本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(106)
- 2015年 11月 26日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
金融界のパイピング現象
今回の「鬼怒川の堤防決壊」などで起きたことが、いわゆる「パイピング現象」だったと言われているが、このことは、「堤防の決壊が、最初に、内部から始まる現象」のことだそうである。つまり、水位が高くなり、圧力が高まると、最初に、堤防の底の部分に、「水漏れ現象」が起き、この結果として、堤防の内部崩壊が起きるようである。そして、その後、水位が、更に上昇した時に、「全面的な堤防決壊」に繋がるそうだが、この話を聞いた時に感じたことは、まさに、「現在の金融界で起きていることと、ほとんど同じ展開ではないか?」ということだった。
具体的には、「マネーの大膨張」が、「川の水位」に相当し、現在では、「大きな圧力が、世界の金融システムを圧迫している状態」とも考えられるのである。そして、この時に、「量的緩和」などにより、「金融界の堤防」が、高く積み上げられていることも理解できるようだが、実際には、それ以上の資金が、世界各国の中央銀行などにより、世界の金融市場に投入され続けているのである。
別の言葉では、「通貨の堕落」とも言える「リフレーション(通貨膨張)政策」が、世界的に実施されており、このことは、「通貨の根本である信用」が、根底から失われている状況を意味しているのである。その結果として、最近では、「ギリシャの債務不履行」のように、「弱い部分から、崩壊が始まっている段階」とも考えられるが、このことが、「金融界のパイピング現象」であり、実際には、「蟻の一穴」のように、すでに、「金融界の堤防に、穴が開いている状況」とも考えられるようである。
しかも、現在では、「先進各国での内部分裂」が始まっている可能性もあるようだが、実際には、「国民と政治家との確執」であり、具体的には、今回の「安保法案」のように、「国民の意見を無視して、強行採決した状況」のことである。つまり、「本当の崩壊は、外部からの圧力よりも、内部分裂によることが多い」という「歴史の教訓」が、今回も当てはまるようにも感じているが、今後の問題は、「マネー大膨張の水位が、実際に、堤防を越えてきた段階」だと考えている。
具体的には、「金利上昇」のことだが、この時に予想されることは、「日銀」を始めとして、世界各国の中央銀行が、資金繰りに行き詰る状況であり、その結果として、世界的な「紙幣の大増刷」が始まるものと思われるが、この点については、「1991年のソ連」と、ほとんど似たような状態となっているようである。(2015.10.25)
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人生のジグソーパズル
「禅」の世界では、「四十、五十は、洟(はな)垂れ小僧、六十歳で一人前になる」という考え方があるそうだが、この観点からは、「還暦」をすぎた私自身も、ようやく、一人前の状態になったようである。そして、現在、感じていることは、「人生は、ジグソーパズルのようなものではないか?」ということだが、具体的には、「歳を重ねると、いろいろなことが見えてくるのではないか?」、あるいは、「今までの人生は、全て、意味があったのではないか?」ということである。
別の言葉では、60歳までの人生は、すべて、「天地自然の理」との「戦い」だったようにも感じているが、実際には、「人智」という「既存の学問や常識」などに囚われすぎていたために、「なぜ、いろいろと理不尽な事件が起こるのか?」が理解できなかったようにも思われるのである。つまり、「マネーの大膨張」を始めとして、「バブル発生や崩壊」、あるいは、「9・11事件」や「3・11の大震災」など、既存の常識では考えられなかったような事態が、過去数十年間で、数多く発生したのである。
そのために、時には、「神も仏もあるものか?」と考えがちになり、実際に、何度も、「神や仏が存在するならば、これほどまでの苦難は、必要が無かったのではないか?」と自問自答してきたのである。しかし、還暦を過ぎた頃から、この考えが、徐々に変化し、現在では、「全ては天の計らいだったのではないか?」、また、「自分の人生で起きたことは、全てが、ベストだったのではないか?」と考えるようになったのである。
つまり、「人生の目的」は、結局のところ、「魂の成長」にあり、「人生で起こることは、全てが、この目的に必要なことだったのではないか?」とも感じているが、実際には、さまざまな難問や苦悩を経験したことにより、「社会や歴史の全体像」が、徐々に、見え始めてきたようにも感じている。別の言葉では、「日々の出来事」の全てが、「ジグソーパズルの一片」だったようにも思われるが、この観点からは、「全ての艱難辛苦」が、実際には、「喜び」だった可能性も存在するようである。
そして、今後は、「天や神が、これから、どのようなドラマを見せてくれるのか」、また、「その時に、自分や人類が、どのような成長を遂げるのか?」を楽しみにしながら、人生を送ることができるようにも感じている。つまり、「5次元の経済学」では、「自分の宝物」が、基本的に、「人生で経験した事」だけとも言えるために、「あの世に帰った時に、どれほどの宝物を持っているのか?」が、根本的な価値観とも考えられるのである。(2015.10.26)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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