テント日誌12月11日 経産省前テントひろば823日目 商業用原発停止88日目
- 2013年 12月 13日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
鬼に笑われてもいいから、来年をめざした年越しの準備を
冬支度の一環で綺麗になったテントの外幕を見ていたら、いつの間にか葉の少なくなった木々が目についた。次から次と舞い降りる落ち葉の掃除にやれやれと思っていたのがこの間のことだが、もう、葉が少なくなって裸木に近づいているのだ。目の前の街路樹のプラタナスはいつものことながら丸裸にされて木肌を寒々と風にさらしている。最初(丸裸にされたのをみた最初の年)は何と無謀なことをするのだろうと思ったが、春になると若々しい葉を披歴する生命力に驚いかされた。来年も、そうなのだろうが寒々しい姿はこちらの気持ちにも反映するわけで腹立たしい。テントの風景はいつもとかわあらず、あれよ、あれよと言う間に冬の光景に変わっていくのだけれど、今年はいつもより心もとない気がする。この間に特定秘密保護法案が成立し反対の声が少なくなっているからだろうと思う。やむを、得ないことだが、今度だけは何らかの形での継続を期待したいものだ。また、そうせねばならない。共謀法の声も聞こえるが国家権力の強権化(超権力化)は疑いもなくやってきているのだ。法案の成立時だけの闘いで済ますわけにはゆかないのだ。
12月7日(土)、ということは特定秘密保護法案が参院で成立した翌日だが、渋谷では三宅洋平らの呼び掛けによる大デモがあり、2万人近くが集まった。これ等をみると、反対の声と運動を継続したい人々の意志の現れだと思えるし、期待の寄せられることだが、実際はこれを持続して行くのは難しいことだ。国会での法案成立期には人々の関心も盛り上がるが、成立したらそれがどうなったかはなかなか追えない。これはやむを得ない側面を持つ。国会が開かれる度に何本かの法案が成立する。その大半を関係のある人を除けば知らないのが実際だし、まして成立後の行方は知らないのが普通だ。その法を具体的に行使する機関や制度(広くは行政機関)と国民の日常には隔たりがあるからだ。国家と国民の日常の関係である。それは現実だが、だだ、そうは言っておれない。特に、統治権力に関わる法についてはあらゆる機会を通じて、それに関心を喚起し、異議申し立てなどの闘いを組まなければならない。持続的な、あるいは持久的な闘いの形態を発見してやっていかなければならない。ここでこそ、知得と工夫を考えて行きたいと思う。そんなことの必要な時代になっているのだ。
特定秘密保護法案に世の関心が向かっている間に経産省は「原発ゼロ方針」を書き換えていた。原子力関連機関を推進派のメンバーに衣替えし(反対派排除し)、原子力ムラを復活させつつある。これは彼らが再稼動―原発保持という戦略の実現のプロセスでもある。原発による国民的議論を避けて、裏で利害関係者の根回しをするという日本的な権力行使を形を取りながらである。彼らは今回の福島第一原発事故の収束や原因究明にではなく、再稼動を優先させているのだ。原発の停止状態の間に原発エネルギーのシフトなどが進むことを恐れてのことだが、こういう日本の権力のあり方に対して、目を離さないで対抗しなければならない。僕らはテントを維持し、規制庁への監視とか、官邸前抗議を持続するくらいしか手はない。けれども、こうした方法でも僕らが予想をする以上に、彼らに対する力になってもいる。こうした道は秘密保護法に対する今後の闘いでも出てくると思うが、僕らはどんなに貧しく見えようと、持久戦的な闘いを工夫し、そのための知恵を出して行かねばならないのだ。
テントはこれから冬を迎える。三度目の年越しとなるが、テントの維持は皆さんがテントに足を運んでいただくことが基本だ。テントは持続することで最低限の目的は達せられる。また、そこからの反転を願って年越ししたい。そのためにいろいろのアイデアを持ち込んで欲しい。12月22日には今年最後の国会包囲行動があり、官邸前抗議行動は12月27日もある。こうしたことの繰り返しながら、来年を迎えようではないか。(M/O)
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