改 訳:さよなら国際法
- 2013年 10月 13日
- 時代をみる
- 松元保昭
【訳 者お詫び】
こ の論考の最初の訳出投稿は2011年10月のことでしたが、私の未熟さのせいで誤った訳注を付けたうえ 誤訳の多いまま2年間も放置してきました。ちきゅう座と読者のみなさまに、そして原著者にたいへん失礼なことをしてき たと、こころよりお詫び申し上げます。
ここに「改訳:さよなら国際法」を再紹介させていただきますので、よろしければ再読していただき著者の現代世界への警告を共有していただければ幸いです。(あわせて旧訳の削除・差し替えをお願い申し上げます。)なお、訳出の意図を述べた当時の前書きを、参考までに末尾に掲載させていただきました。
広域に及ぶ福島の核汚染水放出の最中で、しかも核汚染にたいするWHOの無作為が横行するなかで、国家間の紛争を回避し人権と人道を守る砦 としての国際法の再建強化が緊急のものとなっています。(2013年10月6日記)
Lawrence Davidson Goodbye to International Law
Posted: 29 Sep 2011 04:41 AM PDT
by Dr. Lawrence Davidson
改訳:さよなら国際法
ローレンス・デヴィッドソン博士(松元保昭訳)
パートⅠ―衰退する普遍的な法の支配
2011年2月12日に、私は普遍的な法の支配(UJ=Universal Jurisdiction) (あるいは普遍的な法の管轄権:国家管轄権を越える国際犯罪に対しては司法および執行管轄権を普遍的に行使することができる権利=訳 注)というテーマを分析してみた。その記事の最初のパラグラフがこれである:「第二次世界大戦の終結に続く真に進歩的な行動のひとつは、 普遍的な法の支配(管轄権)にかんする原理の創設であった。これらの違反行為が国境の外で侵犯された場合でさえ、UJは、さまざまな国際 諸条約および(ジュネーブ諸協定のような)国際諸協定がこれら諸条約の違反者を起訴するために諸国家に与えている合法的なプロセスであ る。これはとくに、被告人の属する当事国政府がこの疑わしい違反行為を裁く意思がないと見なされる場合に適用される。この原則の背後にある前提は、犯される犯罪があまりにはなはだしく人間性全体に対する犯罪と見なされていることにある。ナチのホロコーストおよび他のこうした人間性に対する犯罪の結果として、UJは、ほとんどすべての西側諸国によって不可欠かつ積極的な法的手段として承認されてきた。」
第二次世界大戦が終結して66年 がたち、(シオニストによる政略的なツールとしての呪文を除けば)強制収容所の記憶も色褪せた。またカンボジア、ルワンダ、ボスニアのようなのちに続く大虐殺は、大国の政治的な考え方における人間性に対する犯罪を中心課題にしておくには十分ではなかった。ヨーロッパ世界の 周縁あるいははるか遠くで犯されたこのようなじつに恐るべき犯罪が、ナチのホロコーストがそうであったと同じようには象徴的な重大性をも つとは見なされなかったことが歴史的な事実である。したがって人は注意をはらうことをやめてしまう。それがUJのような、これらの犯罪に 対する予防手段の衰退を許すことになっている。
さて、この衰退のプロセスを証明してみよう。2011年9月15日、 英国は、英国の裁判官によって発せられた普遍的な司法権を証明するいかなる逮捕礼状にも拒否権を行使できるようにするため、検事総長の名 において政府が許可を与えることができるようにそのUJ法を変更した。その意味するところは、人道に反する犯罪が英国の強力な味方の代理 人によって犯されている場合、政府はそのような人物が英国の地を訪れている間どんな逮捕のリスクをも否認することができるということであ る。これが、たまたま2009年 に前外務大臣ツィピ・リブニ(Lzipi Livni)のようなイスラエルの要人に出された逮捕令状に対する英国政府の対応に起きたことである。英国の UJ法は、ジュネーブ第四条約に調印している英国の美徳として存在しているのだが、それは問題ではないようだ。イスラエルとの友好関係の ために、英国政府は国際法における義務を喜んで失効させようと意思しているのだ。
