映像の中の身体性
- 2017年 9月 26日
- スタディルーム
- 髭郁彦
だがこれ以上抽象的な概念規定について話すことは止め、このテクストのテーマを語ろう。考察対象となるものは私が最近見た二本のドキュメンタリー映画である。一つは8月27日に千駄ヶ谷区民会館で自主上映された亀井文夫の『戦ふ兵隊』である。もう一つは9月14日に横浜の映画館で見た河邑厚徳の『笑う101歳×2』である。1937年に作られた亀井の作品と2016年に作られた河邑の作品との間テクスト性あるいは横断性を探究しなければならない積極的な理由や客観的な理由を提示することは、私にはできない。この二本の映画の上映を偶然知った私が、時間的余裕があったために、たまたま二週間のインターバルを置いてこの二本の映画を見ることによって以下に述べるような個人的な問いが生まれたのである。それゆえ、今挙げた二本を繋げる連続性は主観的な側面が強いものであり、客観的でも、中立的でも、体系的でもない。この点は最初に注記しておかなければならないだろう。
では、このテクストの探究視点は何か。大まかに言うならば、それはドキュメンタリー映画の中で提示される身体の問題である。もちろんドキュメンタリー映画の対象は人間だけでも、生物だけでもない。自然の風景、建築物や機械、化学物質の変化を映したものも存在する。しかしこのジャンルの映画の多くの作品は、特定の個人や人間集団を描写したものではないだろうか。そしてその撮影対象は目、鼻、耳、顔、手、足といった特定の部位にしろ、ある人間の全身像にしろ、あるいは複数の人物の集合的な像にしろ、人間の身体である。このテクストで考察する二つの作品においても、無名の誰かの、あるいは、よく知られた人間の身体が映し出されている。だが、身体という対象はあまりにも大きな問題を孕んでいる。ここで取り上げられるものはその中のほんの僅かな部分である。それでも身体性という問題に対して何らかの有効な究明が可能であると信じ、このテクストの論述を進めていこうと思う。ここで、より具体的な考察課題を示そう。個人的身体と集団的身体、顔、眼差しという三つの身体性に係わる考察課題を、このテクストでは先ほど挙げた二つの映画の比較を通して行っていくつもりである。
個人的身体と集団的身体
映画評論家の佐藤忠男は『日本のドキュメンタリー1:ドキュメンタリーの魅力』の中で、「映画の価値というと、誰でもまず、娯楽性をあげ、なかには芸術性をあげる人もいる。しかし、それらと並んでもうひとつ、情報性という大きな価値があることを忘れてはならない。人は知らないことを知るために映画を見る。知っているつもりのものでも、もっとよく知るために映画を見る。本当に本当のことを知りたいと思って映画を見る」と述べている。この言葉は「広島―長崎1945年8月」の監督であり、映画史家でもあるエリック・バーナウが『ドキュメンタリー映画史』の中で、ドキュメンタリー映画の重要な側面の一つとして指摘している「(…) もともと目の前にありながら、さまざまな理由で気づかれていなかったことをはっきり提示して見せる」(安原和見訳を一部変更) という主張にも通底するものである。知るために見る。だが、何を見るのか。そこにある人間が映されていたならば、映画の観客はその人間の像を見る。見手の目が捉える対象はその人間の精神ではなく、身体である。身体のどの部分がどのように映されているかを見つめることによって、われわれは何かを想起し、何かを知ることになる。
