「東京から逃げろ」?「日本は滅びる」?―真価が問われるネットでの発信
- 2011年 3月 17日
- 時代をみる
- 安東次郎
原発震災が現実のものとなった。
それがもたらす災禍が過酷なものとなることも、覚悟しておいたほうがよいだろう。
しかし、現在ネットで流通している「言説」の一部に対して、私は違和感をもつ。
たとえば、まるで「東京から逃げ出せ」と言わんばかりの言説。またたとえば「高い確率で日本は滅びる」という言説。
たしかに、何人かの人が「逃げる」のは、合理的かもしれない。しかし首都圏の人間が大挙してどうやって「逃げる」のか?何処に「逃げられる」のか?
「個人にとって合理的な行動」と「全体にとって合理的な行動」は違う。「ネット」という開かれた空間で、「全体にとって極めて不合理な行動」を『扇動』して、どうするのだろう?狼狽しているのか?
これは『高い確率で日本は滅びる』という言説も同様だ。確かにそうかもしれない。しかし飢え震えながら救援を待っている人たちがいる時、それを助けるために不眠不休でたたかっている人たちがいる時、温かいところにいる人が、そんなことを言っていて、いったいどうしろというのか?
「原発によって日本人は絶滅するかもしれない」という指摘は、「原発震災」がおこる前なら、極めて有益な指摘だ。しかし「原発震災」が現実となったいま、「それ見ろ、俺のいった通り、日本人は絶滅するだろ」ということを、日本語でかつ不特定多数を相手に書く――つまり「日本人」にむかって書く――のは、ナンセンスだ。
「原発震災」にたいして「日本人」は、すくなくも当面「団結」するしかない。多くの人たちが危険を冒して、それに立ち向かうしかない。そして現に多くの人たちが立ち向かっている。
私たちは手ひどい敗北を喫するかもしれない。しかし負け戦にも「負け方」というものがある。
いまは後方にいる「われわれ」にも、それなりの『美意識』というものがあってもよいのではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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