強制否認の持論を政略的に開閉する安倍首相(中)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(6)~
- 2016年 1月 28日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年1月26日
強制否認論は実証的に破綻している
私から言えば、河野談話は「慰安婦」集めの段階でも一部に強制といえるものがあったと記しているが、実態に照らせば、極めて控えめな認定である。甘言・強圧に加え、安倍首相が言う狭義の強制連行(官憲による物理的拘束を含めた徴集)、それらに日本政府が深く加担もしくは主導していた事実を裏付けるおびただしい資料が明らかにされている。ここでそれらを逐一紹介するのは不可能なので、該当資料をリストアップした小林久氏作成の資料を紹介しておく。
小林久公「公文書で明らかにする日本軍『慰安所』制度の違法性」
http://www.news-pj.net/siryou/ianfu/pdf/20131017.pdf
この中で小林氏は、「慰安所」制度が、軍と政府による組織的、体系的なものであったことを示す文書として9点を挙げている。そのうち、「支那渡航婦女の取扱に関する件」(1938〔昭和13〕年2月23日、第5号警保局長通達、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938〔昭和13〕年3月4日、陸軍省通達、「慰安婦規則」の3点は河野談話発表前に政府が収集していた文書である。また、それ以外も内務大臣決裁書、閣議決定文書(1940〔昭和15〕年5月7日)、警察庁関係公表資料や外交史料館、防衛省関係資料に含まれるものである。
このうち、小林氏が⑨⑩として挙げた「支那渡航婦女の取扱に関する件」(1938〔昭和13〕年2月23日、第5号警保局長通達、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938〔昭和13〕年3月4日とは、南支那方面の日本軍からの要請を受けて、醜業(慰安)婦とする女性400名を極秘に、しかし「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取り運び之を選定する」よう、国内5府県の知事に命じた内務省警保局長の通牒である。
安倍首相が、このような河野談話公表の時点ですでに政府が把握していた資料さえ伏せて、強制連行を裏付ける資料は見当たらなかったというのは偽りの答弁である。
さらに小林氏は、「慰安所」制度が強制によって行われたことを裏付ける資料として、⑯東京裁判に提出された証拠と起訴状、判決文(国立公文書館、国立国会図書館所蔵)⑰バタビアの慰安所事件裁判の起訴状と判決文(国立公文書館、BC級〔オランダ裁判関係〕バタビア裁判・第5号、第69号、第106号)を挙げている。
このうち、⑯について言うと、1999年に法務省から国立公文書館に移管された東京裁判関係文書の中には当時の日本軍や官憲が被害女性を慰安婦として強制的に連行したことを証する日本陸軍中尉の宣誓陳述書や被害女性の証言記録が数多く残されている。例えば、書証番号353には中国桂林での事案として「工場ノ設立ヲ宣伝シ四方ヨリ女工ヲ招致シ、麗澤門外ニ連レテ行キ強迫シテ妓女トシテ獣ノ如キ軍隊ノ淫楽ニ供シタ」との記載がある。
また、(財)女性基金がまとめた『「慰安婦」問題調査報告書』(1999年)に収録された倉沢愛子「インドネシアにおける慰安婦調査報告」によると、日本軍の特定の部隊が女性を集めて利用した私設の慰安所の場合は、「村から町に働きに出ている女性が帰り道を襲わるというようなケース、あるいは、両親が仕事で出掛けていて1人で留守番をしている間にさらわれるというようなケース」など、軍人が直接手を出して連行したというケースが多かったようだと記している。
では、朝鮮半島ではどうだったか? 同じく女性基金が収集した韓国の元慰安婦から聞き取った証言によると、ある女性は「7歳になった1938年秋のある日・・・・突然、日本の官憲が家に来て刀で脅かしトラックに乗るよう強制。・・・・父が止めたが聞き入れられずトラックの荷台に放り込まれ、栄山浦(ヨンサンポ)への道すがらあちこちで娘狩りをし、40人にもなった。」天津駅前につくと1,000人以上の若い女性が集められ、15人ずつに分けられてトラックで3里ほど運ばれた前線部隊ではむしろで仕切られた部屋で兵隊の相手を強制された。最初は逃げようとしたが、各部屋から殴打される悲鳴が響く地獄のような状況で2名が首つり自殺をしたことを後で知ったという。(以上、『アジア女性基金ニュース』No.26, 2005年10月、9ページ)
また、小林氏が挙げた⑰は小林氏が事務局長を務める「強制動員真相究明ネットワーク」の公開請求を受け、2013年10月に国立公文書館が開示したものである。
http://livedoor.blogimg.jp/woodgate1313-sakaiappeal/imgs/5/c/5cc3c82c.jpg
(「神奈川新聞」2013年10月7日)
こうした数々の資料に照らせば、安倍首相が言う狭義の強制も含め、強制的な「慰安婦」徴集がアジアの各地で行われたことは動かしがたい事実であり、なんとしても強制徴集の事実を否定しようとする安倍首相の執念は証拠によって破綻している。
強制広狭論は法的にも破綻している
