握手した。女性と同じ抗議行動に参加してきた方だろうか。13:20 Ishiさん参加。今日は避難住宅追い出し訴訟を傍聴するために出て来たが、都合で延期になったのだという。続いてOkさん、Waさん参加。Waさんはみんなに飲み物を差し入れてくださった。
14:00 過ぎTaさん、Miさん、Naさん参加。14:35 からJKS47の祈祷会が始まると立ち見客も何人か加わった。ビクトル・ハラの「平和に生きる権利」に始まり原発推進に抗議のシュプレヒコール、「海燕」の斉唱、最後にMiさんが連帯のあいさつをした。Taさん、Waさん、Ishiさんと4人で撤収し抗議行動を終えた。 (M.U)
============投稿1===============
経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その222
東電は3.11事故の過ちを繰り返すのか? 海を汚し続けるのか?
~「東電と共に脱原発をめざす会」(6月11日)の質疑から~
2024年6月14日 木村雅英
「東電と共に脱原発をめざす会」を隔月で開催、去る6月11日(火)午後にも東京電力立地地域室原子力センターの人たちと私たち15人程とで事前質問・回答・話合いを持った。質問回答と対話から感じた怒りをここに紹介する。
事前の質問と回答は次をご覧願います。
https://www.jca.apc.org/~kimum/TEPCO240611.html
1 東電はALPS処理汚染水海洋投棄を直ちに中止せよ
「ALPS処理海洋放出」放射能汚染水海洋投棄についての質問が多岐に渡った。その中で私の質問に対する回答から東電の問題点を指摘する。
1.1 当初見積もり34億円は真っ赤な嘘?
ALPS小委員会の報告書のタスクフォース検討結果表には「海洋放出」は34億円と記載、他の方法と比して非常に小さく見積もられている。今までどれだけ使ったかを東電に尋ねたが「契約に係ることであり」と回答しない。実際の放出に数百億円、漁業補償に600億円(?)、さらに広報などで膨大な金を使っているはず。経産省の「小さく生んで大きく育てる」いつもの施策強行策略だとしてもあまりにひどい。経産省・東電のペテンを糾弾し続けねばならない。
1.2 核種の放出量を誤魔化すな!
何度も東電に指摘してきているが、ND(不検出)=ゼロではない、検出限界値以下であるだけ。環境省のサイトでも指摘している。具体的に水量を乗じると、第4回では次の放射能放出量を推定できる。 Pu238:190000Bq、Pu239:190000Bq、Pu240:190000Bq、PU241:5500000Bq
東電は昭和53年の「指針」に従って表示していると逃げるが、全く科学的で無い。
なお、6月13日に環境省海洋環境課の担当が、私の指摘を東電に知らせる、と回答した。環境省は指導するつもりは残念ながら無いけれども一歩前進。
1.3 「安全と思われる濃度」まで薄めることは不可能(専門誌「化学」3月号から)
専門誌「化学」VOL.79NO.3(2024)に掲載された次の論文を紹介して東電に見解を問うた。
「ALPS処理水」海洋放出の科学的根拠を問う(平田文男、斉藤海三郎、澤田幸治)
東電にこの論文への見解を求めたが、何ら答えずIAEA報告を口実にするのみで、何ら科学的に真実を論じようと言う姿勢が見えない。
化学の専門家が、ALPS処理水を「安全と思われる濃度」まで薄めるのに必要な量は「世界の河川の年間総流量の100万倍」と主張している。東電は専門家にきっちり反論せよ。
1.4 水産資源保護法を守れ
「海洋放出」が水産資源保護法を守っているのか? の問いに、東電はぐじゅぐじゅ言いながらずっとまともに答えない。福島県の相双地方振興局の担当も水産資源保護法について「確認していない」と答えている。福島県や水産庁がきっちり水産資源を守り続ける様に訴えていく。
以上。既に6回も「海洋放出」したのだからいいじゃないか何て人が居れば大間違い。放射能汚染水海洋投棄はこれから数十年続けられようとしているのだ。何としてもデブリを通った汚染水を海に流す人類の大悪行を止めよう。
2 東電は13年前の過ちを繰り返そうとしているのではないか?
一方、能登半島地震が教える自然からの警告を尊重せよ、3.11事故を起こした東電が柏崎刈羽原発を動かすことは許されない、使用済み核燃料を青森に搬出するな、避難計画に実行性が無いぞ、自然を恐れよなどの質問に対する東電の回答はひどいもの。この様な会社の姿勢が3.11事故を招いたのではないか、東電はまたまた元の東電の牙を剥きだしたと感じた。3.11事故以前に防潮堤建設の準備をしておきならが、経営数字を重視した愚かなトップの為にあれだけの事故を起こした東電が、またまた経産省の大嘘に従って同じ過ちを繰り返そうとしているのでは無いか、と強く感じそのことを指摘して会合を終わった。
=====添付資料1=====
樺美智子さんへの手紙 戦争の時代がやってきました (三上治)
添付:樺さんへの手紙 戦争の時代がやってきました.docx
=====添付資料2=====
・原発週報2024.6.5~6.11 編集:漆原牧久
=========デモ、集会==========
◆6月17日(月)司法の劣化を許さない 6・17最高裁 共同行動
10時30分~最高裁要請行動
12時?~13時ヒューマンチエン
14時30分 報告集会・シンポジウム(衆院第一会館講堂)
◆6月19日(水) 12時~13時 原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動
◆6月21日(金) 17時~18時 経産省前抗議集会(毎週)
経産省前テントひろば経産省正門 ◎経産省前の座り込み行動は、平日:12~16時(月 ~木)、13~17時(金) 土・日・休日:12~15時
◆6月21日(金)原発いらない金曜行動
首相官邸前 18時30分~
◆ 6月28日(金)柏崎刈羽原発の再稼働を許さない
{6・28首都圏行動}集会&東電前行動
集会 衆院第二議員会館 多目的会議室 15時30分~
東電本店前行動 18時~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5265:240617〕
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