あしたのマルクス(13日月曜日夕方からですもう、きょうのマルクスかな?)《付録:時事史観、問題山積。要塞化する軍拡日本殺人的精神矯正教育の恐怖と怒り、12日集会報告含む》
- 2015年 7月 13日
- 交流の広場
- 武田明
問題山積。
金平氏の表情も重い。
「何故、こんな日本になってしまったのか」
何故、こんなになるまで日本の病状が悪化してしまう事を食い止める事が出来なかったのか?
予防が適わなかったのか、その悔恨の中で、抵抗するしかない重苦しい空気が、集会にも立ち込めている。
安保法制と言う悪魔に魂を売る様な法制を強行採決しないぎりぎりの良心に訴えるしかない、同じ日本人を売らない様に、これ以上、一部の人の強欲者の為に国土を犠牲にしない様に。
しかし、沖縄問題から見えてくる軍靴の響きは、容赦のないものであるギャップを、観念的に頭で考える理想主義に対して、ライブは、持つのであり、日本の地政学的地獄図、地獄の釜の蓋が開いている事を知るしかないのだ。
あまり、過酷な話であると被弱となった大部分の日本人には、聴くに堪えない話となってしまう。
小出しにしていくしかないのか?
地獄を先延ばしとしていく事、他者を犠牲として、少しだけでも先延ばしできる側の立場に身を置く背理、背徳の資本主義に対して、抵抗する知性とは、どこで、学習していくべきであるのか?
人が、人を殺すには、精神教育を必要としている。
今週の「報道特集」(7月11日)で語られていた様に、自衛隊内部に、死生観を根付かせるために、遺書を書かせていた報道、そして、「フルメタルジャケット」的な、アメリカ駐留軍の精神教育、それ以上に、台湾、中国有事に即した、集団的自衛権的日本の軍拡配分としての辺野古新基地か移設か判然としない、要塞化する戦場としての地政学的位置づけたるトカゲの尻尾切り状況。
それは、首都圏の犠牲となっていた福島原発の図式にも酷似している、抜け道のない、精神的物理的要塞化としての構図が、既にそこにある事を集会は、遠回しに、述べていたように、僕には、感じられた。
ただ、先延ばしする、強行採決させないだけのデモだけでは、この兵糧攻めは、資本の側の圧倒的物量の独占に対抗が出来ない。
知性と教養の共有を広げていく事と、オール沖縄的政党へと野党を鍛え上げていく事、民主主義を取り戻す、大きなうねりとして、まさに、オールジャパン「平和と共生」的強欲資本主義ではない、反資本側としての人海戦術としての人文科学的再学校化される政党、人のつながりを作っていくしか、対抗できない段階に来ているのは、事実なのだ。
心が、バラバラであってはいけない。
理解を広げなくてはいけない。
平明に説明できる歴史認識、経済的素養を広げなくてはならない。
ちきゅう座的拠点を、たった一つではなく、細胞分裂するように、増やしていかねばならない。
資本に対抗するのは、人海戦術、99%日本国民からちきゅう人民への説明責任と自己意識としての基礎を、対話できる学習の場が新たに必要であり、現行の教育の退廃に、対抗していくしかないのだ。
対話の基礎の基礎とは何か?
「他者を利用する」関係を自らも戒めつつ、真の連帯を手にするためには、何が必要であるのか?
