たくさんの出会いと交流があるテント ―― 経産省前テントひろば 87日目 ――
- 2011年 12月 8日
- 時代をみる
- Y・T経産省前テントひろば
<テント日誌 12/6(火)>
12月6日(火) 曇り。やや寒い。夕刻からは雨に。
今日はいろんな人達がテントを来訪され、喋り続け、昼にはテント前リレートーク、午後は原賠審があって文科省前前段集会に参加したり、夜には交流会とその準備等、多忙な一日であった。
福島の二本松市から田口さんが来訪。この後原子力委員会の委員に会って話をする予定だそうだ。二本松市の様子を伺う。椎名さんに紹介すると、椎名さん「え~っ田口さん!」と感激の面持ち。福島でのMLで田口さんはよく投稿されており、教えられるところも多かったそうである。初対面でも旧知の間柄のような。
そこへ、浪江町出身の方が、たんぽぽ舎と一緒にもんじゅの全国集会に行ってきたと、来訪される。ご両親達は浪江から東京に避難されているという。
神戸から来訪された方は、神戸で「みちのく懇談室」を開いているという。関西に避難されている方々の交流の場をつくるということで、月に1度開いていて、50名程が参加し、おくに言葉で悩みや苦労を話しつつ、励まし合い、和んでいるという。母子避難の方々の経済的困難と精神的ストレスは大変なものだと言う。
夕刻前には、以前に一度話し込んだ二本松出身で東京在住の女性が来訪。なにかもうずっと知り合いであったようにうち解ける。
昼間の時間帯、霞ヶ関の職員達が昼休み時間とあってテントの前をいっぱい通っていく。で、職員の皆さんに訴えかけようと、女性達や原田さんでリレーのスピーチ。
午後2時から目と鼻の先の文科省前前段集会に参加。今日、結論が出るらしい。新聞に出ていた様子では酷い内容のようだ。実際、結論が発表された時、悲鳴のような叫びが湧き起こったという。自主避難している人たちの現実との落差の大きさに愕然とする。
前段集会の折に見かけた顔があった。10月にドイツ緑の党の副代表・ヘーンの福島行きに同行した折、通訳をしていた高田さんとスイスのジャーナリスト・ボースさんであった。
2人はその後テントに来訪。テント設立のいきさつやその後の過程を説明。高田さんは25年ほどドイツ在住で、当地で反原発運動に参加している活動家。3・11後はたびたび日本に来ていて、福島にも足を運んでいるという。
その時、テントにはドイツのジャーナリストもいて、ドイツ語・英語が飛び交う。
夜はテント運営会議の後、交流会。チゲ鍋ということで買い出し等に慌ただしかったが、交流会は20名程の参加で盛り上がる。西山監督の「命の闘争」という映画の主題歌を歌っている九州の一樹さんが、自作の曲を弾き語りし、椎名さんが石牟礼道子の「みなまた海の道」の一節を朗読。後半からは福島から佐藤幸子さんも駆けつけて、盛り上がりは最高に。夜遅くまで、話は尽きない。
たんぽぽ舎 「地震と原発事故情報 その262」より転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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