テント日誌8/29 経産前省テント広場―354日目…テントの存立一周年も近づいてきて
- 2012年 8月 30日
- 交流の広場
- 経産前省テントひろば
朝の早く、といっても4時近くであるが、テントの外の椅子に座って明けゆく光景を見ていた。家にあればまだ夢の中であろう。テントの不寝番の早起きでこうしているのだが、外灯は残っていて車も時折見かけるが山田風太郎の描いた馬車が明治の初期には颯爽と走っていたのだろうと想像した。<春は曙、ようよう明けゆく……>ということも自然と浮かんでくるが明けゆく光景は何処でいつ見てもいいものなのだろうと思う。本当に不思議なもので早朝の光景はいいものだ。いつの間にか深夜族になって早朝に起きるなんて思いもつかない生活をしているとこういう機会に感謝したい気持ちになる。山登りなんてなかなか機会を作れない日々だからである。
でも、テントにこうして座っていることは何なのだ、それはどんな意味があるのかという問いかけもまたやってくる。脱原発や原発再稼働反対の政治意志の表現であることは明瞭であるが、それを超えた何かもまたあるはずで答えのない自問をしている。自問自答自身が私たちの存在と世界をつないでいるのであり、そういう問いの契機があるということが重要なのだろうと思う。こんな風にしてやがては一年目を迎える。多くのドラマがこの小さな空間でもあったことを想起していたのだが、最初のころテントにやってききていて昨年の暮れには謎の死を遂げたKさんことが思い浮かんだ。
Kさんは最初からテントにやってきてゴミを毎朝自転車で運んでくれたりした。まだ、女性のテントのない時期に泊り込みテント維持に重要な役割をしてくれた。少女らしい面影をのこしながら、一方での大胆な振舞い驚きながらも僕は彼女のことを見守っていた。テントの面々とうまく折り合ってくれることを願いながらである。彼女にとって我々の振舞いがどう受け取られたか、どう映っていたかはわからないが、私には彼女の存在と行動が気にかかるところがあり、それだけ意識させられる存在だった。そんな矢先に彼女は謎のような死を遂げたのだが、それだけにこころに残ったものは大きく時折思い出すのである。人の死に出会う度にもう少し話でもして置けばよかったと思うものだ。彼女にもそんな思いがひと際強く残っており現在まであるのだ。
朝の十時を前後してテントの周辺での気温が上昇し暑くなるのだが、最近、経産省側のテントに対する対応は意地悪度を増している。テントの周辺に監視カメラを設置し、立ち入り禁止の鎖に繋がれた看板を増やした。テントの出入り口も鎖で妨害されており危険きわまりなない。危険のないように管理するというのが名目であるが、危険を増やすだけである。これは毎週金曜日の首相官邸前行動に対する警察の規制と同じである。通行路を確保する、安全のために
という名目で無用な鉄柵をつくり意思表示や行動を抑え込むのと同じである。対応する経産省の職員の行動も粗野で凶暴さが目立ってきている。これには経産省や警察への政治的圧力が強まっていると推測できるが、彼らの苛立ちも深まっているのだろうと思う。今日のテント周辺の旗や飾りを撤去しようとする職員とのやりとりがあったが、我々は冷静に毅然と振舞うしかない。
今日は衆院第一議員会館で「女性たちの一票一揆」の第三弾目の集会があった。そしてこの会に向けて集会とかんしょ踊りがテント前で開かれた。午後のテント前は賑やかな声に包まれかんしょ踊りも華やかに展開された。私たちにかんしょ踊りは親しいものになってきているがこれが全国に広がっているのも嬉しいことだ。地域の盆踊り取り入れられるといいと思える。炭坑節がどんな経緯で広がったのかは知らないが、盆踊りにふさわしいと思う。国会議員に対するアンケート調査《意見聴取》も始まっている。国会議員に対する工作はいろいろの方面からなされるであろうが、体たらくな国会を尻目に我々はそれを強め次に選挙での原発問題の争点化を進めなければならない。 (M/O)
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