テント日誌5月2日…首相官邸前抗議行動も100回目になって
- 2014年 5月 4日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば965日目 商業用原発停止229日
首相官邸前抗議行動も100回目になって
テントの横に走っているのが国会通りである。それは日比谷公園から首相官邸前に向かっている通りである。テントの横にはもう一つ桜田門通りがあって、テントはこの二つの通りの交差するところにあるのだが、この国会通りの坂の上の方で毎週金曜日に首相官邸前抗議行動はなされている。国会正門前の方には国会前清志郎通りと名付けられたのもあり、彼の歌と共に脱原発の声が発せられている。この抗議行動への参加者はピーク時から見れば減ってきているが、それでも毎週続けられている。原発事故の衝動が時間を経てば反応が小さくなるように、それに抗議する行動も減少する。これは自然過程であって、人々の原発に対する意識が減衰したというわけではない。
人間の意識は直接的な反応を中性化して存続させていくのであるからだ。意識の身体化とはこういうことである。この中性化は感情の内化であり、そこからは遠ざかるようにあらわれるが、それが消えたわけではない。人は感情や反応をそのようにこのように変化させて持続させるのである。そしてこの持続化した意識や感情は直接的反応から見れば消えてしまったように現象するが、内化しただけで契機さえあれば再び登場するのである。
かつて国会通りに詰めかけた人々の多くはそれを記憶に残しながらその意識をこんな形で存続させている。参加を継続する人は減っていても、背後にはかつての参加者が関心ならざる関心を寄せているのだし、それだけ、首相官邸前抗議行動も基盤が広がっているのである。裾野を広げているのだ。僕はその行動には割と参加している方だが行けないことも少なくはない。それでも気にはなっているのであり、気にかけるという風に絶えず参加している。この事情はやがて1000日を迎えるテントも似ている。直接的な反応や感情に訴えられる時期を経れば意識や行動は意志(自覚的意識)に支えられて行くしかない。そしてそこでは運動は少数で孤立的な様相を帯びる。多くの人たちの意識(こころの動き)から離反し、背反したが故の孤立とこうした孤立は混同されやすいが、そこはよくよく見極めて行くべきことだ。
官邸前行動もテントも形の上では少数になり、孤立の様相を持たないわけではない。でも、これは運動が人々の意識やこころから離反し、背反しているからではない。むしろ、自然過程的なものだ。こういう時期があるというに過ぎない。こういう中では個人の意志(自覚された意識)が支えるしかないし、個人の中に意志が深めていく、自己問答を繰りかえすしかない。僕らが持久戦というとき、個人の意志力を深めるこの内在的な闘いが避けられない時期だということだ。
孤立の様相の中での自問が不可避になる。その中では自己にとって原発とは何かということが、あるいは社会と原発の関係が、原発の存在と権力の関係が自問として出てくる。これに答えようとする試みは孤立して、個々の内面的な闘いとなるしかない。これは孤立したこころの中での闘いのように見えても。人々とつながっているのである。孤立しながら、つながっているのだ。官邸前行動もテントも多くの人は経由し、今は孤立した形で散らばっているように見えても、こんな形でつながっている。機会や契機があればそれは行動の形で視えるようになる。だから、個々人の内在的な力で支えられていくしかない時期があるのだし、こういう時期としてはよくやっていると思う。再稼動の動きの中でそれは具体化すると思うが今はこんな形で回数や日を重ねて行くしかない。
国会通りを坂の方に向かって見ると国会議事堂が見える。冬の間はよく見えたが、今は青々とした葉をつけた欅や銀杏などの街路樹で視えない。ここでは国民の視野から隠されているのだが、そこでは政府の戦争の準備が露骨になっている。集団自衛権(?) アメリカの船が攻撃されたら見過ごすのかと語る政府高官の声(?) それならアフガンでのアメリカ兵への攻撃も見過ごせないとでもいうのか。いつの間にか他国の戦争と自国の戦争との境界線を消し、戦争概念やイメージを変えていく手法や動きを注視しよう。以前に国会前に座り込みながら、道一つ隔てた国会内は別世界のように思った。それは一層、強くなるばかりだ。憲法のことも、原発のことも別の世界での討議のように思える。僕らには異議申し立てを続けるしか道はないが、街路樹に遮断されづに国会内の動きを見て行きたい。
いくらかは凌ぎやすくなったテントの前に座っている。連休に挟さまった日のためかいつもよりは人の通りは少ない。テントの写真を取っている外国の人に英文のビラを渡す。英文の「福島の母の訴え」を見て行く人は少なくないのだからこうしたビラはいいと思う。椅子に座ってうつらうつらしていると、足元には雀が寄ってくる。恐れずにそばまでくる。手のり文鳥という言葉があるが手に乗ってきそうな雰囲気である。餌を催促しているようにもみえる。餌をという気もするが、我慢する。この季節には餌はあるだろうし、やはり保護はいけない、と思う。
僕はむかし、結核で清瀬の国立療養所に一年近くいたことがある。このときの費用はただで保護は行きとどいていた。結構きつい時期だったのでこの手厚い保護はありがたがったが、保護された状態での療養が人間の精神にもたらすものについて考えさせられた。こうした保護状態はどこか」人間の精神を緩めるところがありこれは恐ろしいことに思えたのだ。その前にも隔離された場所に入れられていたのだが、こちらは精神的には緊張もあり、苦しい所もあったが、精神が緩くなることはなかった。精神の力は溢れていた。この緩むというのは精神を休めるということではない。人間の関係意識が薄くなっていくことなのだ。保護ということは難しいことだが、随分と考えたことがある。餌つけをしたことで雀たちが人を怖がらなくなったことはいいことだが、保護の懸念もあって餌は我慢した。 (三上治)
5月7日(水)第8回東電本店合同抗議行動 18時30分~東電前
呼びかけ団体/経産省テント前ひろば たんぽぽ舎 76団体協賛
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。