『レーニンへ帰れ』出版
- 2016年 7月 24日
- 交流の広場
- 中野@貴州
中野@貴州です。
やっと『レーニンへ帰れ』が出版されました。オオカミ少年のように何度も「出るぞ。出るぞ」と言って、その都度肩すかし―申し訳ありませんでした。もう手にされた方もいらっしゃるかもしれませんね。ご購読ありがとうございます。また、『情況』6・7月号では、この『レーニンへ帰れ』と「ヘーゲル」の特集を組んでいます。これも手にされた方がいらっしゃるでしょう。
さて、その『レーニンへ帰れ』特集の中には、稲葉守先生の同著に対する書評論文が掲載されています。これがもう手厳しい批判でした。何しろ「これは啓蒙書であって学術研究の著作ではない」と言うのですから。「既存の事実だけが書いてあり、著者のオリジナリティは見られない」そうなのです。さらに―上記の稲葉氏の見解と矛盾するように見えますが―著者独自の見解である「他者性の鏡像理論から革命的な実践的客観的弁証法へ」というレーニンの「変身譚」にも賛成できないとも言っています。
私は訳者であり著者張一兵氏の代理人ではけっしてありませんが、ここまで言われると、関係者として「出しゃばり」と言われるのを覚悟で、一言言いたくなりました。
まず、「啓蒙書ウンヌン」の件ですが、稲葉氏自身が著者にオリジナリティがあること―レーニンの「変身」という解釈―を認めているではありませんか。もちろん、これが真の意味での「オリジナリティ」であるかどうかは別の問題です。それは読者が判断することです。
次に、レーニンの「変身譚」の件ですが、稲葉氏はレーニンの「変身」を認めないそうです。つまり、『唯物論と経験批判論』と『ベルンノート』とは基本的に同じ立場・同じ思想に立って書かれたと言うのです。稲葉氏は次のように言っています―マルクス主義的唯物論(稲葉氏は「弁証法的唯物論」と称しています)と言えども、旧来の唯物論(自然の先行性を主張する立場)を土台にしている。『唯物論と経験批判論』はもっぱらこの土台の面について書かれた著作なのであるから、それ以上の事柄(弁証法的方法など)を対象とした『ベルンノート』と比較するのはおかしい―と。
こうした主張、どこかで聞いたことはありませんか?そうですね。「偉大なるレーニンの戦友、鋼鉄の人」の御詔勅です。もはや批判する気にもなりません。
追伸:9月に『レーニンへ帰れ』出版記念講演会が東京と京都で開催されます。南京からは張一兵氏一行、この貴州のド田舎からはこのわたくしめも参加します。詳しい話はまたお知らせします。
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