新聞はだれのために存在しているのか -韓国併合100年に関する報道で感じたこと-
- 2010年 10月 1日
- 評論・紹介・意見
- 岩垂 弘新聞報道韓国併合
「新聞はいったいだれのために存在しているのだろう」。このところ、そう思わせられることが少なくない。沖縄・普天間基地の移設問題に関する報道でもそう感じたが、これもその一例だ。
今年は、日本にとって、さまざまな点で節目の年だ。まず「敗戦から65年」、次いで「朝鮮戦争勃発から60年」、「日米安保条約改定から50年」……と言った具合である。その線で言えば、今年が「韓国併合から100年」にあたることも特記されるべきだろう。すなわち、100年前の1910年(明治43年)8月29日に「韓国併合条約」が公布されたからである。
このため、8月29日に向けて、日韓両国でさまざまな動きがあった。日本側での最大の動きは、8月10日に韓国併合100年に当たっての菅直人首相談話が発表されたことだろう。談話は、アジア諸国への植民地支配を謝罪した1995年の村山富市首相談話を踏襲して「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明いたします」とし、「これからの100年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます」と述べていた。さらに、植民地時代に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌などの朝鮮半島由来の貴重な図書を近く返還する、としていた。
これに先立ち、「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」が、5月10に東京とソウルで、7月28日には再度、東京で発表された。
共同声明は、まず「今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人々の抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている」として、併合に至る歴史的事実を列記した後、「力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれをうけとって、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である」と述べていた。
その上で、共同声明は、韓国併合条約について、日本政府が「条約は対等の立場で、また自由意思で結ばれたものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になった」との解釈をとっていること、一方、韓国政府は「条約は当初より不法無効である」との解釈に立っていることを指摘し、「もはや日本側の解釈を維持することはできない。当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである」と述べていた。
いわば、韓国併合条約に対する日本政府の解釈に変更を迫る内容であった。
共同声明には、日本側524人、韓国側587人、計1111人が署名していた。日本側の署名者は作家、芸術家、映画監督、歴史家、学者・研究者、弁護士、ジャーナリスト、出版人、社会活動家、宗教者らで、赤川次郎(作家)、井出孫六(作家)、大江健三郎(作家)、佐高信(評論家)、澤地久枝(ノンフィクション作家)、鶴見俊輔(哲学者)、喜納昌吉(音楽家、前参議院議員)、井筒和幸(映画監督)、荒井信一(茨城大学名誉教授、)坂本義和(東京大学名誉教授)、宮崎勇(元経済企画庁長官)の各氏らも名を連ねる。日韓歴史研究委員会(第1次)の日本側責任者であった三谷太一郎氏(政治学者)の名もみえる。
一方、韓国側の署名者は詩人、小説家、評論家のほか、歴史学界、人文・社会科学界、経済界、科学技術界、法曹界、市民社会界、言論界、出版界、社会文化団体、仏教界、カトリック界、プロテスタント界の関係者ら。高銀(詩人)、金芝河(詩人)両氏の名もある。
共同声明発起人代表の和田春樹・東京大学名誉教授によると、韓国併合100年に際して共通の歴史認識を確立するための声明を出すことが必要であるという認識が日本の歴史学者の間におこったのは、一昨年のことだった。その後、韓国の知識人グループから、併合100年に際しての両国の知識人の共同声明は可能だろうかとの打診があり、双方から案が提示され声明がまとめられたという(雑誌「世界」7月号)。
韓国併合100年に際し、日本では総理談話が出されるに違いないと予想されていたから、それに日韓両国の知識人の考え方を反映させたいという狙いもあった。
最初の発表は5月10日だったが、この時点での共同声明署名者は日本側、韓国側とも100余人。声明発起人は、これを7月までにそれぞれ500人に増やしたいと考え、目標を達したため、7月28日、改めて共同声明と署名者の氏名を発表した。
新聞は共同声明をどう報道したか。5月10日の際は、日本では朝日新聞、東京新聞、共同通信、ジャパンタイムスが報じたが、小さい扱いだった。「朝日」は第3社会面で41行のベタ(1段)記事。「東京」は「総合・核心」面で26行のベタ扱い(ソウル特派員電)だった。
7月28日の発表は、東京の6紙で見るかぎり、報道されなかった。和田氏によると、28日午後5時から参院議員会館で共同声明発起人が記者会見をしたが、取材に来たのは共同通信、しんぶん赤旗、社会新報の他は韓国の記者ばかりだったという(しんぶん赤旗、社会新報には会見の模様が載った)。
報道したのはわずかの社で、それもベタ扱いというのでは、共同声明はほとんど報道されなかったに等しいと思えてならない。これでは、1000人を超える日韓の知識人の訴えは国民に伝わらない。新聞にとって、この共同声明は報道に値しないニュースだったのだろうか。
「韓国併合100年」を控え、日本国内でさまざまな動き、論争があった。併合条約の解釈についての論争はその中でも中心的な動きであったと言ってよい。しかも、この論争は、この100年間における日本と朝鮮半島の関係を検証する上でも、またこれからの日韓関係、日朝関係を考える上でも日本国民が関心を向けるべきテーマであったと私は考える。したがって、メディアにとってもフォローすべきテーマではなかったかと、私には思えるのだ。そう考えると、共同声明の内容は読者に伝えるに値するニュースだったと私は思う。
いうまでもないことだが、新聞は読者の関心に応えるために存在していると考えられてきた。日本新聞協会の「新聞倫理綱領」にも「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」とある。
しかし、最近の新聞は「読者が知りたい」ことを報道しないのではないか。私の周辺では、このところ「新聞離れ」が進んでいる。それも、これまで長期にわたって新聞を購読してきた「堅い読者」が新聞をとるのをやめるケースが目立つ。「読ませる記事が少ない」「どうでもいいような記事が多い」「つまらない」「市民の意見や活動を載せない」といった不満が、購読をやめる理由だ。「新聞離れ」の背景にあるのは、インターネットに普及による活字離ればかりではないのだ。
読者あっての新聞だ。新聞は、今こそ「新聞は国民の『知る権利』の担い手」とうたう新聞倫理綱領の原則に立ち戻ってほしい、と願わずにはいられない。
「韓国併合」100年日韓知識人共同声明は雑誌「世界」7月号に全文が掲載されている。
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