もちろん、英国政府はそうしたやり方の執行について説明はしな い。司法大臣ケネス・クラーク(Kenneth Clarke)は、政府は「国際的義務にかんしては潔白である」と力説している。法におけるこの変更は要するに、 「普遍的管轄権の事例では、訴追が成功裡に導かれるという信頼できる証拠を基礎にしたときだけ手続きが実行される…ということを確実にする」ため、入念に設計されているものである。パレスチナ人に対するイスラエルの犯罪は非常に多くの証拠文書に記録されているという事実 は、クラークの司法の世界の一部ではないようである。もっとはっきり言えば、英国の駐イスラエル大使マシュー・グールドによれば、戦争犯 罪および人道に対する罪としてイスラエルに対して出した逮捕令状は、結局は、英国司法制度が「政治的理由のため」実行した「誤用乱用」と いうことになる。
パートⅡ―ダブルスタンダード
じっさい英国政府がしたことは、ダブルスタンダードの制度化である。ちょうどカッサム旅団(ハマス武闘派)のトップがだれか病気の友人を見舞いにヒースロウにやってきたら何が起こるか想像してみよう。英国のシオニストは一時間以内に逮捕令状を裁判の争点にし、英国政府は何の疑いもなくそれを執行するだろう。そこで、ほぼ同時にイスラエル軍少将ヨアフ・ギャラント(Yoav Galant)がヒースロウに着いたと想像してみよう。ギャラントは、国際法のもとで(ときに彼ら自身によって も)禁止されていた新兵器をテストするため、ガザを「理想的な訓練地帯」に変える作戦だと公然と述べたキャスト・レッド(溶けた鉛)作戦 最中のイスラエル軍参謀総長であった。このUJ法の新たな修正のために、ギャラントにはまったく何も起こらないであろう。そのダブルスタ ンダードは、完全に「政治的理由のため」という機能を果たしているというわけだ。
他の国々はほぼ間違いなく英国の例に続くであろうから、これは 破滅を招く先例法となる。ところで、これが国際法の衰退にかんする唯一のケースではない。公海上の行動を参照事項にしている国際法に対し て、最近その問題点を無理やり通したと思われる異議を唱えた国があった。またしてもイスラエルである。主要大国のすべてと国連までもが、 公海上における非武装のトルコ人の船を攻撃し9人 の乗員を殺害したイスラエルの責任を放免する意思を証明したこと、これが事実の果たした役割である。唯一トルコだけが、国際法の見解における立場をとった。ついで、国際刑事裁判所にかんする米国の堕落である(私の分析:「国際法と施行の問題」2011年6月4日を参照)。 パレスチナ人に対して日々の犯罪を犯し、かつ占領地に自国の住民を移住させて国際法に違反していても、その同盟国―またしてもイスラエル ―を守るために、米国は安全保障理事会で繰り返し拒否権を発動しているのである。
パートⅢ―結論
一般的に言って、大国あるいはその同盟国の一員であれば、政府 は自分の国境内で、しかも自分の国民にそれをするかぎり、まさに望むどんな残酷なことでも出来るということになる。したがって、もしヒト ラーが大国の首相として、すべての最後のドイツ・ユダヤ人、コミュニスト、知的障がい者などの殺害それだけに固着していれば、彼はほぼ間 違いなく罰を受けずに済んでいただろう。それが独立国の権力ということだ。もしサダム・フセインが米国の同盟国として、何万人というイラ クのクルド人およびシーア派の殺害に彼自身が専念していたなら、誰も邪魔立てはしなかったであろう。しかし、これら両方のケースでは、独 裁者が自衛以外の理由で露骨に国境を越えて大国の激怒を招く誤りを犯した。ところでイスラエルは、(虐殺を実行する一方で自分の領土には 執着し続ける)というこの基準は、自由裁量の気ままな基準であることを示してきた。彼らは、(彼らのパトロンである大国がするように)いつどんな時でも国境を越える。私の推測は、イラクと違って、イスラエルがクェートに侵入しても何の罰も受けなかっただろうということだ! それが、彼らはまさに米国によって守られている以上のものであるという理由である。ワシントンがその同盟国をコントロールするのでなく、 その同盟国がワシントンをコントロールしているのだ。AIPACのようなイスラエルの前哨組織が、「地上の超大国」の政府にたいして、関係する中東外交政策を命令し情報の動きをコントロールしている。両院合同決議、ネタニヤフ好みのスタンディング・オベーション、「イスラ エルはヨルダン西岸を併合する権利を有する」という馬鹿げた宣言、こうした動きが米国議会の議場から途切れなかった理由である。