と同時に、ここで指摘しておく必要があるのは、「広義の強制募集」―――甘言、目的を偽った誘引などで慰安所に連れて行かれ、性行為を強要されたケースは、家に上がり込んだ官憲に人さらいのように連れていかれた「狭義の強制募集」よりも罪としては軽いかのように言い募る安倍首相の発言が法的にも破綻しているという点である。
すでに、幾人かの専門家が指摘しているように、当時の刑法でも第33章の「略取及び誘拐の罪」の第226条の「国外移送目的略奪罪」「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」が定められ、帝国外に移送する目的で人を略取または誘拐した者等には2年以上の有期懲役に処すとされている。
現に、1937年3月5日の大審院判決は、1932年に海軍慰安所で働かせる目的を「女給」とか「女中」と偽って徴集し、上海に連れて行った事件で、業者他関係者10名を就労詐欺、誘拐と認定し、有罪(国外移送罪)とする判決を下している。
(この事件については、林博史・俵義文・渡辺美奈『「村山・河野談話」見直しの錯誤 歴史認識と「慰安婦」をめぐって』かもがわ出版、2013年、で解説がされている。)
こうしてみると、安倍首相が固執する「強制の広狭論」は法的にも明白に破綻しているのである。
記憶の継承ではなく封印に執着する安倍首相
歴代首相等の「お詫び」と対比して、今回の安倍首相の「お詫び」に欠落しているのは、歴史教育等を通じて「慰安婦」問題を将来の世代に伝える記憶の継承責任である。
例えば、河野談話では、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」として、忌まわしい史実を歴史の教訓として将来世代へ伝承していく決意を表明した。
「女性基金」設立にあたって歴代の首相が連名で元「慰安婦」宛に送った手紙でも、「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」と後世への継承責任を謳っていた。
さらに、橋本龍太郎首相は1997年3月12日の参議院予算委員会における答弁の中で、「私は慰安婦問題というものが女性の名誉と尊厳を傷つけるこの上ないものであるということについてはどなたも認識は同じだと思います。その上で、私なりに申し上げさせていただきますならば、私どもは歴史の重みというものは常に背負っていかなければなりません。そして、その中でまた次の世代に伝えていくべき責任というものもあると思います」と、次世代への伝承責任を語った。
さらに橋本首相は1996年6月23日、サッカーワールドアップで韓国を訪問した折に行った金泳三大統領との共同記者会見の中で、1965年の日韓条約の署名が行われた後に日本の学生たちを連れて韓国を訪ね、野党議員や学生たちと対話した時の回顧談として、「我々が教育の中で学ばなかった長い両国の歴史の不幸な部分を現実に触れる、そして教えられる機会を持ちました。例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります。私は総理に就任して以来、繰り返して、過去の重みからも、未来への責任からも、我々は逃げることは出来ないということを繰り返し申し述べてきました」と発言している。
これらの発言がその後の各氏の政治活動にどう反映されたかは別途、議論があるにせよ、安倍首相の「お詫び」にはこうした歴史の継承責任に言及した発言は一切ない。それどころか、70年談話でも記されたように、将来の世代にこれ以上、謝罪を繰り返えさせない、被害国への謝罪を自分の手で打ち止めにすることを政治家としての使命感とすらしているのである。
現に、2016年度から中学校で使われる教科書の検定結果では「慰安婦」問題を記述したのは、現場の教員などが中心となって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した「学び舎」の申請本だけになった。それもいったんは不合格となったところを不本意ながらも「訂正」の末の合格だった。その際、新たに「日本軍や官憲による強制連行を直接指示する資料は発見されていない」という記述が追加された上の合格だった。
また、高校の公民科用に数研出版が申請した3点の教科書から、「従軍慰安婦」という言葉が削除されることになった。例えば、原本では、「強制連行された人々や『従軍慰安婦』らによる訴訟が続いている」という記述は、「国や企業に対して謝罪の要求や補償を求める訴訟が起こされた」と改めた上で合格となった。
こうした記述の変更が起こった背景には2014年1月17日付けでなされた「高等学校教科用検定基準」の改正がある。具体的には、地理歴史科の中に、
「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」
という規定が加わったのである。
こうなると教科書執筆者は、「従軍慰安婦」について、時の閣議や国会での政府答弁で、「日本軍や官憲が慰安婦を強制連行するよう直接指示した資料は発見されていない」という見解を示したら、その枠内でしか記述できないことになってしまうか、検定不合格を恐れて「慰安婦問題」は封印するという自粛が蔓延してしまうのである。
このような安倍政権下での教科書検定方針は国定教科書への逆行を意味すると同時に、未来の世代に歴史の教訓を継承すると語った歴代自民党政権の言明にも逆行する、被害国への道義的背信行為と言わなければならない。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3253:160128〕
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