95/1/16阪神大震災は日本人への警告
- 2011年 1月 17日
- 交流の広場
- たんぽぽ舎原発柳田真阪神淡路大震災
1995年1月16日の阪神大震災は、日本人への警告
◆地震で原発が危ない、原発惨事を予防せよ、と
柳田 真
(1)1995年の1月と12月に二つの大きな災害
今をさる15年前=1995年は、日本列島の将来に大きな警告を発した年であった、
のではないか、としきりに思う。それは1月と12月に起きた二つの大きな出来事、
1月16日の阪神・淡路大震災(兵庫県西部地震、マグニチュード7.3)と12月8日
のニセ・高速「増殖」炉「もんじゅ」原発のナトリウム洩れ大事故の発生である。
(2)阪神淡路大震災(6000人強の死者)は、“日本が地震列島であること”を
太平になれた日本人に再確認させた。同時に、日本列島が「50年間の地震平穏期」
から地震活発期へ移ろいつつあることも示した。東海地震の提唱者=神戸大名誉
教授 石橋直彦氏曰く。日本列島は地震活動期に入った。原発が危ない、「原発
震災」を防げ。緊急で第一級の国家的課題だ、と。新しい単語=原発震災は以降、
心ある市民によって、日本の原発を止めよう運動の1つの大きなスローガン、目
標となり、運動関係者を激励督促し続けている。
(3)1995年12月8日、福井県敦賀市の半島の先端にある特殊原子炉「もんじゅ」
が、ナトリウム爆発を起こした。主管する動燃のウソは有名になり、「うそつき
動燃」の名が広まった。(現在は、原研と合併し、日本原子力研究開発機構とい
う11文字の名になっている。略称は、原子力機構)この事故の調査を命じられた
動燃職員西村成生氏は「謎の死」を遂げた。遺族の西村トシ子さんは、「夫は、
殺された」として、もんじゅ西村裁判を起こし闘い続けている。たんぽぽ舎も応
援する会に参加し協力している。
「もんじゅ」は、事故後の14年半後=2010年5月に多くの反対の声を押し切って
強行再開したが、再開以降、トラブル続き、故障警報なりやまずであったが、遂
に、8月に12メートルの長さで、重さ3.3トンという大重量物を原子炉内へ落下
させてしまうという、大変な事故を起こした。原因は東芝の設計ミスという(14
年前も東芝のミス)「落下物を引き上げることはできる」と楽観論を豪語してい
た原子力機構だが、20数回やってみていずれも失敗、「今後の対策が立たず」と
いう惨状である。(強引にフタごと取り外す大がかりな工事を計画しているが、
これは、超危険で惨事と紙一重になることが指摘されている)
(4)15年前の二つの事故、1月の中型の地震と12月の「もんじゅ」原発事故は
日本人に大きな警告を与えた重大な「できごと」だと思う。それは、日本人に地
震列島の日本をあらためて想起しなさい、安逸に流れずに地震対策を全力で進め
て人命を守れ、と。又、地震大国日本で原発はあまりにも危険だ。一刻も早く危
険な原発はやめなさい。原発がなくても電気は足りる。電気は、別の方法=水力、
火力、再生エネルギーで十分作れる。それにプラスして節電すれば可能だと。天
が日本人へ与えた「最後の警告」ではないのか!!
(5)15年前の二つの警告は、私たち原発廃止をめざす運動に多くの根拠と確信
を与えた。私たちは、より多くの人々と協力して、地震研究会や「もんじゅ研究
会」(核開発に反対する会)等を造り、従来に数倍する人々と共に、日本原発の
廃止に向けて運動を強化してきた。私たちと多くの人の協力プラスαで、東海地
震が心配される浜岡原発1号機、2号機の廃止は実現したが、それ以外では、大
きな前進は勝ち取れていない。民主党政権は逆に、自民党、公明党政権でも「自
制」してやらなかった原発輸出(放射能輸出)をガンガン取り組んで、原発惨事、
核(原爆)拡散に協力している。大変残念な事態が進行している日本の反原発運
動は有効にこれを批判できていない。1995年の日本人への「最後の警告」が生か
されていない。
今後、心配される地震-原発大惨事-日本滅亡を避けるため、私たちは全力を
尽くしたい。
その1つとして、原発反対自治体議員連盟(準備会)が、1月28日に生まれる。
“希望の芽”を共に育てて行こう!
(2011年1月16日 記)
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