映画「私を生きる」私見&「羊頭&狗肉」映画?
- 2012年 1月 11日
- 交流の広場
- 増田都子映画「私を生きる」
件名前半メールは友人からのものですが、転載許可を得ましたので、御紹介します。そして、最後に、私にメールをくださった善意の方への返信をご紹介し、私の私見を披露させていただきます!
*******************************************
<映画「私を生きる」私見>
都教委からデッチアゲ理由で再雇用を拒否され、16年間闘っている田畑です。
映画「私を生きる」について皆さんはどうお考えですか。
土肥校長が、10.23による職務命令を出し、したがわなかった教師を事故報告書提出により都教委に処分させたことをご存じですか。私はこれを解雇裁判の証人として出廷した土肥校長が証言しているのを直接聞いて知りました。
土肥校長は、職員会議採決禁止に反対し、「都教委に抵抗したたった一人の校長」としてもてはやされ、有名になっていましたが、どの報道にも「日の君」で教員を弾圧したことは省いて(?)あり、知らない人がほとんどでしょう。
この映画の;監督土井氏もそれを知らず、映画を企画し完成させました。私も増田さんと共にこの映画の試写を見ました。私たちが事実を発言したとき、会場には驚きと困惑の空気が流れました。私は土井監督による修正を期待したのですが無駄でした。
(増田注:この「試写」は完成した後、ロードショー前に宣伝してもらうのための試写会ではなく、未完成の最終編集前段階において、「率直な意見を聞きたい」ということで催された試写会ですので、土井さんに『真実に基づいて修正』する意思さえあれば、十分可能だったのです。)
映画のキャッチフレーズ《教育現場での自由と民主主義を守るため弾圧と闘いながら°私°を貫く教師たち》に土肥校長は当てはまりますか?
誰でも「私」を貫いて生きています。どんな¨私¨であるかが問題。彼のように一芝居うつような「私」は称賛に値するとは思えません。
12月22日のジャパンタイムスにこの映画の紹介が載りましたが、掲載された大きな写真は「裁判所前で10,23を告発する予防訴訟の横断幕を掲げる方々」を写したものでした。弾圧した者とされた者と同列とは誰も考えないでしょう。
私たちは、土肥校長が都教委の指示通り動き、言論・思想良心の自由を弾圧しておきながら、対外的には正反対の抵抗者を装っている事実を見逃してはいけないと思います。本当に闘った者が浮かばれません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
増田様 田畑です。転送結構です。
この事実を知っている東京都の元教師として、多くの方々にあのような事実をお知らせしたいと思っています。
ご存じないから、「『日の君』反対集会」の講師に土肥校長を招くという珍妙な現象が起きるのです。全国をまわったり、大学で講演などなさって人気を博してみえるようですが、職務命令発出について話されているのでしょうか。
法廷で、土肥校長は、自分が処分に係わった教師について「東京都で片手の指にはいる優秀な先生」と評していました。 重大なことと認識していないように見受けられました。都教委には、教員への職務命令権はないのだから、校長たちが自分の権限で職務命令を出さなければ今の事態を防ぐことはできたのです。土肥校長はこの点を貫いてこそ「抵抗者」と言えます。コンプライアンスってこういうことでしょう。
以上付け足しましたが、これも合わせて転送して下さるようにお願いします。
*******************************************
<増田より、『羊頭&狗肉』映画では?>
○○様
一点、大きな誤解があると思いますので、ぜひ、正確な事実を知っていただきたいです。
○○さんは書いていらっしゃいました。
「土肥校長が職員の処分をする側に立ったことで、土肥校長の苦悩や困難な立場を描くことに監督としては個人的には意味がある」・・・これが、全く、違うのですよ!
「土肥校長」は「職員の処分をする側に立ったことで、土肥校長の苦悩」など、まったくしていない!? ってことが、最低なんです・・・土肥校長は「職員の処分をする側に立ったことで」「苦悩」どころか「個人的には間違っていると思うことでも、都教委の指示命令は、法令と同じだから、順守するのは当たり前」って言ってまして、「苦悩」の「く」の字もなく、胸を張って、誇りをもって「日の君」不起立教員を処分したんです。
ですから、土井さんは「土肥校長が職員の処分をする側に立ったこと、で土肥校長の苦悩や困難な立場を描くこと」なんか、全く、していません。有り得なかったことは、いくらなんでも「描く」ことはできないでしょう・・・私は、もし、それが有った、存在したなら、社会的に「意味がある」と考えます。でも、残念ながら、それは、無かったんです、存在しなかったんです。
土井さんは、ただ、ひたすら、土肥校長が、根津さんや佐藤さんと同じように、「『教育の統制』の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら、“私”を貫く教師」、都教委と「凛として闘う教師」と描きだすのです。だから、私は、許せないのです。
「羊頭狗肉」という言葉がありますけど、この『ドキュメンタリー』と称する映画は「羊頭&狗肉」です。2個の羊頭と1個の狗肉を「羊頭3個」として売り出すのは犯罪的ではないでしょうか? 根津さん・佐藤さんを勝手に羊頭にしちゃいましたが、御免くださいませ(笑)・・・でも、土肥校長は都教委の走狗となって、「日の君」不起立教員を弾圧し、職員会議の挙手採決禁止を守り、思想・信条・言論・表現の自由を奪うことを胸を張って誇りを持って実践・実行したのですから、彼を「狗肉」に例えることは、私は断固として、「正しい」と主張します!
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。