それもこれも、安保法制問題と一強多弱化している故の独占資本政党自民党とアメリカの日本の軍事要塞化の問題としての乗り越えから開始されるべき、政党政治の立て直しであり、知的労働と生産労働の再組織化連携の経済学の体系化であり、
知的労働者と生産労働者の上部構造、下部構造的階級化に対して、再構成する事であり、労働者相互の連帯と信頼としての人倫を明確に、最学校化としての社会としていく事であり、知る事の喜びを独占させたり、分離させたりしない社会とは、何か?それこそが、資本主義の乗り越えとしての必然的社会主義段階としての真性民主主義段階であり、「日本の共和制」段階となると言う事であるのだ。
その政党政治の再構成の模範として、オール沖縄から学び、オールジャパン「平和と共生」たる共同政党としての野党の立て直しの場の論理が必要となっていると言うわけなのだ。
サンデーモーニング(6月28日の回)「風をよむ」オール沖縄、オール日本が、安保法制デモから生まれつつあることを放映している。
僕としては、植草一秀氏のブログ展開が、わかりやすく、考え方に賛同する方向で、オールジャパン「平和と共生」をちきゅう座においても広報していた時であったので、タイムリーでもあり、更に、具体的に、明確にしたいと考えたいので、安保法制デモの次に来なくてはならない再政党化再学習学校化社会としての対資本としての人間宣言(人間解放宣言もしくは、カムイ宣言かな?)としての「国語」「言語」「理念」から、具体化具現化としての社会、産業、技術者=労働者立国観への移行の問題である法制化真近代化自由労働化を目指す、人倫の確立、人間の確立であり、脱資本支配、脱機械化支配、脱非人間化たる必当然としての社会主義産業技術者立国への移行であり、これは、オール沖縄リスペクトからオールジャパン「平和と共生」、更に、サンデーモーニング的「オール日本」の次にくるヴィジョンとしての教育格差、情報格差の内、「対話と共生」としての社会としての完成、脱資本としての永続歴史革命としての人間宣言の継続に他ならない。
しかし、実際、7月からの予定の植草一秀さんのオールジャパン「平和と共生」に動きはない。
最新のブログ更新では、
日本のいちばん暑い夏
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-2e72.html
この様に、再告知されているが、一人で動きようもないのが、「社会」であり、「組織」である根本として、0円商品原初性、私有財産の放棄として、「場」として、解放された知恵として、開始されるか、もしくは、「ちきゅう座」より、第二ちきゅう座的拡張として、フォーラム4、オールジャパン「平和と共生」、更に、ある意味、吸収合併的連携を模索に入れていくしか、「ちきゅう座」も一部の書き込みをする限定する者の閉鎖的なページとなりつつある閉塞から免れていけない自己限界を示している。
その方法論は、資本の方法論、株式会社の方法論であると批判されるかもしれない。
しかし、営利既得権益で結びつくのとは、根本的に違う、99%人民の人海戦術としての対話の広がり外交政策連携をリンク、連携することに他ならず、金平さんが、評価している「SEALDs(シールズ)」ちきゅう座や、相互学習、教えある共生の喜びを、むしろ、ちきゅう座限定の書き込み手だけのものとするのではなく、広げていこうとする事、社会科学、人文科学的連携として、若返りと知恵の連携を明確に、公然と推し進める事である事に他ならない。
また、このことが出来なくては、デモや行動、カムイ伝的第一部一揆の域から抜け出せないのであり、資本の作成した、最初の収容所「プラーベートなる牢獄」の打破が、適わないし、これは、「目的と方法」の一致としての連帯と知恵の最初の共有であり、対話である。
その土台を作成しなくてはならない。
「SEALDs(シールズ)」的オールジャパン「平和と共生」ちきゅう座の独立的運営と対話リンク、小宇宙を結び付けながら、自民党安倍内閣安保法制の裏にある、強欲資本主義、資本に対抗する「人間の連帯」「0円知恵」としての空気や水と同じ、供給物としての「知恵連帯」としての社会とは何かの問いかけに、展開するものと、
更に、広報テキストとしての『ちきゅう座』読本としての「理想の為の資金作り」=「資本支配に対抗する資本」たる「命がけの商品への飛躍」としての結集として、具体的創造、有用なる商品として、ゴミ屋敷資本主義商品に対抗する良質さの追求を更に、再結集する『目に見える経済学』の展開をすることである。
少し、長くなったので、また、ここで、一休みして、対話交流の試み具体的時事史観。
《今回のちきゅう座関連リンク集》
シンポジウム「沖縄 戦後70年:基地問題とジャーナリズム」のお知らせ
http://chikyuza.net/archives/54214
終了しました。「圧殺の海」「ワンショットワンキル」必見ですね。台湾中国有事に対する沖縄の基地要塞化、そして、アメリカとの集団的自衛権、日本の破滅的軍拡としての方向性が、語られました。
報道特集「死生観から遺書矯正精神軍事化」と「人が人を殺す機械とするためのアメリカの精神教育矯正」
フルメタルジャケット、ベトナム戦争への逆行
http://revolutio.exblog.jp/21944730/
【動画】 強行採決目前、国会前で1万5000人が「戦争法案反対」の声(7/10)
http://chikyuza.net/archives/54647
金平さんも評価する「SEALDs(シールズ)」紹介。
戦争法案を通してはならない
http://chikyuza.net/archives/54598