「戦ふ兵隊」にも「笑う101歳×2」にも、人間の身体が数多く映されている。だが、その対象となった人間の存在状況も認知度もまったく異なる。前者の作品の登場人物は日中戦争当時の名前も判らない中国の民衆と日本兵たち。後者のメインキャラクターは100歳を過ぎても活躍していることで話題となったジャーナリストのむのたけじと報道写真家の笹本恒子。全身が撮られている場合でも前者においては一人一人の像だけではなく、兵士たちや戦争難民たちの集団の全身像が繰り返し映されている。後者は中心となる二人がインタビューされる像が何度も映されているが、その多くはバストショットによるものである。戦意高揚映画という名目の下で制作されたが実際には反戦的メタファーを多用した戦争ドキュメンタリー映像と、戦争への言及はあるものの現代の高齢化社会での老人の生き方のモデルを提示しているドキュメンタリー映画。その差異はあまりにも大きい。それだけではなく、記録としての価値はどちらの作品にも存在しているが、前者はさまざまなモンタージュを駆使した描写によって、撮影当時の中国の現実を解釈する可能性をわれわれに大きく開かせてくれた優れた映画である。それに対して、後者においては印象深いシーンが瞬間的に挿入されてはいるが、撮影対象となった二人の個人としての存在性が強過ぎ、連続する映像として成功しているとは言い難い。しかしそれはここで検討しようとする探究課題とは別な問題であり、映画自身の質についての言及はこれ以上行わない。
「戦ふ兵隊」がドキュメンタリー映画として高く評価される理由は、今指摘したように、登場人物の身体性が現在起きている戦争を直接語っているという真実性と巧みなモンタージュによるものである。だがそれと同時に、あるいは、それ以上に、今そこにある現実へのカメラを通した視線と挿入された字幕との乖離によって、映画の見手が映像との様々な対話空間へと導かれるという問題が大きいのではないだろうか。整列する兵士の列、疲れて眠る兵士、戦火で故郷を追われた戦争難民たち、赤ん坊に乳をやる母親、子犬を抱いている子供。彼らは言葉を語ってはいないが、彼らの身体が言葉以上にわれわれに何かを語りかけている。「笑う101歳×2」では、むのと笹本へのインタビューシーンが多いため、映像的変化が乏しい場面が多い。固定されたカメラからバストショットで映された二人の像はわれわれに多くのことを想起させず、彼らの語る言葉だけがわれわれに語りかけてくる。インタビューの前後に、可憐に咲く花や秋田県横手市の雪景色や澄んだ青空といった、それだけを見れば美しいシーンが挿入されるが、二人の語る言葉の強さによって、その存在はぼやけてしまう。二人の身体もそうだ。言葉の強さに映像が負けている。身体が語らない映像。それは映像の敗北ではないだろうか。
顔が表すもの
「戦ふ兵隊」の冒頭のシーンで映し出された中国の農民の顔と「笑う101歳×2」のラストシーンで映し出されたむのの顔。このセクションでは、この二つのクローズアップされた顔を検討することによって、顔というものの持つ身体的特質について考えてみたい。
今述べた農民の顔は、『たたかう映画』の中で、モンタージュの構成方法の説明と連関させながら亀井によって言及されている。まずaとして、「唖然とした、支那の農民の顔」を挙げ、bとして、「この男は、戦火に、先祖伝来の家を焼き払われた。食う物もない。寝る処もない。農具もない」という説明がなされている。そして、「いかにキャメラが精密機械でも、いかにこの男の表情が印象的であっても、前述のb項をキャッチしていなかったら、男の顔だけから、そのような運命的な瞬間を汲みとることは、出来るものではない」と記している。亀井は確かにこの映画の中で b―a―b というモンタージュを行っている。だが、出来事の連続性以上に私にはこの農民の顔が気になった。亀井は「唖然とした」と言っているが、私にはその男の顔の表情をどう表現してよいかよく判らないのだが、「唖然とした」という言葉が的確だとは思えないのだ。絶望している訳でもなく、驚嘆している訳でもなく、途方に暮れている訳でもなく、悲しんでいる訳でもなく、暗く沈んでいる訳でもない。上手く表現はできないが、私はこの顔に思考停止した空虚さのようなものを感じるのだ。そしてそれが日本軍に焼かれた自分の家が目の前で燃えているという出来事との連続性とは別な、つまりはモンタージュの論理展開とは別な何かを示しているように思えてならないのだ。この顔が何らかの異化効果を生み出している気がするのだ。
