テント日誌9月4日 経産省前テントひろば725日目 ~ 二百十日も野分も何処へ
- 2013年 9月 6日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
暦の上では既に立秋も過ぎているのだけれど、あまりそんな気配を感じられない。むかしは、二百十日とか、二百二十日とかが台風の季節だった。今も、台風はあるのだけれど、野分と名付けられた趣はない。記録破りの集中雨や竜巻が伝えられて。不安定な天気に驚かされるばかりだ。原因は海温の上昇にあるとされるが、そこには大量の放射能汚染水が流し込まれようとしている。《実際は既に流れ出ているか,流されているかをしていてのだと推察する》。自然の循環も狂ってきているが、それに関与する人災《原発事故》も深刻さを増すばかりだ。僕らの世代はもう諦めた心境になっているが、せめて、孫の代くらいにはという危機感はある。テントの行き帰りに小さな子供を見かける度に胸をよぎる。まだ、なんともならねえ、と諦めてしまいたくはない。
テントは9月11日に二周年を迎え、三年目に入ろうとしている。そして、9月12日には「テント裁判第3回口頭弁論」を迎える。こちらも本格的段階にはいる。テントでは、とりわけ夜の泊りではなかなかねつけないということもあってか、議論が盛り上がる。昨日はちょっとしたことで話が盛り上がった。小泉・元首相が脱原発の方にシフトしたという新聞の報道からだった。僕は少し前に小泉の話の乗った記事を読んでいたから、別に驚きではなかったが、話をふられて「歓迎すべきことだ」と答えた。僕らは脱原発―反原発をこれまでの左右の枠組みとは違った視点で見るべきものと考えてきたしそう主張してきた。そして左翼・右翼の関係なく原発推進か反対かで一致した運動をくむべきと主張してきたのであり、小泉・元首相や自民党の面々から脱原発―反原発の動きが出てくれば歓迎するのである。もちろん個人としてである。左右の枠組みというか、垣根を超えてということにかけ値はないのである。
左右の枠組み、あるいはイデオロギーを超える観点とは原発問題が資本主義か社会主義かという課題の内に存するものではなく、あえていえば、科学技術の社会化としての原発の是非を問うということであり、僕らはそれに反対するということである。従来の意味での資本主義か、社会主義かの枠組みでは、こういう問いは出てこないのである。原発問題は普遍的に言えば、科学技術としての核エネルギー(その存在と産業化=社会化)を容認するのか、否定するかという問題で」ある。そして、核エネルギーの存続の是非は旧来の左右のイデオロギーでは対象化(認識も判断も)出来ない課題としてあることを示す。
ここからは僕の考えになるが、人類の究極的な課題として、従来の左右のイデオロギーの枠を超えて出てきたということであり、その意味で左右のイデオロギーが世界の課題に対応できるという考えが有効性を失う時代にあるということなのだ。今回の脱原発―反原発運動で従来の政治グループ(政治党派)が前面に出られないということはここに根拠があり、それが警戒されていることはそこに理由があるのだと思う。テントに参加している女性の方からのメールで左翼的ということに警戒すべきということを頂いている。これは、従来の左右の枠組みでの考えが、僕らが考えてきた脱原発―反原発の立場を曖昧にしていくということだろうと思う。左右の枠組みに立って反体制的であるか、反権力かの腑分けをし、批判してくる。例えば、小泉・元首相の脱原発の動きをいいじゃないかといえば、「とんでもない」という反論や批判がでてくるようなことである。テントの中ではこういう反論はなかったが、ちょっとしたことから議論が盛り上がった。僕らは自分の考えをこんな風な論議の中で再確認しながら進んでいる。
テントは脱原発―反原発の一点で結集しようとしてきたが、これが、どういう立場を無意識も含めて代表しているかについて曖昧な要素を残してきた。これがテントの中での議論を呼んできた理由である。一つは右翼がテント支援の行動に出てきた時の対応であり、もう一つは3・11の福島での中核派問題への対応だった。右翼の問題は僕らの脱原発―反原発の運動をどう考えているかが明瞭であれば、もっときちんと対応できたはずである。小泉の動きを歓迎するくらいの考えがあれば、彼らの行動をきちんと評価し、対応できたはずである。
3・11の福島集会での中核派に対する対応は別の意味でこの不明瞭さを示したと言える。要するに中核派は左右の枠組みに立って脱原発―反原発運動を進めようとしている政治党派である。だから、彼らは自分以外の脱原発―反原発運動を進める部分を「体制内反体制派」として位置づけ批判する。この立場に立てば左右の枠組みを超えてという考えに立つ運動を批判し、それを分裂させるように結果する。左右の枠組みを超えようとする運動を割って行くという形になるのは必須である。かつての運動の反省のないままに脱原発運動をやっている。これは全体の運動の中で孤立するだろうが、時と場所においては運動を分裂させる。考え方が基本において違うからである。3・11以降の福島の運動の現状をみればこれは明瞭だ。テントの面々がこれに気がついたことは当然のことであり、3.11に参加しなかったのも当たり前のことだ。
テントが脱原発―反原発について左右の枠組みを超えてやって行こうとしたことは事実である。その意味ではこれまでの左派的運動を超えて行こうとしてきたことも確かである。現実に色々とぶっかって経験をせざるをえなかったこともある。苦々しい思いの議論を重ねざるをえなかったのはそのためだ。考えてきた事、構想してきたことがやってみる事の中で矛盾として現れ、自分の考えを変えていかなければならないこともあるのだが、それが現実の歩みである。