これは異常である。われわれすべてと次のホロコーストとの間に 立っている無比の存在は、普遍的な法の支配(管轄権)という国家間の条約規定および国際法である。しかし誰が管理するのか?米国や英国で はないし、ましてシオニストでもない。違う…。記憶は褪せる、ダブルスタンダードが存在することは、そもそも普遍的な人間の弱点である。 それが再び起きるのは、もはや時間の問題である。バルカンやアフリカや極東の遠く離れたところではなく、この西洋で再び起こるであろう。 まるで第二次世界大戦でもっとも重大な民間人に対する大惨事などまるでなかったかのように…。
(以上、 翻訳終り)
【訳出の意図―放射能汚染時代の国際法】
ホロコースト、イスラエル、パレスチナにかんする非常に多くの論考を発表している米国の中東研究者 (ウェストチェスター大学教授)ローレンス・デヴィッドソンの「さよなら国際法」を拙訳ですがお届けします。その意図をすこし述べさせて いただきます。
一昨年12月、戦争犯罪と人道に対する罪で逮捕状を請求され英国に入国できなかったイスラエル前外務大臣ツィ ピ・リブニを、検事総長の承認なくして立件されないという英国政府の法変更によって、この10月6日彼女ツィピ・リブニを入国させ英 外務大臣ほか閣僚が「歓迎」したと報じられました。一方では3ヶ月前、パレスチナのイスラーム運 動指導者シェイク・ラエド・サラー(Sheikh Raed Salah)が英国政府によって逮捕収監されています。
●ブログ・中東モニター:Abdul Bari Atwanによる同 趣旨の記事参照。http://www.middleeastmonitor.org.uk/articles/middle-east/2912-british-justice-is-exposed-as-a-sham
著者ローレンス・デヴィッドソンは、第二次大戦後につくられたジュネーブ条約などの「普遍的な法の支 配」が、イスラエル国家の横暴と米、英などその同盟国のダブルスタンダードによって、つぎつぎと反故にされ衰退してきたことを指摘し、 「つぎのホロコースト」が「ここ西洋で」起きるだろうと警告しています。
ひるがえって、原発や放射能汚染にかんして、人権を防護するための「普遍的な法の支配」が存在するで しょうか。
現在私たちが当面しているのは、子どもや女性など住民をさらに危険にさらす被ばく線量や食品汚染など の政府のあまりにもご都合主義的で責任回避以外の何ものでもない「基準値」です。その政府、東電、原発推進派が参照する正当性の根拠は、 IAEAおよびICRPの「基準」や「勧告」以外にありません。しかしその「安全基準値」は、DNAが発見される以前につくられたもので 内部被ばくを十分には考慮せず晩発性がん障害の因果関係から放射線被ばくを除外することで成り立っている無責任なものです。ここには、核 兵器および核(原子力)発電推進のための必要「措置」はあっても「人権を守る普遍的尺度」はまったく顧慮されていません。
そのことは、彼らIAEAやICRPの「報告」とチェルノブイリの被害の実態を比較すれば明らかで す。いまだに死者数約4000人などと公表しているIAEAと WHOの談合合意と比較して、ゴフマンおよびバーテルの推計がほぼ同じだというヤブロコフ/ネステレンコの研究によれば、チェルノブイリ 大惨事の1986年4月から2004年までの期間の全体の死者数は、合 計死者数985000人と推定されているのです。