「笑う101歳×2」には、むのと笹本の多くのクローズアップシーンが、それも笑顔の二人が映し出されている。河邑の映画の主題がタイトルにあるように、「笑い」と「101歳」と「二人の報道関係者」であるのだから、それは当然のことだろう。だがこの二人のどの顔の映像も、私に語りかけてこないのだ。それはなぜだろうか。私はしばらく考え込み、ふと、「戦ふ兵隊」に登場した家を日本軍に焼かれた老人の顔を思い浮かべた。むのの顔も笹本の顔も監督である河邑の望み通りの老いても元気に活躍し、笑いに溢れた顔だ。演技が強制されてはいないだろうが、二人の顔が映し出されたシーンで意外性を感じさせるものは全く存在していない。二人の個人としての存在の強さは映し出された顔にではなく、彼らの話す言葉によって提示されていた。しかしこのセクションの最初に書いた一シーンだけは違った。このシーンでは死の直前、目を瞑り横たわるむののクローズアップされた顔が映されている。笑顔はない、あの饒舌さも、溌溂としたエネルギーもない。ただ眠っているようなむのの顔。それはこの映画のテーマからはみ出し、何かを語りかけていた。
エマニュエル・レヴィナスは『時間と他者』の中で、顔 (ヴィザージュ) を「他者をもたらすと同時に遠ざけるもの」として定義しているが、見慣れた顔や予想される表情はそれを見ている者に平穏さや安息感を与えてくれる一方で、ステレオタイプで、陳腐な印象をもたらす可能性もある。それに対して、未知の顔や、知っている人の顔であってもその表情が予想外のものであったならば、そこに異化効果が生じ、見手はその顔との対話関係に導かれていく。その顔が指し示す正確な意味は見出せないかもしれない。しかしそれでも、その顔の持つ特異性ゆえにその顔に問いかけ、何かの答えを見つけ出そうとする。顔が言葉以上に強く語りかけ、私に答えを求めてくる場合があるのだ。エルンスト・ブロッホは「疎外、異化」(邦訳は『異化』に収められている) の中で、「異化効果は弁証法的な逆転をおこなうことで驚異体験の一つになるうるものであり、まさにその異化効果によって、はるかな遠方の驚きから身近かな洞察が引きだされる」(片岡啓治訳) と述べているが、このセクションで取り上げた二つのクローズアップはこのことを如実に表しているのではないだろうか。
視線は疎外する
むのは『戦争絶滅へ、人間復活へ』に書かれている黒岩比佐子によるインタビューの中で、「当時はいろいろな軍事訓練が行われていて、それを怠けただけでも「あいつは非国民だ」と非難されてしまう。それが怖いから、いやでも参加する。家庭のなかまでそれが入りこんでくる。夫婦であってもそれぞれが、世間から後ろ指をさされないようにしよう、と考えるようになって信じ合えなくなるんです」と語っている。これと同様のことが「笑う101歳×2」でも「自己規制」という言葉を使いながら語られている。こうした監視体制を実施する身体的基盤となるものの一つとして眼差しが存在している。そう言えるのではないだろうか。「戦ふ兵隊」の登場人物の眼差しも、「笑う101歳×2」の登場人物の眼差しの中にも他者を監視するようなものは存在してはいない。だがだからこそかえって、むのが語った言葉が気になる。人間の眼差しは他者との対話の窓口として働くだけではなく、他者を疎外し、他者を恐れさせるものとしても機能するのではないだろうか。
ジャン=ポール・サルトルが『存在と無』の中で行った眼差しに対する有名な分析がある。サルトルは、「(…) あらゆる人間存在は、根源的な現前の背景のうえにおいて、現前的であるかもしくは不在であるのであるが、このことは、生きているあらゆる人間関係においてそうである。しかも、この根源的な現前は、「まなざしを向けられている存在」としてか、もしくは「まなざしを向けている存在」としてしか、意味をもつことができない。いいかえれば、この根源的な現前は、「他者が私にとって対象である」か、もしくは「私自身が他者にとっての対象である」か、そのいずれかに応じてしか、意味をもつことができないのだ」(松浪信三郎訳を一部変更) と書いている。ここには、他の主体をモノ化する眼差しの問題が、言い換えれば、他者への疎外という問題が語られている。もちろん、先ほど指摘したように眼差しは他者との交流の接点ともなるが、ここではむのの言葉にあるような相互監視状況での眼差しの問題について考察していきたい。そのための分析装置としてサルトルの考えは有効なものである。だが、問題は「私-他者」が眼差しによって交流したり、疎外し合うという出来事は、確固とした不動の自己を持った主体同士の関係の中で現出するものなのかという点にあるように思われる。