これをいきなり「日本人の特性だ」とはぼくは言わない。これは「官僚の特性」だと思う。
僕もこれに賛成です。大衆は、犠牲者であり、敵ではない。たとえ、ヘイトに陥っている白軍であったとしても。(静かなるドン的に表現するなら)しかし、官僚と無責任政治とは何か?その元凶としての日本昭和史観の問いをさらに、池上彰氏的わかりやすさ=おとぎ話=遠野物語から、改革論的実践の射程へ。
《植草一秀ブログリンク集》
問題山積。(冒頭を踏襲する。問題提起が、整理されていると僕は、感じていてとても共感を覚えています。)
①辺野古問題。
(動画)IWJから
•基調講演 「埋め立て承認撤回なくして、辺野古は守れない!」 植草一秀氏(政治経済学者)
•シンポジウム 植草一秀氏、喜納昌吉氏(音楽家、民主党沖縄県連代表)、上里直司(沖縄県議会議員)氏
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/177154
「辺野古に基地を造らせない」公約破棄の謀略
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-8b4c.html
(7月12日の「沖縄 戦後70年:基地問題とジャーナリズム」にて、この事の真意を質問用紙に書きだしたのですが、採用されなかった。しかし、この問いに辿り着けない程に、重い空気もあり、安保法制、戦争法制、沖縄の基地要塞化と日本の今後の軍拡的集団的自衛権の因果などなど、耳の痛い話に、カムイ伝的疑心暗鬼、人間不信的言及をあっちもこっちも問い出すことに躊躇いもあり、沈黙していた。朝日、毎日、東京新聞で、安倍内閣クーデターだと書きだすべきだ、安倍との会食をするジャーナリストの告発を「報道特集」で追及してほしいと肉声で、訴えていた質問者は、僕に似ていたが、僕ではない。
金平さんは、秘密保護法や安保法制、物質的精神的矯正軍事大国の要塞化されている再び、本土の犠牲とされている沖縄の現状の映像や暴力映像から危機感を強めていた。
会社ではなく、個人の資格で話をします。そうでなくては、自由な言論が今や担保できなくなってきている危機感を真っ先に会場へと伝えてくれた。
どんどん個人の資格によって、取材に、そして、自由に言論と情報の伝達をこれからもお願いしたいものだ。
他のキャスターや新聞社、沖縄タイムスを見習い、琉球新報に続くように促していかねばならない。
真の戦いは、安倍内閣、安保法制の強行採決の先にあるのだ。こちら側には、連帯と人海戦術デモしか戦略はない。正攻法で行くしかないのだ。)
②いじめ教育問題。国立競技場の浪費無責任政治の実態。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-08d8.html
③ギリシア財政問題から日本的赤字国債問題への序説
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-7410.html
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-c482.html
更に、ちきゅう座から「ギリシャ問題(下)」
http://chikyuza.net/archives/54454
残念、中国、ロシアがもっとしっかりしていて、債務国を下支えして、応援できる立場にあったなら良かったのですが、EUの下僕、搾取債務国として残る選択肢しか残されていない強欲資本主義、借金漬けで、奴隷とされてしまっている日本の奨学金学生やブラックバイト家庭教師の学生の様な状態が続いています。
ピケティ氏もこれに言及していたと報道ステーションそして、ブラックバイト告発ニュース23が続いていましたね。
まさに、問題山積の現状の打破には、それぞれの特性と役割分担、連帯、インターネット活用と集会、学習連帯を更に、改良して、真摯に向かっていかねばなりません。
また、原発と基礎物理学としての広報を、是非、たんぽぽ舎、テント日誌派の方々に、入門的池上彰解説、的場昭弘先生資本主義解説、ちきゅう座第三の拠点としてのリードをお願いしたいと思っています。
こんな感じの『ちきゅう座読本』テキスト化「命がけで真摯なるテキスト商品への飛躍」をするなら、必ず、世間は、ビックリするはずです。目標を持って、是非、力を結集して頑張りましょう!
④TPP(グローバリズム資本主義問題)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f8d2.html
さて、いよいよ、「あしたのマルクス」月曜日、夕方です。
200年も資本主義を遡っている暇は、労働者にも暗記苦役囚人学生にもないよとは言わず、是非、遊びに来る感覚で、歴史認識と資本主義論の定礎対話問答を楽しんでいって下さい。一愛読者としての個人的興味としての再告知です。
7・13ルネサンス研究所 連続シンポジュウム(第3回) -グローバル資本主義の現状とゆくえ-
http://chikyuza.net/archives/54043
的場昭弘先生のレジメが掲載されていたと思ったのですが一度、引っ込めたのでしょうか?
講 演 : 的場昭弘
コメンテータ : 伊藤 誠
日 時 : 7月13日(月) 18時30分~21時(開場18時10分)
会 場 : 専修大学神田校舎 2号館106号教室
参加費 : 500円
連絡先 : 090-4592-2845(松田)
みなさん、誠実なるマルクス論へ是非、耳を傾けてください。
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