リビアに戻った欧米 欧米の狙いは、IS過激派?アフリカ移民?石油?
- 2016年 4月 25日
- 評論・紹介・意見
- リビア平田伊都子
「(大統領任期中)最悪の間違いは、2011年にリビアのムアンマル・カダフィを抹殺したことだ」と、アメリカ大統領オバマは2016年4月9日にフォックス・ニュースのインタヴューで、懺悔しました。 さすがオバマと、えらく感心しましたが、早とちりでした。 その後突然、イタリア、フランス、ドイツなどヨーロッパ諸国の外務大臣たちがリビア詣でに殺到しました。 2014年来閉鎖していた各国の駐リビア大使館も再開させました。
オバマの懺悔は、さらなるリビア侵略への布石だったんだ!
リビア・ミスラータでインタヴューをした時のカダフィには髭がなかった。
(1) 滅茶苦茶にされたトリポリ、ベンガジ、ミスラータ:
2016年4月18日、英国TV・BBCが 「イギリス外務大臣フィリップ・ハモンドが、2011年来初めて、しかも突然リビアを訪問した。そこで彼は、UNが後ろ盾だという(看板を下げた)新政権に10,000,000、ポンドの支援を表明した」と、報じた。イギリス外務大臣の降り立った空港はトリポリ軍事空港(元米軍基地)だ。リビア国際空港は戦闘で破壊されたまま、未だに修復されていない。
イギリス外務大臣訪問をフォローするBBCのレポーターたちは、カダフィ時代に活躍していたジェレミー・ボエンとかオーラ・ゲリンといったリビア通のベテランたちだ。彼らが案内してくれる首都トリポリは焼焦げだらけの廃墟、マグロの水揚げ港と神戸製鋼があったミスラータでは、どこに所属するのか分からない戦車が横行している。戦闘中のベンガジには入れないようだし、トブルク政府の拠点があるトブルクにも行っていない。
BBC・TVによると現在のリビアには、政府が2つ、軍隊は200~300あるそうだ。
4月に入って、国連後ろ盾のリビア連合政府が声を上げ、アメリカ傀儡の軍人、ハリファ・ハフラーが新首相としてトリポリ港に上陸した。オバマはリビア人を殺し、リビアの街々を焼き尽くした責任を取らないのか? 弁償するどころか、新たに軍人を送り込んでリビアを軍事支配しようとしているのではないだろうか??
(2) カダフィが生まれたシルト、そして殺されたシルト:
国連のお墨付きを貼ったリビアの連合政府は「2015年、地中海沿岸のシルトに、ISイスラム過激派が要塞を築いた。シルトを拠点にリビアの三分の二を支配している」と、発表した。また、アフリコム(アメリカ・アフリカ司令軍)のデヴィッド・ロドリゲス将軍は、「ISイスラム過激派の戦闘員は、4,000~6,000人に増えた」と、言及した。
さらに欧米諸国は、このリビア連合政府に<ソフィア作戦>を認めるようにと命令している。
<ソフィア作戦>とは、アフリカ移民が<リビア沿岸から船出して地中海を渡りヨーロッパ沿岸に着く船旅>を阻止する作戦だ。リビア領海内で移民船の航行を止めようとする<海上侵犯>で、リビア政府の許可がないと国際法に触れる。欧米は、アフリカ移民の阻止を名目に、リビア領海の制圧権を握ろうとしている。シリア難民の欧州流出から目をそらそうと、欧米のメデイアはアフリカ移民の悲惨さと人数の多さを誇大宣伝している。しかし、その心は、リビアの石油とその運搬航路を確保する、<陸海空リビアまるごと乗っ取り作戦>だと推測できる。
「欧米のリビア再上陸の目的は、①ISイスラム過激派阻止、➁アフリカ移民阻止、この2点だ」と、イギリス外務大臣は明言しているのだ。
(3) 欧米ご推薦の軍人新首相とはどんな人?:
軍人ハリファ・ハフラーは1943年にリビア東部のアジュダビアで生まれた。1969
年にカダフィが革命を起こした時から、カダフィ軍の兵士として働いていた。リビアVSチャド戦争の時、捕虜になったが、1990年頃にアメリカCIAの介入で300人の部下と共に釈放されアメリカ難民計画に組み込まれてアメリカに渡る。1993年にはアメリカ国籍を貰い2007年までアメリカに住み、以降、ウィーンのラングレイにあるCIAで訓練を受けていた。2011年のカダフィ政権殲滅作戦の時には、反乱軍の副司令官を務めた。いまや<将軍>の肩書を手に入れた、根っから軍人だ。
そして、2016年4月の初め、ハリファは部下を引き連れ、欧米の支援を受けてチ
ュニジアからトリポリ軍港に、リビア新首相として上陸した。
(4)カダフィの子供たち:
カダフィの子供たちはどうなったのか? 年令の順に、その消息を探ってみる。
① ムハンマド:元オリンピック委員長、先妻の息子
➁ サイフ・アル・イスラーム(1972生まれ):2011年11月19日サブハ近郊で逮捕され、ジンタンで拘束されている。2015年7月28日、欠席裁判で死刑宣告を受ける。
③ アッサーアデイー(1973生まれ):2011年9月11日、ニジェールに亡命したが、その後、リビアに引き渡された。サッカー選手で、イタリアのペルージャ等でプレイ。
④ ハンニバル:2015年12月10日、レバノン人の妻アリーネさんを訪ねようとして、シーア派政党アマルに誘拐されたが、すぐに釈放された。ビジネスマンで金持ち。
⑤ アイシャ :長女、弁護士でフセイン・イラク大統領国際弁護団の一員だった。
⑥ ムッタシム・ピッラーフ:2011年10月.20日、父と共に殺害される。
⑦ サイフ・アルアラブ:1011年4月30日、NATOの空爆で死亡。
⑧ ハミース :2011年8月29日、戦死。ハミース旅団司令官だった。
2012年にカダフィ夫人サフィーヤ、長男ムハンマド、4男ハン二バル、長女アイシャはオマーンに亡命を申請しました。 2013年に4人は亡命を受け入れてもらいました。 死刑判決を受けた次男のサイフと、3男サーアデイーの救出は?、、難しそうです。
弁護士のアイシャさん、フセイン国際弁護団の経験を生かして兄貴たちの命を救うことを考えてください。 欧米の方が、よっぽど悪人ですよね??
文:平田伊都子 ジャーナリスト、 写真:川名生十 カメラマン
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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