ここで注目したいのはジャック・ラカンによって提唱された大文字の他者という概念である。一般的に言って、この概念は主体が主体として存在するためにそれに従わなければならないと主体が考えている強制体 (システムと言ってもいい) のことである。この場合、問われているものはある主体の内部構造であり、「私」というものの中での無意識の作用である。だがこのセクションの探究を行うために問題にしたいことは「私」というものの内部構造や内部作用ではなく、他者との関係において大文字の他者が如何に機能するのかという事柄である。「私」だけではなく他者も同様に彼の大文字の他者を持っていることを「私」は知っており、他者の持つ大文字の他者の存在を示す重要な装置の一つが他者の眼差しではないか。この問題を考察しようと思うのである。
私という存在は他者の眼差しを見つめることができるだけではない。その眼差しの意味を考えようともする。もしも私が他者の優しい眼差しを感じたとするなら、その場合、その眼差しは他者の個別的な主体のマークを表すものとして私に感じられるのではないだろうか。そこに他者が内包している大文字の他者の介入はないと言えるだろう。だが、このセクションの冒頭で示したむのの言葉の中にある他者による監視、それを行う他者の眼差しの中に感じる他者性とは何であろうか。監視のマークとしての眼差しを向けるのはある個人としての他者であるが、監視する眼差しにおいては他者の個別性が記されているだろうか。もちろんストーカーの眼差しのようなものも存在するが、戦時体制下での権力機構のために他者を監視する眼差しにおいて問題となるものは他者に内在している大文字の他者の眼差しである。戦前・戦中の日本のような国家主義体制下での他者の眼差し。それは個別的なものである以上に他者の中にある大文字の他者の眼差しがクローズアップされ、他者の目が支配者の目と同化しているように感じてしまうものなのではないだろうか。さらに問題となる点は、長期間監視体制の下に置かれると、われわれは他者の個別的な眼差しと他者の内包する大文字の他者との眼差しとの区別がつかなくなってしまい、それぞれに異なる個別的な他者の眼差しがみんな同じ監視する眼差しに思えてくることである。
前述した三つのセクションでは、二つのドキュメンタリー映画の分析を通して身体という問題に関する検討を行った。ここで取り上げた「個別的あるいは集団的全身像」、「顔あるいは表情」、「目あるいは眼差し」という三つの探究問題の考察を総合化しながら、このテクストを結論づけていこうと思うが、先ずはドキュメンタリー映画の中の身体と劇映画の中の身体の差異について考えてみたい。佐藤忠男は『日本のドキュメンタリー1』の中で、「詩や小説、音楽、美術や演劇などは特別な才能を持つ人だけに許された表現手段であるが、写真やドキュメンタリーでは、ただ泣いているだけの子どもも立派な表現者である。もちろん、それを撮るのには技術と才能が必要であるが、撮られることは子どもにもできる」と述べている。劇映画の登場人物には監督が映画の中で表現したいもののための特別な演技が要求されるが、多くの場合、ドキュメンタリー映画の登場人物には作為的なものではなく何も演技しないことが求められる。それゆえ子供であってもドキュメンタリー映画の主人公になり得るが、登場人物の身体という側面から見て、このことは何を意味しているだろうか。劇映画の登場人物の身体にとって重要なことは登場人物その人ではなく、フィクションの中での役柄としての身体である。