再び「辺野古移設」の迷走を考える
- 2015年 11月 16日
- 評論・紹介・意見
- 池田龍夫
沖縄米軍普天間飛行場の辺野古移設問題は、いぜん迷走を続けている。改めて沖縄米軍の歴史的経緯を振り返って、考えてみたい。
橋本龍太郎首相時代の1996年4月に日米政府が普天間返還で合意。沖縄県が移設候補地の辺野古移設を1999年11月に決定したが、2004年8月、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落などがあって、20年余経っても打開の糸口が見えてこない。
沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐって、政府が申請していた埋め立て申請を、仲井真知事(当時)が承認したものの、その後の選挙で当選した翁長雄志知事、稲嶺進名護市長の移設反対が強まった。2012年の衆院選で再び自民党が与党となり、第2次安倍内閣が発足。政府は辺野古移設への手続きを進めるため、基地建設における公有水面埋め立て申請を沖縄県に提出したものの、国と県の主張は平行線のまま決着の見通しは依然立っていない。
普天間基地の周辺には、住宅や学校、病院などの公共施設も集中しており、「世界一危険な空港」と称されるほど。安全性を重視して、県外を含めて一刻も早い移設が望まれる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5773:151116〕
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