同じ積算根拠をもちいたクリス・バズビー博士は、フクシマの200キロメートル圏内の住民のがん患者 を「40万人」と予測しています。またベラ ルーシのバンダシェフスキー教授は、とくに食品体内摂取からのセシウム137による傷害プロセスは「多くの生命維持に重要なシステムの組 織的・機能的障害を誘発する。その主たるものが心臓血管系である。」と(その他の臓器・内分泌系などについても)科学的に論証し警告して います。ベラルーシでは「住民の死亡率が出生率を2倍以上上回るという人口統計上の大惨事」を招いていると指摘しています。そこには、甲 状腺、白血病、すい臓、前立腺、肺、皮膚、骨、実在するあらゆるタイプのがんが含まれます。食物から永久的・慢性的に摂取されると、放射 性核種セシウム137は甲状腺、心臓、腎臓、脾臓、大脳 など、生命活動のために重要な臓器に蓄積され、これらの臓器が受ける影響の度合いは様々である、といいます。
これは人道に対する犯罪、戦争に匹敵する恐るべき人権状況だというべきです。この状況から避難(回 避)すること、予防することが個人の責任に任され、その補償は制度的には市民が闘い取るほかないという理不尽な不安と負債が数百万人に襲 いかかっているのです。しかもこの放射能汚染は、何十年、何百年のスケールで人類を襲い、アラモゴードもセミパラチンスクもビキニもサハ ラもファルージャもチェルノブイリもフクシマも同様に地球規模で襲われています。
問題は、ICRPの「安全基準値」からはこれらの疾病が予測されず、従って予防されず、因果関係が認 められず、従って補償されない、という恐ろしい事実です。一方、イスラエルの核兵器は事実上容認し、イランや北朝鮮の核を誇大に敵視し日 本などの大量のプルトニウム保有を隠蔽容認して不公正な国際的「二重規準」を振りまいている組織がIAEAです。こうしたIAEA/ICRP体制に対し、ECRR欧州 放射線リスク委員会をはじめ、IPPNW核戦争防止国際医師会議、ドイツ放 射線防護協会、ベラルーシの放射線防護研究所、フランスの独立系放射能研究団体クリラッドなどの市民による独立系放射線防護組織のおかげ で私たちは真実を知ることができるのですが、ECRRの勧告やレスボス宣言はまだ国際法的な拘束力をもちません。つまり、放射線被ばくに かんする人権擁護の「普遍的な法の支配」はまだ確立されていないのです。
1949年のジュネーブ条約が第二次大戦の大量の一般市民の惨禍、とり わけナチによるホロコーストの経験からつくられたことは言うまでもありません。しかしパレスチナを占領地とするイスラエルの米欧による擁 護は数々のダブルスタンダードを生み出し、ジュネーブ条約および国際刑事裁判所の「法の力」を弱体化させてきました。ダブルスタンダード は、隠蔽と責任回避の構造です。しかしジュネーブ諸条約は現に存在し、194カ国の加盟国を擁しています。再生 の鍵は世界の民衆のちから以外にはありません。ところが地球上の全生物に遍く降り注ぐ放射能汚染―これこそあからさまに隠蔽と責任回避の 構造ですが―から人間および全生物を予防、保護し、核兵器、劣化ウラン兵器、原子力産業を規制・禁止し、人道に対する罪として裁く国際法、「普遍的な法の支配」はいまだ存在しません。欧米など一部大国による核管理体制、イスラエル擁護の体制こそ人道に反するダブルスタン ダードを生み出している根源です。世界市民のちからで、放射能汚染時代の国際的人権法をつくるべきときです。それがヒロシマ、ナガサキ、 スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマを経験した人類の努めであり、ダブルスタンダードを乗り越える唯一の道です。
国際常識とかけ離れた「基準値」を国内常識に押し付けるのは、この原発・放射能問題だけではなく女性 の人権や難民問題、歴史的責任問題など古くからのこの国の政府のやり方です。これからの放射能との長い闘いを考えると、人権擁護の国際条 約が必須に思えてなりません。以上が本論考を訳出した意図です。
(2011年10月6日記:松元保昭)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2413:1301012〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。