たとえば、黒澤明の「用心棒」における三船敏郎の身体性は三船敏郎という役者としての身体が問題なのではなく、主人公である桑原三十郎としての身体が問題となる。われわれはある映画のストーリー展開の中で虚構の身体を見つめ、その虚構性を通してその映画の意味を考える。それに対してドキュメンタリー映画において、われわれは登場人物の真実の像と思われる姿を見ようとする。ドキュメンタリー映画にも脚色がない訳ではないが、われわれがこのジャンルの映画に求めるものはフィクションではなく本当の姿である。それゆえ子供や老人といった登場人物の方が本当らしさという点でドキュメンタリー映画の対象として適している場合が多い。たとえ嘘であっても本当らしさを持つ身体がそこにあるからである。
「笑う101歳×2」の中心人物のむのと笹本の二人は、映画のタイトル通りこの作品の中でよく笑っている。「戦ふ兵隊」のほとんどの登場人物が笑っていないのとは対照的である。前者の作品のメインキャラクターの一人である笹本は冒頭部分で書いたように報道写真家であるが、彼女の代表的な何枚かの写真がこの映画の中にも挿入されている。どれも一人か数人の人物を撮ったものであるが、被写体となったほとんどの人物は笑っている。笹本だけでなく彼女の写真も笑顔に包まれているのだ。しかし、笑顔が表現するものは一つではない。笹本の代表作の二枚の写真。そこにある笑顔の意味の差異。それが私に問いかけてきた。一枚は1940年に撮られたもので、日独伊三国同盟婦人祝賀会で、ドイツとイタリアの大使夫人、東条英機夫人などが並んで写っている。東条夫人は微かに笑みを浮かべているように見える。もう一枚は貧しい廃品回収業、通称バタヤの街に住んでいた子供たちを優しく教育し、「蟻の街のマリア」と呼ばれた北原怜子と子供たちが笑っている1953年に写されたものである。二枚の写真が撮られた後の歴史的展開を私は知っている。1940年、その一年後に太平洋戦争が起き、日本は敗戦に向かって突き進んだ。「贅沢は敵だ」のスローガンの下、戦時体制が強化された中で撮られた一枚の写真。艶やかな着物に身を包んだ婦人たちは、その時何を思ってこの祝賀会に参加していたのかと私は思わず問いたくなる。それに対して、1953年の写真は別の印象を抱かせる。この一枚が撮影された5年後に結核によって北原は29年の一生を終えた。私はそれを知っている。それゆえ、そこにある笑いが複雑な思いを抱かせる。短すぎる命。過酷な奉仕活動であったのだろう。だが、なぜ彼女は子供たちと一緒に笑うことができたのか。もう一枚の写真とはまったく別な意味で、私はこの写真の中の笑顔に対して問いを発した。この写真を見ていると、ハンナ・アーレントが『暗い時代の人々』の中でベンヤミンの歴史認識について書いた「(…) 過去はまだ伝達されていない事物を通してのみ直接に語りかけてくるのであり、そうした事物が現在と密着しているように思われるのは、拘束的な権威へのいっさいの要求を排除しているそれらのエグゾティックな性格にまさに基づくということであった」という言葉が浮かんでくる。過去を救済するものは権威のために艶やかに着飾った婦人たちの像ではなく、その時、過去のある時に、貧しい子供たちと共に新たな希望を語っていた笑顔だったのかもしれない。そう私は思った。
ラカンがセミネール9の中で「私は考えるゆえに私は私の存在を停止する」と語っているが、この言葉は以下のような思想史的背景がある。アレクサンドル・コジェーヴは『ヘーゲル読解入門』の中で、思考というものは主体のはっきりとした意識がなければ思考とはならず、意識して考えるとは言葉 (パロール) を使って考えることであると述べている。それゆえ、意識主体の問題はパロールの問題となる。しかし、フェルディナン・ド・ソシュールが主張しているように、われわれがパロールを用いるとき、そのパロールは他者と共有する言語体系としてのラングに基づくものである。そうであるならば、意識はパロールである前にラングによって拘束されていることになる。私だけの言語というものがない以上、意識主体が思考するときに用いるものは他者の言語であるラングである。