テント日誌7月16日…夏本番はこれからだが、戦争法案だって同じ
- 2015年 7月 19日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1405日商業用原発停止669日
心配で国会に向かう人が多い
台風のせいか朝から雨が降ったりやんだり。
とうとう戦争法案が衆議院を通ってしまった。
テントでは朝から国会前で何かやっていますか?と尋ねて来る人が絶えなかった。居てもたっても居られない様子で一人また一人と来て国会に向かって行った。訪れた人の情報で一時から抗議行動があると判り、以後訪れた人にはそのことをお伝えした。
しばらくして来た人の話しでは1000人位集まって実力で警察に鉄柵撤去させたという。みんな頑張っているのに聞く耳持たない議員たち、安倍だけが悪いのではない。それに追従する自民党・公明党の議員に絶望した。
テレビで見る彼らの顔がだんだん悪くなっているのは良心が咎めているせいではないかとさえ思える。
私は昨日土井敏邦監督のドキュメンタリー映画「記憶と生きる」を見てきた。
騙されて慰安婦にされたハルモニたちの話です。
出てくる人たちはもうこの世には居ない。
20年前に撮ったものを何故今?と聞かれるそうですが、
大阪市長・橋本の「慰安婦」問題発言だったそうです。
彼には被害女性の顔が見えていないと思った。
この映画では「『慰安婦』問題の解説」や「史実の検証」を目的としたものでは
ない。ハルモニたちの脳裏に深く刻まれた「慰安婦」体験とそれを引きずって生きてきた壮絶な戦後の半生、“人としての尊厳”を取り戻すためをあえて語った、その記憶を記録することを目指した。と監督は話しています。
テントに座りながら彼の本“記憶”と生きる 元「慰安婦」姜徳景の生涯を夢中で読んだ。安倍首相にちゃんと戦争の歴史・福島原発事故のことを学んで欲しいと思うばかりです。
もうひとつ不安なニュース。原子力規制委員会が伊方原発許可を出してしまった。県知事や町長は態度をはっきりさせてないが、これからの反対運動頑張らないと…
今日のテントにはいつもより多くの人が寄って下さり、カンパや差し入れをして下さって感謝です。(I・K)
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夏本番はこれからだが、戦争法案だって同じだよ
いつごろからだろうか。梅雨明けがはっきりしなくなったような気がする。雷さんが子供たちの臍をねらってゴロゴロと喉でも鳴らさないことには梅雨は明けない。それは分かっているのだが、各地では異常気象が続いていて、どこか変だなと思う。
そうこう言って頭を捻っていても、やがて夏本番がやってくる。地下鉄のメトロの広報紙で夏祭りならぬ花火のスケジュールを睨んで、思案中だが果たしてそんな気分になるか。国会周辺を反戦争法案祭りの場にしたらどうだろうか。国会周辺の人混みの中でそんなことが頭を掠めた。楽しみながら戦争法案反対の意思表示をする。誰かそんな企画でも練ってもらいたい。根負けせずに、運動をひろげながら持続して行くことを考えよう。テント前ひろばだって有効に使えるだろう。政府が国会をお幅延長したことは戦争法案の反対の輪をひろげ、中身を深めていい機会ではないか。
8月15日を中心に戦争についての反省、戦死者の追悼などが行われるのが例年の習わしだが、今年は戦争法案の是非をめぐる議論をそれに加えて暑い夏を一層、熱くしよう。熱中症には冷たい水分が必要だが、論議には熱い言葉が必要だ。自民党や与党は何に怖気ついているのか、議員たちの発言を規制している。言葉を失っているか、何を語っていいのか分からなくなっているのだろう。これは何よりも戦争法案は無効になっていることだ。
7月15日特別委員会での強行採決、16日は衆院本会議での与党だけの採決となった安保法案である。これは議論をする自信を失ったことだが、こんなことで戦争も命令なんてできるのか。ともかく、これで決着がついたわけでもなく、参院での審議も含めてこれからも議論は続く。この法案を提出した当初は与党これほど多くの国民的論議を呼ぶものとは思われなかったのかもしれないが、今や政界からが言論界、学会などに、そして政治的には無関心層とみられていた若者に議論は広がっている。これは今後、拡大の一途の感がする。
基本的なこととしていえば、戦争についての議論が過去からの事柄から未来からの事柄に変わったということである。これはこの法案を提出した政府与党の政治家たちは考え及ばなかったことかもしれないが、議論が政府与党の面々の期待するようには沈静化して行かない理由だ。例年の戦争についての反省や、戦死者追悼の行事などはどちらかといえば、過去の戦争と向かい会う色が濃かったが、今度の法案は今度の戦争法案は未来の戦争が現実味を帯び、それが現在にはね返ってくるようになってきている。この感覚というか、感じは議論の行方に大きく作用するように思える。簡単には収まらないに違いない。
安倍首相はこの法案の「国民の理解は進んでいない」ことを認めた。7月15日の国会答弁だ。正直いってこの法案は分かりつらい。これまで戦後の日本が国禁としてきた戦争(海外での戦争)を解くものであり、そのための法案であるといえばわかりやすいのかもしれない。集団的自衛権行使の容認とはそういうこととして受け取とるしかない。これが本当のところだ。わざわざ憲法解釈の変更を閣議決定までしてしたのだからそうなのである。
しかし、この法案の国会審議では、新聞やテレビの報道番組をみる限りのことだが、そうではない。「我が国の存立が根底から脅かされる事態に至った時」という解釈次第ではどうにでもなりそうな代物だが、今の情勢と関連づけられない。安全保障の環境が厳しくなる、というのは主観的な判断で明瞭ではない。政府の答弁ではアメリカの戦争に巻き込まれるとか、あらたな戦争のための法案ではなく、今までの自衛のための軍備の延長上に法案であるという。弁明のための弁明だ。むかしから「衣の下の鎧」とはよく言われることだが、そういうことは差し置いても分かりづらいのである。政府の答弁の範囲ならば何故に今、安保法制なのかという疑問も生まれる。その必然性はわからない。
戦争について認識や、それに対する対応を提起することは難しい事柄だ。僕はとにかく戦争には反対であり、それをやらねばならぬ必然性はない、ということでいいと思う。戦争には反対である。この根拠については長年考え続けてきたが、戦争は人間存在に反するものであり、存在と相いれないということでいいと考える。生命(命)という存在に反するのだ。戦争は存在そのものに反する反倫理的な存在なのだ、これは原発の問題と同じだ。ここを根底にして、戦争を必要と考える思想や論理に対していける。僕らの前にある戦争を肯定する思想、あるいは理念に反駁できる。それ以上に安倍や政府与党の面々には戦争についての哲学というか、信条のごときものがない。それが、議論の混迷の要因だと思う。
テントでの議論に原発とともに戦争のことが加わる。そんな季節だ。(三上治)
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作家の澤地久枝さんが参加を呼びかける、18日(土)午後1時にポスター(文字は金子兜太さん)を一斉に掲げる運動については伝わっているとおもいます。テントでもやるつもりです。下は参考に。
https://sites.google.com/site/hisaesawachi/
7月21日(火)テント裁判控訴審第二回弁論
渕上・正清の両氏が証言します。
13時:30分開廷(103号法廷)
いつの間にかテント裁判控訴審第二回弁論が近づいています。連休明けということもあり条件的には難しいのですが、是非、参加をお願いします。
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