ゴルバチョフ 与謝野晶子 大塚楠緒子 白楽天より見たる集団的自衛権
- 2014年 7月 11日
- 時代をみる
- 岩田昌征
平成26年7月1日、安倍内閣は、集団的自衛権を閣議決定した。明々白々に立憲政治を否定してしまった。
私は、1990年6月初のゴルバチョフ大統領発言を想い出した。ワシントンにおけるブッシュ大統領との公式会談、激しい両者のやりとりの中で、ソ連大統領は米国大統領に向って、次のように語った。
――私は時々こう言うのです。アメリカでこうした事態が生じた場合、米大統領は二十四時間で事態を収拾するだろう、とね。なぜなら、あなたの国では憲法が尊重されるからです。わが国では憲法に対する態度は違っています。第一に、国家の指導者たち自身が憲法を守ってこなかったのです。誰もそのことを気にしませんでした。それが現在は状況が変わり、憲法尊重を学ばねばならなくなったのです。これはやっかいなことです。さまざまな歴史、伝統、慣習をもった国民が三億人近くもいるのですから。(『ゴルバチョフ回想録 下巻』新潮社 p.209)
私達の日本国は、ゴルバチョフ以前のソ連邦の方向へ完成しようとしているのであろうか。時代錯誤である。
閣議決定の前々日、6月29日、一人の中年紳士が新宿駅南口で集団的自衛権行使容認に抗議して、焼身自殺をはかった。幸いにして、一命はとりとめたようである。その紳士は、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」(明治37年)を「あゝをとうとよ、君を泣く、・・・・・・親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや」まで読み上げてから、自分自身に火を付けたと言う。
戦争の気配がただよい始めると、人々は、あらためて厭戦の気持を言葉にさぐる。そんな言霊を与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」に感じた。そしてまた、大塚楠緒子の「お百度詣」にも言霊を感じることになろう。
――ひとあし踏みて夫おもひ
ふたあし国を思へども
三足ふたゝび夫おもふ
女心に咎ありや
・・・・・・
・・・・・・
妻と呼ばれて契りてし
人も此の世に唯ひとり
かくて御国と我夫と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度もうであゝ咎ありや
「御国」も「我夫」も共に大切である。為政者は、自衛隊員の妻に集団的自衛権をふりかざして、このような問を問わせてはならない。
厭戦歌の伝統は、万葉集防人の歌にまでたどれるであろう。しかしながら、反戦歌となると、私の知識不足の故に、日本詩歌の伝統の中に見出せない。
現在の日本社会の一部が仮想敵国とみなしている中国の詩史の中には明瞭な反戦歌、あるいは戦争政策批判の詩が在る。かの楊貴妃物語「長恨歌」の作者白楽天に「新豊折臂翁 新豊の臂(うで)を折りし翁」(『白居易 上』岩波書店pp.52-58がある。)四十九行の長い漢詩である。部分的に引用する。
――新豊老翁八十八
・・・・・・
左臂憑肩右臂折
・・・・・・
生逢聖代無征戦
・・・・・・
無何天宝大徴兵
・・・・・・
千万人行無一廻
・・・・・・
偸將大石鎚折臂
・・・・・・
一肢雖廃一身全
・・・・・・
痛不眠
終不悔
・・・
老人言
君聴取
・・・
又不聞天宝宰相楊国忠
欲求恩幸立辺功
辺功未立生人怨
請問新豊折臂翁
唐王朝の首都長安の東、新豊県に八十八才の老人が住む。重い身体障害者である。長い間戦争のない平和な生活を楽しんでいたのに、突如外征の大徴兵があった。何十万の兵隊が征って、一人も帰って来れない。決心して、石鎚で自分の肩をくだいた。徴兵を逃れた。それ以来六十年痛く苦しみ続けたが、後悔していない。もしもそうしていなかったならば、今頃は、遠い異国で望郷の死鬼となっていたことだろう。戦争政策を考えている権力者は、出征よりも自傷を選んだ八十八才の新豊老人の言葉に耳を傾けよ。
唐代、9世紀の高級官僚は、皇帝にかかる直言をしていたのである。私は、日本常民の厭戦歌と中国エリートの反戦詩、これら二つの伝統の中に日中不戦の保証を見る。
集団的自衛権容認によって、私の政論「安保・九条体制のワンセット否定」の実現が遠くなってしまった。
平成26年7月9日
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