つまり、意識主体が考えるということは、他者の言葉を使って考えることである。すなわち主体が主体であることを止めてしまうことになってしまうのである。では、「私は考えないゆえに私は存在する」と述べることはできるだろうか。ここでこの問題と関連すると思われる「顔が表すもの」のセクションで検討した「戦ふ兵隊」の中に登場する中国の農民の顔のクローズアップを取り上げたい。あの農民の顔は、そして、眼差しは確固とした主体の思考を表すものであるかという問いに対する考察を行おうと思うのである。あの農民は言葉を語ってはいない。沈黙している。だが、人間は内言することができる。黙っていても言葉を使って考えることができるが、私はあの農民が沈黙の中で考えていたとは思えない。亀井が述べているように唖然としているのかどうかははっきりと判らないが、思考していない彼の顔が、彼の眼差しが映し出されているように思われるのだ。思考していないゆえに、彼の存在性が強くわれわれに何かを語りかけているのではないか。それが異化効果をもたらした大きな要因ではなかったのか。このテクストを書きながら私はそう考えた。ラカンの言葉を逆転しても、そこで示された命題は正しいものであると私には思われたのだ。
このテクストで考察した身体性の問題は哲学的に見ても、社会学的に見ても完全なものではまったくない。しかしながら、身体の持つ記号学的意味という面ではいくつかの重要な指摘ができたのではないだろうか。二つのドキュメンタリー映画の考察だけでは分析対象が少な過ぎるかもしれない。それでも、これまであまり問われることがなかった身体に関する存在論的な新たな探究視点が提示できたように思われるのだ。
最後に、「思考の不在は非現実を、現実の消失を指す。不在が攻撃的であるとか、進行しているとかはいえない。これに反して、非思考はひとつの現実、力を指す」(金井裕、浅野敏夫訳) というミラン・クンデラが『小説の精神』の中で語っている言葉について考えてみたい。なぜなら、この言葉は存在することの基盤にある「思考性」という問題を表すとともに、先ほど検討したラカンの言葉が投げかける問題にも密接に関係するものだからである。クンデラが言っている「思考の不在」とはここで考察した「戦ふ兵隊」の中の老いた農民の顔と眼差しが示すものであり、さらには、「笑う101歳×2」のラストシーンのむのの目を閉じ死んだような眠りに包まれている顔ではないだろうか。それに対して「非思考」とは強制されるままに他者を監視した戦前・戦中の日本人が他者に向けた眼差しなのではないだろうか。それは、アルチュール・ランボーが「座った奴ら」という詩の中で「それから奴らは人殺しの一本の見えない手を持っている / 見返す奴らの眼差しからは黒い毒液がにじみ出る / その毒液は打ち据えられた雌犬の苦悶の目を覆っているものだ / そしておまえたちは残酷な漏斗孔の中で汗まみれになる」と謳いあげたような表情や眼差しなのではないのか。身体はわれわれに語りかける。語りかけるゆえにわれわれは身体を見つめ、それを慈しみ、称賛し、驚嘆し、愛する。だがそれと同時にそれを嫌悪し、軽蔑し、憎悪し、恐怖する。しかし前者の身体と後者の身体とを厳密に区分することはできるだろうか。イギリスの神経科医のオリバー・サックスは『妻を帽子とまちがえた男』の中で信じられない身体現象に襲われた患者たちについて書いているが、われわれの身体はわれわれが信じているよりも確実なものでも、一定したものでもないのだ。身体はあまりにも深い謎を孕んでいる。それゆえに身体はわれわれに何かを語りかけてくる。身体というシニフィアンの向こう側には、意味の大洋がいつも待ち受けているのである。
初出:宇波彰現代哲学研究所から許可を得て転載
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〔study888:170926〕
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