【9月28日(土)】第19回 ヘーゲル研究会のお知らせ
- 2024年 9月 5日
- 催し物案内
- ヘーゲル滝口清栄野上俊明
前回の研究会では、滝口先生は、ヘーゲル「法(権利)の哲学」(1820年)の出版に対し、同時代の識者たちが行なった様々な批評を通観することによって、ヘーゲル社会哲学の射程の大きさを逆照射されました。もとより保守派からリベラル派を経て急進左派にいたる批判者の配置は、後年ヘーゲル亡き後のへーゲル学派の分裂を予示するものであります。ヘーゲル哲学の哲学的包容力の大きさも、批判的に見れば、中心的哲学的概念の両義性(Zweideutigkeit曖昧さ)の裏返しでしょう。そのことは、端的にA・ルーゲが指摘した、ヘーゲルの論理構成における「論理的なものと歴史的なものの混同」に顕れています。なるほど国家は普遍的意志の現実態であるという命題も、イギリス経験論の系譜に立つ論者(たとえば、B・ラッセルやI・バーリン)ならば、「その普遍的意志はどこからくるのか、どのようにしてその真理性は保証されるのか。我々が受容できるのは、経験的(歴史的)に立証される限りでの(有限的な)概念に過ぎない」というでしょう。しかしヘーゲルは、概念の経験的な出自を真理性の十分条件とは認めません。ヘーゲルは「法哲学」本論で、「ルソーは一般意志la volonté généraleを真の普遍性において把握せずに、個別意志から出てくる共同的なもの(公益性)として捉えたに過ぎない」と批判しているところからも、それが分かります。
ここまでくると、西欧中世哲学における「普遍論争」の磁場に引き寄せられているのに気づきます。ヘーゲルの国家=普遍的意志なる概念が、経験論的な帰納的概念であり、かつ先験的な演繹的概念であるという両義性を帯びているのではないか、そのことの矛盾をヘーゲルはどう解決しているのか、これはこれから「国家論」の章を読み解いていく上での、課題の一つになるのではないでしょうか。
記
1.テーマ:ヘーゲルの市民社会論
中央公論社「世界の名著」の「ヘーゲル・法の哲学」から
第三章 国家(§257~§360)を講読会形式で行ないます。今回は§257からです。
★国内では数少ないヘーゲル「法(権利)の哲学」の専門家であり、法政大学などで教鞭をとられた滝口清栄氏がチューターを務めます。
1.とき:2024年9月28日(土)午後1時半より
1.ところ:文京区立「本郷会館」Aルーム
――地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅下車5分 文京区本郷2-21-7 Tel:3817-6618
1.参加費:500円
1.連絡先:野上俊明 E-mail:12nogami@com Tel:080-4082-7550
参加ご希望の方は、必ずご連絡ください。
※研究会終了後、近くの中華料理店で懇親会を持ちます。
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