脱原発―反原発を従来の左右の枠組みを超えてところで考えるとい立場は運動の組み方についても違う立場を考えてきた。従来の運動は政党などの集団を組むことに即応しているが、テントでは個人の集まりを中心にと考えてきた。政治運動や社会運動は緒個人の意志を基礎にし、その実現としてある。民衆の意志が共同の意志として在り、国家意志になるのがその目標である。しかし、現代ではそのために政党という集団の媒介を必要とする。だが、緒個人の意志とそれを代行(代表)する集団とは対立し、集団は個人の意志を裏切ってきた。これは左右のどのような集団にも言えることであって一つの例外もない。これが僕らの置かれている歴史的基盤であり条件なのだ。
こういう中で、脱原発―反原発の運動を国民の意志としてやる運動は個人を中心に集団の運営する道を取るしかない。理念や規範に基づく従来の政党や政治グループではなく、個人の集まりでやるしかない。これは脱原発―反原発がどのように可能になるか、ということと深く関係する。
脱原発―反原発はどのようにして可能か。国民の半数以上の意志がはっきりしたものとしたなっていくことに置いてだ。その実現には時間的な差はあっても、半数以上の意志があればそれは可能でありそれ以外にはない。ここがこれまでの反体制―反権力運動とは違うところである。権力を実力で倒すという形態の運動は今は不可能だし、そんな形で国民の意志を明瞭にすることはできない。
現在はどこまで明瞭かは分からないところもあるが、国民の半数以上が原発の存続に反対と言われている。やはり、これは政府の動きを根底のところで規制している。政府や官僚たちはこれを無視して進めようとしているが、最終的にはこれが問題になる。国民の意志を確かなものにして行くのが、脱原発―反原発の運動であり、これは現在の政党や政治集団が担うことは不可能であり、これは明確なことだ。緒個人の集まりを基盤にした運動の広がりこそが、国民の意志の結集になっていく。テントひろばは個人の集まりで支えられる運動だが、そういう運動が広がって行くことを期待するしかない。脱原発運動が国民運動として持続して行くには個人の集まりを基盤とする運動においてだ。そこからしか本当の力は出てかない。個人の集まりを原理とするグループはその運営や維持方法の経験を積んでいくであろうし、テントもそんな風に進んでいくだろう。
ただ、ここに一つの矛盾がある。個人の集まり、あるいはそれに準じたグループとテントなんかが関係する時はさして問題はない。そうではなくて相手が政治グループ的な場合である。僕らはテントで個人として関わり、活動するなら、別のところでどのような集団に所属しようが自由であるとしてきた。もし、個人の関わりと集団の所属に矛盾がるなら、個人で処理してくれということである。ここにある原則でいえば、テントは政治集団とは共同行動はしないということであり、個人として参加してくれという方法を取っているのだ。これはテントが開かれてある根拠だ。右翼であれ、自民党であれ、左翼グループであれ党派と直接関係持てばテントが閉じられたいくことは疑いない、
ここではある誤解が生じた。テントは脱原発―反原発の一点で結集しているのだから、誰でも受け入れるべきであり、それが開かれている立場であると。政治集団やグループとの直接的な関わりを否定するのは、テントが個人の集まりという原理を維持するためであり、それをしなければ、個人の集まりを原則とする自由で開かれた立場を損なうからである。3・11以前にテントにいたSさんは本人の意識はともかく、個人としての点との関わりと考えられていた。彼女が3・11集会の呼びかけ人になって、テントに関わりを求めてきたとき、彼女の立場が変わっていることは明確であり、テントして拒否するのは当たり前だった。僕は個人的には残念であったが、そう考えた。テントが開かれてあるためには個人の集まりという原則を曲げてはならないし、政治集団やグループとの直接的な関係は拒否しなければならない。そのためにそういうグループにあっても個人としての関係ならOKとして開かれてあるのだから。開かれてあることは、党派の関係を否定することと矛盾しない。自民党であれ、右翼であれ、中核派であれ、個人として関わりしか認めないのはテントが開かれてあるためである。これは、僕らがこの間の経験した事だが、個人の集まりということを考えてきたことが試されたといえる。いろいろと経験させられるものだ。
テントの男性陣は不愛想でなってはいないという批判を女性のグループから頂いた。これはどっきりとしたことだった。なるべく愉しくやろうというのが心構えの一つである。僕らの運動はさしあたってテントが維持されて行けば、ということでなるべく重くならないようにと考えてきた。それでも無愛想になっているのなら反省せねばならない。持久戦というけれど、三年目になればやはりきついことはある。これも実状だが、愉しくやって行こうという心構えは変わってはいないのだし、そこはとても大事なところなので、大いに注文をつけてもらいたい。歓迎するところだ。(M/O)
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9月11日(水)「怒りのヒュウマンチェーン」 ◆午後3時~5時/経産省前座り込み・1分間スピーチ《福島と全国原発立地からの参加者中心に》◆午後6時半~7時半/テント・経産省前抗議集会◆午後7時半~/経産省包囲・怒りのヒューマンチェーン
9月12日(木)「テント裁判第3回口頭弁論」 ◆午後1時~/東京地裁前集合・抗議集会 ◆午後2時第三回口頭弁論(東京地裁103号室法廷)◆午後4時~報告集会(参議院議員会館講堂/発言 神田香織・河合弘之・渡辺ミヨ子他)
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