周回遅れの読書報告(その14)
- 2011年 1月 16日
- 評論・紹介・意見
- 脇野町善造
まだフルタイムで働いていたある時期、給料は出るが、仕事も部下もなく、日中は新聞か本を読むか以外にすることがないという奇妙な経験をした。時間的余裕がある割にはたいしたものを読んだわけではなかったが、本屋にはよく行き、現実には読めもしない本も含めて、「今ならこれも読めるかもしれない」と思い込んで、様々な本を手に入れた。
そういうときにはいい本屋も見つかるものである。古本屋には個性的な店主が多く、品揃えも千差万別であるが、新刊書店はどこもいわゆる「売れ筋」を中心とした画一的な店構えになりがちである。しかし私は、この時に、後にも先にも出会ったことのない奇妙な新刊書店を知った。紙が変色してしまったような古い「新刊書」(一度も読者の手に渡ったことがないという意味での)がごろごろ置いてある。なかには20年ほども前に出たきりという本もあった。岩波書店とかみすず書房とか、出版社の一部には買い切り制をとっているものも例外的にあるが、多くは返品が可能で、そのために店頭に置いてある期間が極めて短くなることになる。ところがこの本屋には発行からとんでもないほど年月が経過した「新刊書」も置いてある。店員に確かめたわけではないが、返品可能な本も含めて、一旦送られてきた本は一切返さない方針ではないかと思った(その他にも奇妙なことがあったが、ここでは触れない。本屋の場所も名前も今は控えることにしたい)。
この本(『株とは何か』)もそういう方針の結果、店頭に置かれていたのであろう。奥付を見ると1994年の第5刷である(初刷は1992年)。それを2004年の4月にこの奇妙な本屋で見つけて買ってきた。しかしそれから6年間、今度は私の本箱の片隅でこの本は眠ることになった。株式市場の技術革新は速いし、経済のグローバル化の波が最も激しく打ち寄せる場所のひとつでもある。これだけ間があくと、書かれたことのなかには、もう今の時代にはいえないことも随分とある。また、20年ほどの前のことなのに、すっかり忘れられたこともある(例えば、金融取引におけるグリーンカードの導入構想とその放棄)。
しかしそういう時代の制約を超えて、この本は経済を見る視点を教えてくれるように思う。近代経済学者と並んで、マルクス経済学者(大内秀明や吉冨勝)が「個人投資家の時代と法人投資家の時代の違いを知らない」理論家として批判される。経済は古びた本の中に眠っているのではなく、今を生きる人々の欲望と権力者の思惑がせめぎ合う中で動き回っている。経済を見るためにはその「現場」から目をそらしてはならないのである。そのことを「現場」で生きてきた筆者は、平易かつ明快な言葉で語っている。
あまり人を褒めることのなかった森嶋通夫がどこかで(それがどこだったかを思い出すことができない)、奥村宏を高く評価していた。理論家・森嶋は、「現場」に這いつくばって経済を見続けた奥村を、ある種の羨望感を持ってみていたのではないか。奥村の仕事のすごさはこの本からも分かる(「奥村は日経新聞しか読んでいない」というのはウソであることも、本書を読めば簡単に分かる)。
奥村宏『〔改定版〕株とは何か』(朝日文庫、1992年)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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