ポルトガル外交官のボスニア・ヘルツェゴヴィナ多民族戦争回避努力
- 2016年 1月 9日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
セルビアの日刊紙『ポリティカ』(2015年12月12日)に私にとって見過ごせない記事がのっていた。ポルトガルの外交官ジョゼ・クティリェロが旧ユーゴスラヴィア戦争犯罪ハーグ国際法廷でラトコ・ムラディチ裁判において最近行った証言に関する記事である。ラトコ・ムラディチは、1992年4月-1995年11月にたたかわれたBiH(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)戦争におけるセルビア人共和国(音でスルブスカ共和国とも訳される)軍の最高司令官であった。
ポルトガル外交官は、ヨーロッパ共同体ECとカリントン卿の一任の下に三交戦者、すなわちBiHセルビア人、BiHムスリム人(=ボシャニク人)、そしてBiHクロアチア人の代表達と交渉して一つの和平計画を練り上げた。1992年2月23日リスボンにおいてこのBiH国家連合案が三当事者、すなわちムスリム人代表アリヤ・イゼトベコヴィチ、セルビア人代表ラドヴァン・カラジチ、クロアチア人代表マテ・ボバンによって合意された。そして3月18日に三者が署名した。それによれば、ムスリム人領域はBiH領土の44%、55オプシティナ(地方自治体)となる。セルビア人は44%で37オプシティナ。クロアチア人は12%で20オプシティナ。
ここで、当時の私=岩田の記憶を引き出せば、クロアチア人側のメディアはこの案に大喜びしており、「我々の大勝利だ。」と言った感じであった。セルビア人側にはかなりの不満が残った。何故ならば、クティリェロ案ではセルビア人主導の諸オプシティナがすべて連結していたわけではなかったからだ。ムスリム人側の不満は原理的なものだった。何故なら、彼等は全BiHの国家的一体性を主張していた。セルビア人支配地域とか、クロアチア人支配地域とかが法制度化される事にBiH内最大多数派民族として我慢出来なかった。この点、旧ユーゴスラビア維持にこだわったセルビア共和国のBiH内縮小版であったと言ってよかろう。
署名後数日たって、肝腎要の最大多数派ムスリム人代表アリヤ・イゼトベゴヴィチが署名を撤回してしまった。かくして、ボスニア内戦は不可避となり、3年有半後アメリカ主導のデイトン(オハイオ州)合意まで兄弟殺しの悲劇が続くことになる。オハイオ州の米軍基地における合意の署名者は、セルビア共和国大統領のスロボダン・ミロシェヴィチ、クロアチア共和国大統領のフラニョ・トゥジマン、そしてBiHムスリム(ボシャニク)人代表のアリヤ ・イゼトベゴヴィチであった。岩田の私見によれば、ここでイゼトベゴヴィチの面目が保たれた。BiHのセルビア人やクロアチア人の後見役であるセルビア共和国やクロアチア共和国の大統領と同格にあつかわれたからである。
デイトン合意によるセルビア人共和国の領域はBiHの49%であり、クティリェロによるリスボン合意(戦前)より5ポイント大きい。BiH連邦(1994年アメリカがムスリム人とクロアチア人の戦争を停止させ、両民族に創建させたBiH内の連邦)は51%であり、戦前より5ポイント小さい。
クティリェロは証言する。「全当事者が諸原則(リスボン合意の、岩田)を受け容れてしばらくして、イゼトベゴヴィチ大統領がボスニアの諸メディアへの諸発言で自分の同意を公然と否認していると私の所へ伝わって来た。ボスニア政府がそれら諸原則を公式に打ち捨てたのは1992年6月であった。」
クティリェロによれば、イゼトベゴヴィチによる署名の撤回はアメリカの外交官達がそのように勧告したからである。当時の駐ポルトガル・アメリカ大使がそれに関する文書をクティリェロに提示した、とクティリェロは語る。
避戦の最終策をアメリカ外交に支持されたイゼトベゴヴィチによって反故にされたEC交渉人ポルトガル外交官のイゼトベゴヴィチ評は当然厳しい、あるいは厳しすぎるかも知れない。「彼は嘘吐で、信用できない。」「三当事者すべてが嘘をついていた。しかしセルビア人の嘘が最も少なかった。」
1992年5月27日、サライェヴォのヴァサ・ミスキン通り、パン屋前の行列に砲弾が打ち込まれ、市民26人が殺された。セルビア人軍の仕業とされる事が多いこの事件に関しても、クティリェロは、事件調査委員会に参加していたUNPROFOR(国連保護軍)・ポルトガル人将校はムスリム人軍陣地のある地域からこの砲弾が発射されたと信じていると彼に伝えたと語っている。ここで私=岩田の蛇足の一言。当時、私がベオグラードの日本大使館の駐在武官に意見を求めた所、あれは砲弾の爆発ではなく、指向性地雷だと思うと語っていた。誰があそこに地雷を置けたか、自明である。
私=岩田は、この『ポリティカ』紙の記事の見出し「名望ある外交官、イゼトベゴヴィチを戦争の悲劇に責ありと非難する」のようにムスリム人=ボシニャク人指導者を弾劾する気になれない。三民族間の歴史ある葛藤の渦中で苦闘する者達にとって、外部諸勢力の支持を調達する為に虚言や虚報を武器として活用する事に不思議は無い。不思議なのは、三方面からのそれぞれ異なる大量の虚言や虚報を慎重に突き合わせ、照らし合わせ、核の事実を突き止める努力をするよりは、自分達のいだく近代文明的普遍的価値・人権論的価値の文言のみに従ってある特定の虚言や虚報を真に受けてしまい、三民族の一つを虐殺民族として糾弾し続けた北米・西欧・日本の市民社会における中道リベラルや左派リベラルの知性の構えである。
平成28年1月8日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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