テント日誌 12/20
- 2011年 12月 23日
- 交流の広場
- 反原発テント村住人
朝の5時から7時まで不寝番だった。やはり冷える。寝る時は毛布も寝袋もあってそんなに寒くはないが、小型のガスストーブで温たまる。あれこれ自問しながら 時間を過ごす。それにしても野田首相の「事故収束」宣言は納得がいかない。誰もがそう思うのだろうが、事情を知らない(正確な情報の伝わらない)外国など では案外と通ってしまうのかも知れない。それを想うと腹立たしい気持ちになり、寒さも増す気がする。
福島市渡利地区で「放射能汚染から子供を守る活動」をしているKさんがテントに寄った。渡利地区は福島市の中で得に空間線量が高い地域で毎時2マイクロ シーベトを超す場所も多いと言われている。いろいろと活動を聞かせていただいたが、「除染がはじまって効果が上がるまで、せめて子どもたちを一時避難させ て欲しい」と訴えている。そして、その一つとして「わたり土湯ぽかぽかプロジェクト」を展開しておられる。これは渡利から車で30分くらいのところにある 土湯温泉(ここは空間線量が低い)に週末やウィークディに渡利の親子に滞在してもらおうというものである。寄付を求めているが、その案内のオンラインはhttp://goo.gl/5K9H1.
夜になるとイギリスから帰ったという女性がテントを訪れた。彼女はレイバ―ネットでこのテントのことを知ったらしいが、探すのに一苦労した様子。イギリ スには1970年代に行き、もう30年を過ぎた滞在とのことであるが、通訳などもやっておられて面白い話を聞かせてもらった。一つはイギリスでは太陽光エ ネルギーの取り込み展開されていること、各家が地方行政に申請し、支度金申請をし、外注の業者が現場確認見積もりした後、行政が枠幅内の金額で許可するも ので、自宅で消費する電気量より多く電気が得られた場合は、買取システム式にしていて、最初の取り付け費用の還元効果をねらい、最初の資金がかからないた め、懐が豊かでない一般市民も参加できる形になっている。また全国的な取り組みをしいるのではないかとのことだった。さらに彼女は3月11日を前後する 頃、日本からの原発の視察団に欧州で通訳をする仕事をしていた。原発見学も含んで、それぞれお互いの国の設備安全対策(長中期)などについて話し合ってい たとのことだが、3月11日の地震・津波発生直後、福島原発のことを大変懸念し、皆顔が真っ青であったとのことだ。さらに彼女の家に部屋借りにきたロシア の女性の話をしてくれた。この女性はチエルノブイリの事故のだいぶ後で」乳がんに罹っていたことが判明し、医者からは原発の爆発の影響で、残り2年の余命であると宣言され、わらをもつかむ気持ちでNHSというイギリスの医療保険制度を利用し、イギリスに手術を受けにきたらしいが、(彼女の場合はイギリスに いたことがあるため無料)彼女の周りには乳がん罹り亡くなった人は多数いると。まさか自分が事故後だいぶたってから癌にかかるなんてと凄く怒っていて、な んとしても直したいという意気込みの反面、時折見せる諦めの表情が、実態を知らされていなかった一般の人々の本当の意味での悲しみを如実に物語っていたよ うだ。我々はやはりチエルノブイリのことは知らないのだ。あるいは知らせられてはいないのである。このように私達は、今の日本の状況はおろか、5年後、 10年後, 50年後の被爆の影響について国や機関が海外の記録などとの比較をしながら統計・数値的な予測記録及び効果的で実質的な財政援助も含む対応策を取っているかどうかを知る必要があるし、あるならばそれを公開するよう働きかける必要があるのではないかとも彼女は言っていた。
金正日氏の死去の報道もあり昨日は新橋駅が騒がしかったらしいが、今日の霞ヶ関界隈はいつもよりは静か目である。年末まで余すところ、わずかとなった。いろいろ忙しいのだろが、テントは手薄になりがちである。時間があればテントに顔を出してもらいた、と思う。比較的多くの時間をテントに詰めている人からのメッセージである。 (M/O)
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