「神風特別攻撃隊」ふたたび ―レイテ沖海戦70年目に―
- 2014年 10月 25日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市戦争特攻
百田尚樹の小説『永遠の0(ゼロ)』が480万部も売れ、映画、漫画もヒットした。テレビドラマ化も企画されているという。特攻隊は、なにゆえに、いつから、人気と美化の対象に変わったのか。もちろん、特攻の美化を批判する言説も存在する。たとえば『東京新聞』(2014年10月15日)は、一面トップと第4面全部、で生き残りの複数の元特攻隊員へのインタビューを載せ美化への強い批判を展開している。立派な記事である。しかしもう遅すぎるのではないか。それが孤軍奮闘する東京新聞への私の率直な感想である。
《「アンデルセン」のおとぎの国へ行って王子様になります》
『新版 きけわだつみのこえ』(手許の岩波文庫は95年一刷の、04年第16刷)に、仏文学者の渡辺一夫による1949年に書かれた「旧版序文」が載っている。その一部を掲げる(「」の中)。渡辺は、ナショナリズム感情の正確な位置づけを主張したように思う。しかし、戦後しばらく、「ナショナリズム」または「愛国心」は、マイナスの記号として不当に忘れられ置き去りにされていた。
「初め、僕は、かなり過激な日本精神主義的な、ある時には戦争謳歌にも近いような若干の短文までをも、全部収録するのが「公正」であると主張したのであったが、出版部の方々は、必ずしも僕の意見には賛同の意を表されなかった。現下の社会情勢その他に、少しでも悪い影響を与えるようなことがあってはならぬというのが、その理由であった。僕もそれはもっともだと思った。その上僕は、形式的に「公正」を求めたところで、かえって「公正」を欠くことがあると思ったし、更に、若い戦没学徒の何人かに、一時でも過激な日本主義的なことや戦争謳歌に近いことを書き綴らせるにいたった酷薄な条件とは、あの極めて愚劣な戦争と、あの極めて残忍暗黒な国家組織と軍隊組織とその主要構成員とであったことを思い、これらの痛ましい若干の記録は、追いつめられ、狂乱せしめられた若い魂の叫び声に外ならぬと考えた。そして、影響を考慮することも当然であるが、これらの極度に痛ましい記録を公表することは、我々として耐えられないとも思い、出版部側の意見に賛成したのである。」
岩波文庫にある、一学徒兵の手記の一部を次に紹介する(「」の中)。
筆者は、林憲正(はやし・よしまさ)。1919年愛媛県生まれ。1943年9月慶応義塾大経済学部卒。同10月三重航空隊に入隊、1945年8月9日、神風特別攻撃隊員として本州東方海上にて戦死。海軍中尉。25歳。
「四月二十三日
私は祖国のために、我が十三期の仲間のために、更に先輩の学徒出陣の戦士のために、最後には私のプライドのために生きそして死ぬのである。帝国海軍―私の意味するところは江田島出身のある部分の士官によって代表される―を呪いながら・・・。
七月三十一日
父上母上初め兄弟姉妹、その他親戚知人の皆様さようなら。
御元気でやって下さい。
私は今度は「アンデルセン」のおとぎの国へ行って、そこの王子様になります。
そして小鳥や花や、木々と語ります。
大日本帝国よ、永遠に栄えんことを。
八月九日
敵機動部隊が再び本土に接近して来た。一時間半後に、私は特攻隊員として、ここを出撃する。秋の立った空はあくまで蒼く深い。
八月九日!
この日、私は、新鋭機流星を駆って、米空母に体当たりするのである。
ご両親はじめ、皆様さようなら。
戦友諸君、有難う。」
《バランスを欠いた被害者意識と厭戦感情》
戦争認識に、被害者の立場のみがあって、加害者の立場がないという批判はいつの頃起こったのであろうか。被害者意識は、「満州国」からの引揚げや、東京大空襲や、原爆被爆の悲惨を語ることで、戦後庶民の厭戦、嫌戦、非戦の意識を形成した。それが平和の礎であるという幻想が、戦後を長く支配した。幻想ではない。事実でもあったことを、私は否定しない。憲法改正を党是とする自民党が、2005年まで、「改正」法案すら提示できなかったのは、戦後の「幻想」の賜である。
一方、加害者は加害の事実を語らなかった。たとえばである。ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』(池谷薫監督・2006年)の主人公(故人)は、戦後日中友好団体に属し反戦活動にも携わっていた。そういう人でも、半世紀の間、初年兵教育で無抵抗の中国人捕虜を刺殺したことを、最愛の夫人に告白することはなかった。私はこの元日本兵を責めるのではない。我々の戦争認識と戦後認識が、現実を直視しないセンチメンタリズムに彩られていた、少なくとも肥大した感傷主義が現実の戦争を反映せずに、平和への道程の障碍となったのではないか、というのである。
誤解を恐れずにいえば、『きけ わだつみのこえ』は、インテリによる被害者意識の記録である。被害者意識を批判しているのではない。渡辺一夫の表現を借りれば、「残忍暗黒な国家組織と軍隊組織とその主要構成員」による「追いつめられ、狂乱せしめられた若い魂の叫び声」、「極度に痛ましい記録」を、排除したことを批判しているのである。戦争から平和へという「時代精神」の変容は、一夜にして達成されるものではない。それには、一人びとりの内面の葛藤と、それの苦しい克服を伴う筈である。それを内面から外在化し制度化することが必要である。しかし我々の戦後は、GHQによる、「お仕着せ平和」への移行であり、「一国平和主義」の形成にとどまった。
《「靖国での再会論」を批判できる特攻論へ》
『東京新聞』の特攻隊特集に、昭和史研究者の保阪正康がコメントを書いている。
一部を次に掲げる(「」のなか)。
「特攻作戦は日本軍の最大の恥だ。二十世紀の戦争で、国家の意思として十死零生の作戦を採用した国家はなく、これほど人命が軽視されたことはなかった。政治が軍事をコントロールできなかったことの弊害だ」。
「陸海軍の教育、考え方、基本的な戦略に誤りがあった。自分たちが特攻を命じたのではなく、志願があったという形にしたのは、作戦のおかしさを知っていたということ。卑劣なことだと思う」。
「特攻隊員は、その時代、勇躍果敢に、あるいは矛盾を感じながら死にたくないと思って行っているわけだから、気持ちをおもんばからなければいけない」。
「彼らの真摯さに対しては謙虚に頭を下げたい。ただ、国家に対する犠牲的な行為だと美化することは、仲間内でのヒューマニズムにすぎない」。
「特攻隊員の遺書は涙なくして読むことはできないが、こんな目にあわせたのは誰なのかと考えなければいけない。それは国であり、軍事指導者。涙だけで見ていたら、それが見えなくなってしまう」。
保阪の特攻観は、彼らの死が限りなく無意味なものといっているように読める。私は、情において保阪ほどに割り切れていない。しかし理においてはこう考えなければ、国中が百田尚樹的な情念に掠めとられる危険がある。だから「もう遅すぎるのではないか」とは本当は言いたくないのである。(2014/10/17)
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